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Instagramにいる謎の人

一年くらい前から、TwitterやInstagramで情報発信をしています。持ち得る知識がどこまで他人の「イイネ!」を獲得できるかを検証しています。(天野蒼とは違うアカウントで運用しています)

アナリティクスを覗いてみると、技術系の記事の閲覧数が多く、次いでフリーランスで稼ぐことやデザイナーとして働くことなど勤労論の記事の閲覧が多い。デザインに興味がある人がどんな視点で情報を集めているのかが知れて面白いです。SNSの種類によっても発信の仕方を変えないと、人の目に留まらない、というのはマーケティング系の本やブログによく書いてあることで。

twitterは発信内容にフォロワーがつくけど、Instagramは発信者にフォロワーがつく……という表面的な知識も、いざ実践してみるともっと細かな「地元ルール」があったりして、肌感覚で知ることの大切さを感じました。

Instagramを使っていくと、似たタイプの人から似たようなDMが届くようになりました。プロフィールに飛んでいくと、コピペかと思うくらい同じことが書いてあって

・20代 ホテル暮らし
・趣味は海外旅行
・会社にしばられない生き方がしたい

投稿されている写真はホテルのロビーだったり寝室だったりスタバだったり、とにかくラグジュアリーな写真が並びます。

twitterにいる「絵師クラスター」や「スプラトゥーン大好き勢」みたいな人たちと、一見似たような棲み分けに見えますが、彼らとの違いは趣味の一環ではなく、本人の生き方に準拠しているところでしょうか。

興味本位でその中の2.3人とDMのやりとりをしてみたのですが、最終的に全員に「気が合いそうなのでzoomでお話ししませんか?」と誘われました。

なんとなく、SNSを通してお金を稼ぎたいのかなと思うのですが、Googleでこういった人たちの特徴を検索に掛けてみても、情報が出てこない。

(ネットワークビジネス系の人たちの特徴を検索にかけると、被害者ブログとか対処法の記事などが出てくるのに)

zoomでお話ししていないので、結局この人たちの目的がなんなのか分からずモヤモヤしてしまう……そして、会社を退職し、ホテルに暮らし、海外を旅し、会社にしばられない生き方を実践している人たちがこんなにたくさんInstagramにいるのか、この日本に存在するのかという疑問も未解決でモヤモヤ。

私なりの見解を述べますと、SNSでただ単に知り合いを増やしただけでお金儲けに繋がるという考えは、甘いと思います。インスタグラマーと呼ばれる人たちは何かしら良い性質を持っていて、それを上手く外に出す力、人に興味を持ってもらう方法をしっかり研究している。投稿を読んでも面白い視点で発信さしている人が多いです。

ご縁というのは、お金を稼ぐのになくてはならないものだと思うけど、その前に対・人なので、相手が何を考えているのか、何もを求めているのか、自分は何を提供出来るのかを考えていかないとお金を招くほどの強い結びつきは得られないと思う。

まあ、そんなこと世の中のマネー本に腐るほど書いてあるので、こんなところでいちいち書くほどでもないと思うけども……。

同じように、デザインが出来るだけでは会社にしばられない生き方が出来るかというと、そんなわけもなく……。

閑話休題。

Instagramをやっている方、こんなDMを貰ったことありませんか? zoomでお話ししたりしましたか? この人たちは何がしたいんでしょうか?

知ってる人がいたら教えてほしい〜気になる〜。

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小説を書くときのもろもろ

最近書いている小説は、ざっくり言うと戦いと禊の話で、十五年くらい続けてようやく終わりが見えてきました。

半年〜一年くらい間を置いたり、猛進してずっと書いている時期もあったり、稼働→休止→再稼働の波が激しすぎてもうついてきてくださっている方もいないだろうと思います。
わたしの意地と心の安定のために書き続けています。
もっと軽くいうと「趣味中の趣味」というか。

