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無意識下で立ち現れるもの

河合隼雄さんの本を好んで読んでいます。
ユング心理学や箱庭療法は面白い。河合さんの考え方自体にもとても興味があり、自著から作家との対談本や自伝っぽい本まで色々と読み漁ってきました。
河合さんのご出身は奈良で、生まれ育った場所にも行ってみました(これは聖地巡礼というのだろうか)。
精神病理。精神分析。言語で説明がつかない、人間が抱える無意識的なもの。完癒もすれば、悪化もする。諸刃の剣っぽいもの。
わたしが説明すると超オカルトっぽいけど、学問兼臨床心理の場で活用される治療法です。

箱庭療法を行うと、精神病理を抱えていない人でも、何かしら奇妙なものが箱庭の中に立ち現れてくるのだそうです。
ある著書で、
クライアントではない健康な学生が行った時、箱庭の中に映画のワンシーンのような戦争の情景を描き出したそうです。
それは一般的な理解の範疇におさまるストーリー性を持った箱庭でしたが、箱の一角に竜巻に似たモチーフが現れて、学生自身にもなぜ戦争風景の中に竜巻っぽいぐるぐるした物を置いたのか説明ができなかったそうです。精神的に健やかな人でもそういうものが出てくるそう。とても興味深い話でした。
専門家ではないので、集合的無意識と結びつきがあるのかは分からないけど、心惹かれるエピソードでした。

河合さんは日本神話や伝承を心理学的立場から考察されており、その考えを知ることも楽しかった。

河合さんが編纂された「講座 心理療法」 という本をコツコツと読んでいます。
ようやく七冊目に到達しました。
その前の六巻「講座 心理療法〈6〉心理療法と人間関係」の「転移・逆転移」の話は個人的にとても惹かれるテーマでした。どの論文も面白かったのですが、中でも成田義弘先生の考察が目から鱗でした。

初めて精神分析を受けた女性(ヒステリー患者のアンナ・Oさん)の症例は、いろいろな心理学本で目にしますが、
この論文では治療者側への考察(逆転移)に重点が置かれていて、女性に名付けた仮称が治療者の母親の名前と一致していたとか、治療者側の家庭事情が無意識にクライアントの想像妊娠に反映されていたのでは、というすごい考察が書かれていて、心理カウンセラーでもないわたしでもスルッと理解できる分かりやすさで面白かったです。

成田義弘先生の著書もっと読みたいなと思い、河合隼雄先生と共同編集の「境界例」という本を図書館で借りてきました。境界性人格障害の人の本です。(分かりやすさ優先で)ライトな表現を使うとメンタルヘルス(メンヘラ)の人の実際の臨床例を通して細かく分析しています。
前半は境界例の治療にあたった治療者の論文や所感。
中盤は河合先生と成田先生、サイコロジストの鈴木茂さんのシンポジウムの議事録。ある境界例患者とその臨床にあたった治療者の所感をもとに、お三方の境界例との関わり方や、対応にあたった治療者に対する分析・考察を対談形式で収録されていてとても面白かったです。

「境界例」の人は「見捨てられ不安」が高く、穏やかなカウンセリングの後で急に怒る、治療者にカウンセリングルーム以外での接触を迫るなど、読んでいて疲れてくるエピソードが盛りだくさん。
周囲の人を巻き込む精神病理だけあって、身近で関わってしまったら精神病むな……と恐怖なくして読めません。面白いけど読了に労力を使う本です。
境界例っぽい人が身近にいて、「死んでやる!(リストカット)」とか「今すぐわたしのそばへきて!(深夜の電話)」などで、振り回されている渦中の人は、この本を読むと理解が深まるのでおすすめです。もう少しで読み終わるので、もっと成田先生の本を借りてこよう。
河合先生の本は図書館にあるやつ大分読んだので、コツコツ収集しようかな。

余談ですが、
心理カウンセラーを目指しているわけでもないわたしが、なぜそう言ったソフトサイエンス的なものに惹かれるのかというと、小説を書くときにも無意識下で立ち上ってくるものがあると感じるからです。
プロットを入念に練っても意図しないアイテムや人物がパッと出てくる。
それは往々にして物語の主軸になり、ロジックで構成されたプロットを破壊していきます。筋書きを完膚なきまでに破壊されることもあるけれど、意図しないものが立ち現れる感じは快感を覚える。
誰だったかな、「ユング心理学は物語創作と親和性が高い」と言っていたのは。
妙に腑に落ちたのを覚えています。

物語でなくとも、自分の内面を淡々と書きしるすことでカウンセリングにかかる費用を削減することができる。
これは往々に海外の心理学や脳科学関連の本で度々出てくる研究結果なんですが、出典元の一冊すらも失念しちゃいました(すみません)。
遠い昔、わたしは自分の心の傷を癒すために小説を書き始めました。心の問題の本を読み始めたのもその頃です。
セルフ臨床心理をやって、なんとか平安を保つのに必死でした。
そのときに助けられたこともあって、今でも臨床心理学に親しみを抱いているのかもしれません。

