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パラベラム巡礼

突然ですがミリタリーが好きです。

ミリオタ(ミリタリーに詳しいオタク)といかないまでも、銃火器系が十五歳くらいのころから好きです。数ある趣味のTOP3には入っていそう。
詳しく書くとあれですが、高校生の頃に使っていた筆名は一見ころころしてて可愛い名前のあれメーカーでした(もうバレそう)。

ミリタリー好きにもいろいろあって、ざっくりいうと軍隊系が好きか警察系が好きかで別れるんじゃないでしょうか。
銃でいうとロングガン派かハンドガン派でしょうか。

わたしは後者の警察組織(と敵対勢力)に惹かれるタイプです。
戦争映画より米国犯罪ドラマ派です。

ハンドガンだと2000年代にようやくあれした、あれの名前のついたあれが好きです。

携帯電話のカバーも軍事規格の耐久性をクリアしたあれブランドのいかついのにしています。
前にミリタリー好きの集まりに参加したら携帯カバーが同じ人が多くてびっくりしちゃいました。
みんな好きだなあ。

それから、神社仏閣も大好きです。これもTOP3に入ってそう。
御朱印を集めるのも好きで、暇を見つけてはいろいろな神社さんにお参りをしています。

神社仏閣の清らかでうららかな感じが好きです。人間を区別差別せずに開けていて静かなところが。

神社仏閣好きは神社派と寺院派に分かれているんでしょうか?
それはよく分かりません。

わたしは神社さんによく行くけど(お寺さんは門があるから勝手に入っていいのか迷う)、お寺さんのお線香の香りや蓮の花の美しさも好きですよ。

お気に入りの神社仏閣は月に一度くらい、けっこう電車賃がかかるけれど、ありがたく参拝をさせていただいてます。

わたしの推しスポットは都内にあり、そのまま電車を乗り継いでいくとお気に入りのミリタリーショップに辿り着きます。
道沿いにあってちょうどいいやと、最近は神社仏閣からのミリタリーショップへ回るルートが定着し、月に一度の楽しみになりました。

わたしはこれを勝手に「パラベラム巡礼」と呼んでいます。

パラベラム巡礼。

ハンドガンでよく使われる弾薬に「9x19mmパラベラム弾」という規格があります。弾薬の中ではいちばんメジャー。
「ルパン三世」のロゴの「ン」の字に使われているあれです。

ガンマニアで中二病の人なら既に予測が立っていそうですが、「9x19mmパラベラム弾」の「パラベラム」の意味は
「汝平和を欲さば、戦への備えをせよ(Si vis pacem, para bellum)」
というラテン語からきているそうです。

実用を突き詰めて作られているのになんか小粋ですよね。
だから「ジョン・ウィック」の副題にもなったんでしょうか。

その「パラベラム」にお参りをくっつけて「パラベラム巡礼」。

「今週日曜はパラベラム巡礼行くか〜」という感じで、ゆるゆると穏やかにやっています。あくまで穏やかに。

先週もパラベラム巡礼に行ってきて、推しの軍神系の神様にお参りをしたあとミリタリーショップを見てきました。

わたしはサバゲーをやらないので、イマドキのハンドガンを眺めているだけで満足なのですが、たまに我慢しきれず買ってしまい「これ使い道ないだろ……」となった経験があります。

あんまり細かく書くとあれですが、なんとか筋トレ方面に使い道を見出して、最近はあれをあれな感じにして身体を鍛えています。

細かいことを書き出すとキリがないし、ここで書いてもという感じなので割愛しますが、ただ眼福なだけで、それだったら画像でも見てろと思うんですが……ちょっと持っておきたい……せめて一つだけでも……

ところで、これ系の趣味・嗜好ってどこまで書いていいんでしょうね。個人的にかなり迷います。

ミリタリーも神社仏閣も、人類史にひと噛みもふた噛みもしているので、趣味を公言すると不謹慎だとかしきたりを学べとか言われそうでこわいです。
なにより一家言ありそうな人の多いジャンルなので、たびたびの言及は控えた方がいいのかも知れない……。

わたしは主に創作の世界で、色々なあれをあれして発散させているけれど、エッセイまで引っ張ってくるとなんだかもう収集がつかなくなりそうなので、今回の日記はまとまりのないまま終わりたいと思います。

面白く書けそうな気がしたのに、詳しく書くとさわりがあるかとビビっちゃいました。ごめんね!