まあ、小説を書くこと自体「趣味」なんだけど、その中でも「趣味」というか。

本当は、もっとドライにやっていきたいと思っているのですが、なかなか上手くいきませぬ。

靴底についたガムみたいに、自分の作品だからどんなに頑張っても切り離せない部分はあるけど、ある程度距離を保って生まれ出てくる世界を見ていたいのですが……

そのために、今書いている小説を完結することが今年から来年にかけてのプチ目標です。

そんな語りはどうでも良くて、

小説を書くときにいくつかのパターンがあることに気づきました。
書く過程というよりも、作品を思いつく時点での違いーー作品によって哺乳類と鳥類くらい、生まれる過程が違っている。
小説書きが好きな人は、もしかしたら共感してもらえるかな。どうだろう。

1.自分の中にいる誰かが語ってくる

2.小説になる一部のシーンが見える

わたしの場合、現実的な話を書くときは1、非現実な話を書くときは2のパターンで思いつきます。

1のパターンはよく言われる「登場人物が降りてきた」やつで、心に根付いた人物が何かを色々と喋り続けます。

「あたしは今こんな感じで、職業はこれこれで、こんな恋人がいる」みたいな、とにかく勝手に身の上話をしてくる。
それを二週間くらいメモを取りながら聞き続けて、話してくれなかった部分は、わたし(作者)のバイト先や学校の友達のエピソードで補足して一つの小説が完成します。

一人称で書かれた「純文学」的なわたしの小説はだいたいそんな感じで作ってます。

体感的に、この声は頭の中というより胸の奥の方から聞こえてくる感じがあります。時にはその人の部屋の情景が見えたりします(わたしはこれを密かに視界ジャックと呼んでいる)

25才を過ぎたあたりからあまり聞こえなくなってしまい、最近は誰も話しかけてくれない(涙)

いつかまた聞こえ始めるのかな……こればかりはちょっと分かりません。

2のパターンは世界の仕組みが見えたり、人物が遠巻きで見えたり色々です。
話の内容によって、芸能人が演じてるドラマだったり、ゲームっぽいグラフィックだったり、漫画のコマ割りが見えたり、アニメ調の女の子が動いていたりします。

三人称視点のエンタメ系の小説はだいたいこれで、出てくる人物の外見が曖昧なときは、今までに見てきたアニメやドラマからキャラクターを引っ張ってきて演じてもらいます。
二次創作に近いのだけど、設定も話の流れも元のアニメやドラマとは全く違うので、どちらかというと「スターシステム」という言葉が適切かも知れません(引っ張ってきたキャラクターはわたしの作品ではないけれど)。

なので、この手法で作った話のキャラクターにはだいたい元ネタがあります。

1のパターンは、何かが憑依して書いている感じが強いので、怒りながら書いたり、泣きながら書いたりして忙しないから疲れます。気分も暗くなるし。

確か大塚英志さんの創作論に書いてあったと思うのですが、物語は「不均衡→均衡」に向かうか「均衡→不均衡」に向かうかのどちらかで作られているそうです。
不均衡→均衡に向かう途中の物語だったら、気分もアンバランスになりますよね。

1のパターンを書いている時によく思い出していたのはNirvanaの「lithium」という歌の歌詞。

I’m so happy ‘cause today
I’ve found my friends
They’re in my head

なるほど、この幸せ感はちょっと分かります。

心情的に楽なのは2で、話も軽いしキャラクターが動くのを見られるので、サクサク書けます。推敲も楽しい。
キャラクターが不幸な目に遭っていても自分のことではないからいじらしいなと微笑んでしまう。

冒頭でお話した小説は2に該当していて、漫画のコマ割りで見えています。だから登場人物を想像すると吹き出しで喋っている。
劇画調っぽい話だから関連して劇画=漫画で出てきたのでしょうか。
イメージの所以を探っていくのも楽しいです。

1のパターンがここ数年ご無沙汰なのでそろそろ降りてきてほしいです。仕事と生活で忙しく、退屈している日が少ないからかも知れません。
あるいは、年をとって、ドラマチックな感情を想像できなくなっているのかも。

ドラマのような私生活とは無縁でいたいけど、頭の中で展開されるドラマが欲しいです。思春期限定の自己陶酔感が過ぎてしまったから降りてこないのかな。コロナのせいで心が無になりかけているだけだと思いたい。

……というわけで、今日はここまで。

すげー電波な話をし過ぎてしまって自分でも引いています。あまりこういうことを書く年齢でもないんだけど、もういいや(自棄)。

最近ハマっている自家製ヨーグルト食べてきます。

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Daokoさんの素敵

酔っていないと、ラブレターみたいなファンレターは書けない(なのでワインを飲みながら書いている)。

なんとなく深夜番組を観ていたら「東京モード学園」のCMが流れてきて、きらいきらいきらいきらいだいすきという独特な歌詞が耳を突き、それがDAOKOさんというアーティストの作品を聴いた初めてでした。

おお、なんだかすごいってかヤバイな……!