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花束みたいな恋をした

花束みたいな恋をした」という映画を見ました。
有村架純さんと菅田将暉さんのダブル主演。

ゆるっと付き合って同棲し始めたサブカルチャー好き同士が就職や世間に出始めたあたりから、ちょっとずつ方向性や価値観がズレて行く(たぶんこの辺まではネタバレにならないはず)。

軽やかに男女の感覚の違いを描いているとても良い映画でした。
感心しながら見終わったあと、家族や友達にLINEで「見な……😭」と伝えるほど。
こういうことをあまりやらないんですが、親しい人たちに超おすすめしました。

わたしは普段、邦画や恋愛映画をあまり見なくて、配信サイトでは洋画のサイコスリラーばかりを見てます。
シリアルキラーと戦う感じの。クライマックスはたいてい殺し合いです。

実を言うと恋愛映画が少し苦手です。
男女関係が美しく(可愛く)描かれることが多いから。
中盤で揉めても、美しく仲直りとか破局しちゃうから。

この作品は恋愛系なんだけど、二人の感覚のズレに重点を置いていて、揉めるというより互いがどうでも良くなっていく、絶妙なリアリティがありました。
最後の最後で男の子が別の提案を持ち出すところとか、男でもないのに共感しました。

あの弱さというか優しさというかすがりつき方は本当に分かる。
女の子がばっさり行くところも、冷たいわけじゃなく女性の性質が出ていてよく分かりました。
第三者視点で映画を見つつ、ときにはどっちの視点にも立って共感できる、不思議な映画体験でした。

少し前に気になる著名人のインスタライブでこの作品が紹介されていました。
その上で彼女(配信者)の感じたことを話していて、その考えがやはり地に足のついた納得のいくものでした。
この人を唸らせる「花束みたいな恋をした」がずっと気になっていました。
配信しているし、さっさと見れば良いものを、「恋愛映画は得意じゃないし、シリアルキラーも出てこないし……」と躊躇していました。

あまりにも引っかかるものだから、書いている小説に「この前〝花束みたいな恋をした〟という映画を見たよ」というセリフが出てきました。
さくっとそのセリフが書けたので、ああ今が見るときなのかも、思いました。

作品内に引用しておいて見てないのかよ。小説じゃなく論文だったら大問題だぞ、とセルフツッコミを入れながら見ましたが、やっぱり良かったです。

わたしは小説をよく書くのでその中に出てきましたが、引っかかるものって、日常生活でも何かしらの形で現れますよね。
友達との会話にそのタイトルや似たテーマの話題が出てくるとか、お皿洗っているときとか風呂に入っているときにポッと考え出すとか。知らず知らずのうちにアンテナ張っているんですね。

気になる人はHuluで見られるのでぜひ。ネトフリやアマプラはどうなのかな。

おすすめしまくった中で、エンタメ好きの友達がすでに見ていて、メイキング映像のURLを貼ってくれました。
カラオケのシーンで、菅田将暉くんが監督から演技指導を受けているメイキング映像でした。
「あ、スタッフいるんだ!」と当たり前なことに驚きました。
瞬間的に、十年以上マニアックな漫画・文学・音楽に触れてきたであろうサブカル青年をサッと演じる菅田将暉くんはすごかった。
有村架純ちゃんも小さい頃からマニアックなものが好きで、おそらく共感してくれる友達があまりいないであろう女子大生を演じ切っていてすごかった。
まさか日常的にサブカル好きの二人ではないよね。

芸能人の趣味嗜好は詳しくないけれど、その場で完全に配役の人生に入り込める俳優さんたちの凄さを感じた。

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ゼルダの伝説ってエッチだよね

※ニンテンドー64の「ゼルダの伝説 時のオカリナ」「ゼルダの伝説 ムジュラの仮面」をやったことのない人しか分からない話です。しかも、かなりコアな部分をフォーカスして、ほとんどオタク話です。

この前、ボーッとしながら昔を懐かしんでいたら、「そういえば、ゼルダの伝説ってエッチだよな」と思いました。

ニンテンドー64の「ゼルダの伝説 時のオカリナ」。

全年齢対象だし任天堂作品なので、具体的なエッチさは皆無ですが、抽象的にエッチな部分がもりだくさん。
小学生だったわたしは、エッチな部分に関しては、「よく分かんないけどエッチだな」と思いながら遊んでいました。それでも、かなりの抵抗を感じました。