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Anarchy in Tokyo

最近、何もかもをかなぐり捨てるような断捨離をしました。
体感的にこれまでの人生で得たものの70%はカットできたような気がします。
※断捨離自体の記事はこちらで、殲滅魔術が記述されている魔導書も紹介しているのでよろしければご覧ください。

断捨離の際、高校・大学時代に着ていた洋服が出てきました。ゴミ捨て場から拾ってきたようなボロボロのジーンズや、お前の体液は毒薬でできてるんかと思うほどドクロがあちこちにプリントされたTシャツ、玉ねぎを切るだけでも誤解されるだろうと思われる飛末血痕チュニック。

全身で殺人現場を表現している衣類です。

うわぁヤバい……こんなものを学生時代のわたしは着ていたんか、と脳裏をよぎる前に「うわぁ」の部分で捨てました。
あの時代のわたしはどうかしていました。宇宙人に捕らえられて脳内にコントロールチップを埋め込まれていたレベルでおかしな服がたくさん出てきました。

思えば、わたしのファッションセンスがおかしな方向を走り始めたのは、アルバイト代で自由気ままにお洋服が買えるようになった高校生の頃からでした。

それまではファッションの「ファ」の字にも興味を抱かぬただのオタクで、お洋服はカーチャンが買ってきたものを適当に着ていました。
女の子だったからさすがに「AIR WALK」は着なかったけど、男の子に生まれついたら服を着る意味すら考えぬまま「AIR WALK」と「bad boy」を着回していたことでしょう。

カーチャンはわたしと趣味・嗜好が180度違う少女趣味です。明菜ちゃんではなく聖子ちゃん派です。
一応の確認を取るために「ファッションセンターしまむら」に連れて行かれるのですが、選ぶ洋服はイチゴ柄・花柄のワンピースやフリルのついたスカートがメイン。
娘に聖子ちゃんコスプレをさせる気満々です。

そんなのヤダよ。動きにくいじゃん、という意思を伝える(が、自らは選ばない)と、わたしを「ファッションセンターしまむら」に連れて行かなくなった代わりに、シンプルな無地のTシャツとシンプルな無地の短パンを買い与えるようになりました。

「よつばと!」という漫画の主人公・よつばちゃん(5歳)と似たような格好です。よつばちゃんに例えると可愛いけれど、「クレヨンしんちゃん」のしんちゃん(5歳)にも通ずる格好です。母ちゃん、とっても動きやすいゾ!
そんなわけで5歳児と変わらないファッションセンスを貫き、十五年の歳月が過ぎました。

さて高校進学です。わたしの通っていた高校は制服ではなく「標準服」という形で制服を採用しており、標準服を着て来てもいいし私服で通学してもいいよ、という何でもありな校風でした。
あまり詳しく書くと、わたしの出身地に近い人は「あの高校かー」と分かってしまうのでぼやかしますが、「自身を律することで生徒の自主性を育む」というのが我が校の教育方針だったようです。

大体の高校生が最初の一年は個性を出そうと、自分なりのカッコイイ・可愛いと思える私服で通学するのですが、そのうち面倒くさくなって標準服を着始めます。

当時流行した「らき☆すた」という日常系アニメの主題歌に「制服はかんたんよ=ラクチン」という歌詞があるのですが、まさしくその通り。

せいふーくはーかんーたーんよーらーくちーん♪

というわけで、徐々に私服組の人数は減り、高校二年も中盤になると私服で通学しているのはヴィジュアル・パンク系かロリータ系かものすごいギャル系かの数パターンに別れました。
要はファッションスタイルに一家言あるタイプです。
(あとたまにお母さんが制服をクリーニングに出しちゃったからって当たり障りのない服を着てくる人)。

ちなみに当時のわたしは通っていた図書館で借りたCDをきっかけにパンク・ロックにどハマりしていました。

ピストルズとかザ・クラッシュとか(ラモーンズは聞かなかったな)。オールドスクールパンクと呼ばれる、70年代イギリスで流行した反社会的な思想を持ちつつ、世界中の売れてる音楽に中指立てるぜ的なバンドグループです。

ざっくり言うと、なんかすごいうるさいやつ。
ライブ中に観客とケンカするやつ。

ちょうど世間では矢沢あい先生の「NANA」が大流行中。わたしも流行に漏れずどハマり(ヤスが大好き)。
さらに当時のわたしの敬愛作家は嶽本野ばら大先生(「ミシン2/カサコ」が大好き)。

なんかもうこれだけ揃えば、パチスロの「777」が並んだと言いますか、たとえ無印良品やユニクロのお洋服が大好きだったとしても、そっちの路線に流れてしまうこと必至。

感化されまくった多感な女子高生のわたしは、とにかくもうパンクな格好がしたくてたまらない。
ドクロがついたトップスと革ジャンとボンテージが着たい。
ラバーソウルも履きたい。安全ピンどこかにつけたい。鎖まきたい。南京錠つけたい。白黒のニーハイ履きたい。ギンガムチェックの巻スカートと、あと赤黒のボーダーシャツと、あと、あと、えっとえっと……と一通りパンクらしいファッションに手を出し、人目も気にせず街中や校内を闊歩。