とまったく語彙力のない思考が脳内を蹂躙、テレビ画面下に表示されていたアーティスト名をググって、虜になるまでに大した時間は要しませんでした。
その頃、楽曲のサブスク配信は世間に浸透しておらず、私はCDショップを駆け巡って「DAOKO 」と名がつくCDを片っ端から借りました。
「daoko」と小文字の名義がつく作品は、インディーズレーベルで活動していた頃のものだと後で知りました。時系列は気にせず、気になるジャケットから聞いてみました。個人的な好みがあるから濃淡はあるのですが、何がしかの爪痕を心に残す。

この感覚は、なんでしょう。経験したことないのに経験しているような、謎の感じ。
アーティストが感じた体験を色褪せる前に作品に濃縮しているのか、とても濃いものが伝わってきてしまい、ぼんやりしながら道端で何度か転びかけました。

まるで夢の中にいるような音楽体験でした。

「ShibuyaK」という曲の中に「街にもキミにも思い出を重ね『エモい』で終わりじゃダサいしな」という歌詞があります。

すごく「エモい」のに「エモい」で終わらない。それは、作り手の死生観が巧みに織り込まれているからだと思います。幸福を歌った歌なのに幸福でなく、不幸を嘆く歌なのに不幸でなく、すべてが入り乱れてぐしゃぐしゃになりつつも美しく生きている心地がします。「生命の躍動」とか言うと大袈裟だけど、小さな鼓動がとび跳ねている。

Daokoさんの楽曲が美しいなと思うのは、息づいた歌詞の外側に死があるからかなと考えています。死生観が淡白というより、仏教の涅槃に近い印象です。この仮説は今後も検証予定(笑)

可愛らしい声質なのに、「アニメ声」などの一般的な定義に留まらないのは、複雑な歌詞もそうだけど、歌い方に深みがあるからでしょうか。
時には高級感さえ感じられる独特な高低差が耳に心地よい。

彼女の書く少女目線の(等身大なのかも知れない)歌詞の中で、達観している一文が出てきてハッとする瞬間を、声からも感じます。

最近Amazonで配信された「Daoko Live Unplugged in 草月ホール」を聴いているときも少女らしい可愛さと、煌びやかな高級感を感じました。
なんとなくソワソワしてしまうから、どんなに好きなアーティストでもライブ音源は苦手なんだけど、Daokoさんだけはちょっと特別。

ソワソワしてしまっても、その声を聞き逃したくないと思わせる魅力がある。まるで好きな子のどんな表情も見逃したくない、手中に収めてしまいたい感じと似ています。神がかり的なその音楽に首ったけです。

本音を言うと、メジャーの中盤くらいから「あれ?」と思う曲がぽつぽつあって、メジャー終盤はぽつぽつどころか、聴いていてハラハラするような、本人がやりたいことはこれじゃないのでは……と言う感じを勝手に受けていて(わたしが勝手に思っていただけですが)、少し離れた時期がありました。

しかし、昨年夏にYouTubeで配信されたライブを見て、あれすごい素敵になってる、と思ったら、現在はインディーズで活動しているそう。
今まで以上にイキイキしている感じがして、嬉しいです。

最近だと「fighting pose」という楽曲がお気に入りです。「fighting pose」というタイトルから、男っぽくアグレッシブな感じがしますが、実際の音源はふわりと可愛らしく陽気、それでいて芯の通ったしなやかな印象を受けました。

1ヶ月ほど前に配信されたyoutube LIVEでも「落ち込んだ時にfighting poseを聴いています。元気がもらえる」というようなコメントを目にしました。まさしく聴いているだけで何かを取り戻して行く感覚がある、パワーのある曲です。

これからどんな歌を歌うのか本当に楽しみだし、常に小さな衝撃を歌詞の中に仕込んでくるので、背筋を正して拝聴します。
ずっとずっと応援しています。

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