なんていうのかな、あの感じ……。
エッチなんだけど、恐怖が混じってるエッチさというか。
妖精の泉にいる「大妖精サマ」が代表例なんですが、全方向に性的すぎて、もはやエッチささえもが吹き飛ぶ恐怖の化身です。
ただただエッチなものがいる、エッチなものと対峙するダイナミックな恐怖心。

改めて、「大妖精サマ」を説明すると、
主人公が連れている妖精の女王様的な存在で、セクシーな見た目の見方キャラクターです。試練とか鍛錬といった名目の面倒くさいバトルも仕掛けてきません。
「大妖精サマ」は「大妖精の泉」にいて、レアアイテムをくれます。
「大妖精の泉」はゲーム内の数カ所に点在しています。
各地に「大妖精サマ」(姉妹?)がいて、レアアイテムをもらうため、一人一人に会いに行かなければ行けません。
呼び出して、話をしたらアイテムをくれます。
めっちゃでかい、ほとんど素っ裸の女性が叫びながら泉から出てきて、宙にぷかぷか浮きながら、うふーんって言います。
艶めかしい、エッチなBGMも流れます。

すごーく嫌でした。セクハラされそうで。
しぶしぶ会いに行っていました。

もうこれ、いたいけな小学生のプレイヤーに性教育しようとしてるだろ、というくらい「大妖精の泉」はエッチ。
同じようにプレイしている同年代からも「大妖精サマがこわい」という共感の声をもらいました。
みんな、「大妖精サマ」のエッチさが怖かったんでしょう。

子供の目線から見た大人のエッチ感?
見てはいけないものを見てしまったエッチ感?

「時のオカリナ」は、大人しか知らないタブーを持つキャラクターが多く、ドラゴンや幽霊と戦う以上の怖さが移動中にありました。
インパ様とかツインローバ(最終形態)とか。
あ、あの婆さんたちはボスか。

謎のイケメン・シーカー族のシークもある意味エッチ!

「恐怖のエッチ感」は大人の女性キャラクターが秘めていましたが、
小悪魔系のエッチ感は女の子のキャラクターが持っていました。ルト姫とか。wiiのミドナ姫とか。
もうフォルムからエッチです。人間じゃないからか、服を着ない文化圏の人だからか知らないけれど素っ裸だし。異様に貧乳とくびれの造形がリアル。
彼女たちには「底知れぬエッチ感」がありました。じわじわくる幼児体型。

ストーリーもゲームシステムもすごく面白いから何度でも楽しめるんだけど、女性キャラクターが持つエッチさに対しては、いつまでもびくびくしていました。
3D技術は今と比べて、(当たり前だけど)非現実に近いんですが、妙に生々しいんですよね。肉体的なものが。昔の「ゼルダの伝説」って(笑)

64版で発売されたゼルダの伝説は2つあって、
「ゼルダの伝説 時のオカリナ」
「ゼルダの伝説 ムジュラの仮面」
ムジュラの仮面は時のオカリナの続編になっています。
ニンテンドー3DSで両タイトルともリメイクされています。

上記のエッチ感は、主に「時のオカリナ」に出てくるキャラクターが持っています。続編の「ムジュラの仮面」はエッチさが控えめ。

その代わりに、東洋的な呪いや呪物、成仏や怨念という、死の世界を描いていて、「時のオカリナ」のエッチ感とは真反対の抵抗を感じました。

主人公がこの世に未練を残したキャラクターを成仏させる。成仏したキャラクターの魂(?)が宿った仮面をつけて、そのキャラクターに変身できる、という設定からも、情念漂う不気味さ。ネットリしたものを感じます。

ムジュラの仮面がラスボスで、不思議に穏やかな世界観の草原があり、ごっこ遊びをしていると最終バトルが始まります。
その無垢な感じの怖さよ。
魔王っぽい野心や野望がないところも怖ければ、
ただ呪いの念だけで動いてるところも怖い。
RPGのくせにホラーづくしです。

どちらとも素晴らしいゲームです。
面白いストーリーと絶妙なセンスは、大人も子供もどハマりするほど。
ただ、ぱっと思い出すのが、あの生々しい生と死の描き方。

商業的なヒットを飛ばしたにしては、すごくニッチなところに力を込めてたゲームだったなあと思います。
往々にして名作ってそういうものか。

どちらも好きなゲームですが、特に「ムジュラの仮面」が大好きです。

エッチさよりオカルトが好き。
幽霊とか亡霊とかゾンビとかがたくさん出てくる「イカーナ地方(谷)」周辺が好き。マニアックな細部を語りだすとキリがないくらい。

タイトルの趣旨から逸れますが、
三日後に世界が滅びるのにお祭りを開くかどうかで大人たちが揉めているのも、伝統主義な良さと悪さが混在していて良いですよね。

本質の似た問題が、現実世界でもたびたび起こって、ニュースが炎上しているのを見ていると「ムジュラの仮面の大人の世界ってリアルだったなぁ」と思います。

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