バイト代を貯めてはヤフーオークションでパンクファッションブランドの洋服を競り落とすことに必死でした。

当時のお気に入りのブランドはSEXY DYNAMITE LONDON、SUPER LOVERS(LOVERS ROCK)、そして奇跡的に競り落とせたVivienne Westwood。HYSTERIC GLAMOURのTシャツを物色するのも大好きでした。競り落とせなかったけど。

パンク・ファッションの老舗ブランドで全身を固めたかったけれど、高校生のアルバイト程度のお金ではまかなえず、「もうパンクっぽかったら何でもいいや」と休日を使っては原宿に繰り出し、Vivienne Westwoodのアーマーリングのバッタモンやオーブネックレスのバッタモンを入手してにこにこ顔で帰ってきました。

ところで、当時はネオ・ヴィジュアル系というV系の新流派も大流行していたの、覚えていますか?

退廃的な世界観を歌やファッションに表現する、ちょっと中性的なお兄さんたちのかっこいいバンド。
※ヴィジュアル系に詳しくないので、まったく説明になっておらずすみません。詳しくないので固有名詞も控えますが、当時の時代を生きた人は何組かのバンド名が思い浮かぶはず。

パンク・ファッションとヴィジュアル系ファッションは色味やデザイン、モチーフにかぶる部分が多く、両音楽に関心のない人からはどのファッションがパンク系なのかヴィジュアル系なのか判断がつきません。

関西風のお好み焼きと広島風のお好み焼きくらい違いがあるのですが、ぱっと見全然分からない。

当時のわたしはパンク音楽の影響もあって、かなり性格が尖っていたので、絶対に、なんとしてでも、ヴィジュアル系ファッションに間違われたくありませんでした。
わたしはヴィジュアル系のファンではないし、わたしをヴィジュアル系ファンに間違えることは、ヴィジュアル系ファンの方々にも失礼だと思っていました。

「蒼りんってV系好きだったんだね〜」などとクラスメイトに言われようものなら「違うよ!これはパンクだよ!わたしはV系とか全然詳しくないよ!」といちいち相手の間違いを訂正していました。

ところが……髪の毛のこめかみあたりに赤色と金色のメッシュを入れ始めたあたりから、ヴィジュアル系が好きで、ファッションもヴィジュアル系やゴシック系です、という高校生たちが集ってきました。
話してみると「ヴィジュアル系好きの仲間かと思った」というのです。

「違うよ!わたしはパンクだよ!違うよ違うよ!」と面倒くさい奴全開の徹底したいつもの訂正をくわえると「そんなことを言ってくれるな。同じ匂いを感じるんだからいいじゃねぇか」とたくさんヴィジュアル系の友達ができました。
違うよ!わたしのはパンクなんだけど……まあいいか。気が合うし。

ということで、高校時代のわたしはパンク街道まっしぐらで、V系のやつらは全員友達、みたいな交友関係を育みました。
V系の友達が言っていたのですが「Vの人は穏やかな性格の人が多い」そうです。車椅子依存症の彼女が〜とか、血でできた薔薇の花を君に捧げる〜とか歌っているのに穏やかなのか……穏やかの定義とは。

ところで、ファッションの力って偉大ですね。
類は友を呼ぶのに最適な方法は、自分と似たファッション・センスの人を見つけることです。

大学に入ると徐々にパンク熱は薄れて、今度はグランジ・ロックにハマり出すのですが、グランジ・ファッションはすごく楽。

適当な長袖(赤黒のボーダー推奨)にぼろぼろのジーンズを履いて「グランジ大好きです!」と宣言すればそれだけでグランジです。主に古着で間に合います。
古着好きでファッションにこだわらなかったカート・コバーンに感謝です。
彼はパジャマでライブステージにも立っているので、夜はパジャマを着ればグランジです。
カーディガンも毛羽立っていれば毛羽立っているほどグランジっぽいので毎冬買い替えなくていいし、変な洗濯の仕方で服がよれよれになってもグランジファッション的には味が出るし、とにかく汚れていればなんでもOK。

グランジはかんたんよ=ラクチン。

という過激な音楽・過激なファッションで駆け抜けた学生時代。

現在の一押しはユニクロです。

ユニクロは便利です。夏は涼しいし冬は温かいし、お値段も安くて最高です。人類の文明の最先端を行くブランドだと思っています。
何よりオタクがオタクくさく見えないところがいい。

