昔から化粧がとても苦手でした。化粧をし始めた高校生くらいのころから「あ、この行為は合わねーな」と感じました。
当時はかなり男っぽくて変に小ざっぱりしたところのある女子高生でしたが、「なんとなく周りのみんながやっているから」という理由で化粧はしていました。
しかし、まったく好きになれないし、頑張ってもメイクアップした感じがしません。
なんというか、すっぴんで撮った写真をPhotoshopで加工(やや明るく)した程度の変化しかない。化粧後とすっぴんで顔が変わるという女子の魔法が使えません。周りの子たちは別人のように変身しているのに。
はじめのうち、肌の色が白いからかな、と思っていました。
わたしの祖父が(よく分からないけど)ロシア系の血を引いているらしく、父方の一族はみな日本人離れした皮膚の白さを持っています(祖父の世代は目も青い)。
父親似のわたしも例に漏れず色が白く、白い肌に馴染むファンデーションが見つかりませんでした。メイクが映えないのは、肌に合うものがないからだろうと思っていました。
しかし、時が経つにつれ、そうでないことが分かってきました。友人の女子の中に色の白い子は何人もいます。みんなきれいにメイクしています。
ブルーハーツの「青空」なみに生まれた所や皮膚や目の色は関係ありません。それならばなぜ……なぜわたしは上手にメイクアップができないのか。
お次は一重だからだ、と思いました。一重だからアイシャドウやアイライナーを引く位置を見失い、目元を強調できないのだ。
メイクした感を出すためには目元を派手にすることが大事。
しかし、まぶたの上に一本のシワもないが故に、影や墨を入れる基点が分からないのだと。
しかし、これも見当違いであることがわかってきました。友人の女子の中に一重の子は何人もいます。みんなきれいにメイクし(以下略)。
こうなると、メイクが映えないのは体質や顔の造形にあるのではなく、技術的な問題が原因なのではないか。要するに、メイクが下手なだけじゃん、という結論にたどり着きました。
そう、ただ単にメイクが下手なだけなのです。向いていないのです。興味ないのです。あれだけ「セーラームーン」見てたのに。
好きこそ物の上手なれ、という言葉がありますが、わたしの場合、顔に色を塗るという行為があまり好きになれないから「上手なれ」ない。
「あーもういいや。メイクとか。超だりぃ。別にきれいになりたいわけでも、モテたいわけでもないしさ。女性の身だしなみとか言うけど、誰もわたしの顔なんか見んだろ」
とふてくされて、数年前まですっぴんで街に繰り出していました。
コロナ前でノーマスク時代、会社に出社する時もほぼすっぴんでやりくりしていました。マスク着用が世間一般の常識になってからは「免罪符いただきました!」とばかりに、すっぴんで大手を振っていました。
しかし、最近、年も年になってきて、コロナも終わりかけているし、このまますっぴんを貫くのはまずいのではないだろうか。何がまずいのかうまく言えないけれど、世間の目に対する耐性が付きすぎたこの精神ではオバチャン化が加速する……と弱腰になってきました。
土日。せめて人と会う土日はメイクを施します。処置します。実行します。はい、と自分の中で何かが観念し、このたびメイクを再開することとなりました。
しかし、メイクが下手なことには変わりない。そもそも化粧品の選び方がよく分かんない。
無理矢理メイクアップした感を出すために、無意識のうちに派手な色を選んでいるらしく、手元には赤いアイシャドウが数種類あります。赤いアイシャドウを目元に施すと、メイクアップどころか歌舞いてしまう。
わたしは市川海老蔵になりたいわけではなくて、見てくれがそこそこの、普通の女性になりたいのです。
しかも時間とともに色がぼやけて拡張し、ノックアウト寸前のボクサー みたいになってしまう。
だからわたしはロッキーになりたいわけではなくて、見てくれがそこそこの、普通の女性になりたいのですってば。
先週末も赤いアイシャドウを施していたのですが、家に帰り着く頃にはめちゃくちゃ戦い抜いた人みたいな、映画終盤のブルース・ウィルスやダニエル・グレイグになっていました。
メイクと戦っているっちゃ戦っているんですが……その勲章は表面に出て欲しくない。
いつか女性らしい華やかなお顔で、帰路につきたいものですね。クソだりぃけど。