ちょっとオカルト的な話になります。
「行ったことのある場所を一定期間思い続ける」ことが何回かあります。
そこに行きたいわけではありません。
用事もない。写真も撮ってない。インスタグラムもない時代。
きれいな場所でもありません。
思い出す場所はピンポイントです。
「母方の実家近くの線路橋の上のフェンスの角」とか
「友達の家に掛かっている木橋の下」とか
「水泳教室の外壁の上の部分」とか。
ちょっと具体的です。
繰り返しますが、その場所にべつだん用事はありません。
思い出深い場所でもありません。
ただ習い事とか遊ぶ際に目に映った背景の一角です。
でも、ずーっと思い出しています。
仕事中も誰かと話す時もご飯食べる時も。
写真で撮ったみたいに、画角は固定されています。
しかし、電車とか川の流れはあります。
線路には電車が走っていて、橋には小川が流れています。
プールの外壁の向こうも線路なのでたまに電車が通り過ぎます。
それは小学生〜高校生くらいの間に通りすぎた場所。
今ではまったく足を向けていません。
母方の実家とも、その友達とも疎遠です。
そして、ある一定期間を過ぎるとブームが過ぎたみたいに忘れます。
どうしてあの場所のことを、あのアングルで、一ヶ月以上も思い続けていたのか。謎めいています。
わたしは怪談話とか都市伝説とかネット・ミーム的なものが好きです。
ホラー映画もたまに見ます。
しかし、霊感はありません。
幽霊も見たことないし、超能力もないし、むしろ人の気持ちさえ分からない空気の読めないタイプです(涙)
オカルト的な話、と言いつつもオカルトとは関係ないかもしれません。
ただ、なんとなく昔の記憶を思い出しているだけ。
他に考えることがないから、適当な記憶を呼び続けているだけかも知れません。
その場所に行って、不可思議な現象に遭遇したり、何かを発見できたら面白いのですが、確かめに行ったことはありません。
思い出す場所はどれも自宅から微妙に行きづらい場所にあります。
「見に行った方がいいのかな」と思いつつ足を運べないまま終わります。
そしてブームが去っていく。
中でも強烈だったのが、「友達の家に掛かっている木橋の下」。
もっと詳しく言うと、木橋の下の小川の端っこの部分。
小学生の頃、友達と遊ぶときたまに渡っていたのですが(頻繁でもない)、ずーっとずーっと思い出していました。
もはや「思い出させられている」レベルでした。
あまりにもそのことを思い出すから
「霊感はないけれど、あの橋の下で小動物的な何かが死んでいるのかも知れないな」
と思いました。
なんで私に知らせてくるのか知らないけれど。
そして見にも行かないけれど。
マジだったら怖いし。
なんでしょうね。この現象。
スピリチュアルなの? それとも脳科学に関係してるの?
「水泳教室の外壁の上の部分」を最後に、ここ二年くらいは思い出し現象もおさまりました。
不思議な体験をすることも、幽霊もUFOも見ることもなく、ごく普通のインキャな日常を送っています。
そうそう、「母方の実家近くの線路橋の上のフェンスの角」。
結局、確かめに行かなくて、ブームが過ぎ去りました。
数年経った後、その場所を舞台にした「あすかちゃんが死んだ」という短編小説を書きました。
ブームが過ぎた後だったので、この短編を書くために思い出させられたとかではないです。
書かせられていたら怖いです。怨念を感じる。
「そういえば、あの線路のことをずっと思い出していた時期があったな。あそこを舞台にして小説でも書いてみるか」
というメタ認知的な思いで書きました。
思い出す何か。
なんで意味のない場所のことを思い出したりするんでしょうね。
結論もなくおわってしまいます。おわり。