もうわたしも良い年齢なので、日常的な意味での「都市迷彩」をまとって落ち着いています。間違っても白黒のニーソックスは死ぬまで履きませんし、長い黒髪もツインテールに結うことはないでしょう。

それでも片付けの黒魔法を使って殱滅した部屋にロック魂の残滓は残っていて、雨の日はラバーソウルを履いて買い物に出かけたりしています。

全身ユニクロで、ラバーソウルは長靴代わりに使っても、ロック魂消滅せず。です。たぶん。

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ムーンライトパワー

昔から化粧がとても苦手でした。化粧をし始めた高校生くらいのころから「あ、この行為は合わねーな」と感じました。

当時はかなり男っぽくて変に小ざっぱりしたところのある女子高生でしたが、「なんとなく周りのみんながやっているから」という理由で化粧はしていました。

しかし、まったく好きになれないし、頑張ってもメイクアップした感じがしません。

なんというか、すっぴんで撮った写真をPhotoshopで加工(やや明るく)した程度の変化しかない。化粧後とすっぴんで顔が変わるという女子の魔法が使えません。周りの子たちは別人のように変身しているのに。

はじめのうち、肌の色が白いからかな、と思っていました。

わたしの祖父が(よく分からないけど)ロシア系の血を引いているらしく、父方の一族はみな日本人離れした皮膚の白さを持っています(祖父の世代は目も青い)。

父親似のわたしも例に漏れず色が白く、白い肌に馴染むファンデーションが見つかりませんでした。メイクが映えないのは、肌に合うものがないからだろうと思っていました。

しかし、時が経つにつれ、そうでないことが分かってきました。友人の女子の中に色の白い子は何人もいます。みんなきれいにメイクしています。

ブルーハーツの「青空」なみに生まれた所や皮膚や目の色は関係ありません。それならばなぜ……なぜわたしは上手にメイクアップができないのか。

お次は一重だからだ、と思いました。一重だからアイシャドウやアイライナーを引く位置を見失い、目元を強調できないのだ。
メイクした感を出すためには目元を派手にすることが大事。
しかし、まぶたの上に一本のシワもないが故に、影や墨を入れる基点が分からないのだと。

しかし、これも見当違いであることがわかってきました。友人の女子の中に一重の子は何人もいます。みんなきれいにメイクし(以下略)。

こうなると、メイクが映えないのは体質や顔の造形にあるのではなく、技術的な問題が原因なのではないか。要するに、メイクが下手なだけじゃん、という結論にたどり着きました。

そう、ただ単にメイクが下手なだけなのです。向いていないのです。興味ないのです。あれだけ「セーラームーン」見てたのに。

好きこそ物の上手なれ、という言葉がありますが、わたしの場合、顔に色を塗るという行為があまり好きになれないから「上手なれ」ない。

「あーもういいや。メイクとか。超だりぃ。別にきれいになりたいわけでも、モテたいわけでもないしさ。女性の身だしなみとか言うけど、誰もわたしの顔なんか見んだろ」

とふてくされて、数年前まですっぴんで街に繰り出していました。

コロナ前でノーマスク時代、会社に出社する時もほぼすっぴんでやりくりしていました。マスク着用が世間一般の常識になってからは「免罪符いただきました!」とばかりに、すっぴんで大手を振っていました。

しかし、最近、年も年になってきて、コロナも終わりかけているし、このまますっぴんを貫くのはまずいのではないだろうか。何がまずいのかうまく言えないけれど、世間の目に対する耐性が付きすぎたこの精神ではオバチャン化が加速する……と弱腰になってきました。

土日。せめて人と会う土日はメイクを施します。処置します。実行します。はい、と自分の中で何かが観念し、このたびメイクを再開することとなりました。

しかし、メイクが下手なことには変わりない。そもそも化粧品の選び方がよく分かんない。

無理矢理メイクアップした感を出すために、無意識のうちに派手な色を選んでいるらしく、手元には赤いアイシャドウが数種類あります。赤いアイシャドウを目元に施すと、メイクアップどころか歌舞いてしまう。

わたしは市川海老蔵になりたいわけではなくて、見てくれがそこそこの、普通の女性になりたいのです。

しかも時間とともに色がぼやけて拡張し、ノックアウト寸前のボクサー みたいになってしまう。

だからわたしはロッキーになりたいわけではなくて、見てくれがそこそこの、普通の女性になりたいのですってば。

先週末も赤いアイシャドウを施していたのですが、家に帰り着く頃にはめちゃくちゃ戦い抜いた人みたいな、映画終盤のブルース・ウィルスやダニエル・グレイグになっていました。

メイクと戦っているっちゃ戦っているんですが……その勲章は表面に出て欲しくない。

いつか女性らしい華やかなお顔で、帰路につきたいものですね。クソだりぃけど。

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