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失ってみないと分からない

先週、自宅の大掃除をしました。
洋服から家具まで、家中のありとあらゆる不用品を破棄売却。体感的に、所有品の70%は手放せたかと思います。靴下なんか一足残らず捨ててしまいました。現状、タイツ以外履いていくものがありません。

大掃除というより「殲滅戦」ーージェノサイドされた空間は、暴力的な欠落感が漂い、家主でも居心地が悪くなる静けさです。
感覚的なだけならまだしも、片付けを終えて、体調を崩したり、精神的なよるべなさを感じたりしました(ただし3日で治りました)。
ああ、あの洋服はもうないんだ……などという、亡き人を思う切なさみたいなものは全くないです。ただし、何かを傷つけた後の居心地の悪さを感じます。物が消えたからというだけでなく、空間自体をよそよそしく感じます。

思えば、掃除をした四日間はひたすら怒りに燃えて、物を捨てまくっていました。自分で決心して始めたにも関わらず、何かに取り憑かれたように。

私はどちらかというと、見栄えの可愛さ・美しさよりシステマティックなモノが好きで、賑やかさより静けさというか、洗練された家具や照明に魅了されるタイプです。
空間的には「田舎のおばあちゃんの家」や「汚いけど美味い飯屋」より「大きなホテルのラウンジ」「空港のコンコース」「BGMが静かな深夜のバー」など生活感のない場所にいると落ち着きます。
従って、モノを減らし人間味の薄れた現在の自宅はかなり住みやすくなっているはずです。この居心地の悪さは、単に物が減って不便になった(靴下ないし)心細さが原因だと信じたい。

戦争によって瓦礫の廃墟と化した街に一房の緑が芽吹くように、必要に応じたモノを購入していけば、やがて私だけの安心できる空間が創生されてゆくでしょう。まずは靴下が欲しい。

さて、この記事を読んでくださった読者諸氏の中には、破壊の限りを尽くす鬼神として、文字通り現存世界(汚部屋)を一掃したいと願う方もいるでしょう。
個人的な感想はこのくらいにして、今回の大掃除に使用した魔導書を紹介します。
この本には私的空間を破壊しつくす禁断の黒魔法が記述されておりますので、扱いには充分注意し、覚悟を決めた上でご使用なさってください。
これまでに手にした財産すべてを失っても、当方は一切の責任を負いません……。

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ヒトも歩ければヒトに当たる

写真はお友だちからもらったエロい耳かき。

電車の席に座るとき、だいたい不思議そうな人の前を選んで座ります。ぐるっと車内を見回して、目立つ人を見つけてみる。席が空いていなかったら、斜め向かいに立つとか、近距離に拠点を構えて偵察しちゃう(戦争か)。

不思議そうな人というのは、ファッション・センスが不思議な人、挙動が不思議な人、不思議な話を友達としている人……などです。
中でもファッション・センスが不思議な人に遭遇する確率が一番高いです。どんどん柔軟に、自己表現しやすくなっている世の中で、独自の世界を展開している人を見ていると嬉しくなります。独特にしても「明大前駅」と「銀座駅」ではファッションの系統が違うので面白い。山手線で、十代の女の子たちが髪の毛をピンクやブルーにしているのもきれいでかわいいです。

オタクが市民権を得たことも、わたしにとってはびっくりすることでした。何せわたしが高校生のころ、漫画部に入り浸っているのを人に見られただけで、犯罪を犯しているような、あるいは犯罪者予備軍ですよと示しているような気持ちがしていた(相手もそんな目で見ていたような)くらいなので、まさかこんなに気楽な世の中になるとは……と十代の子らがアニメTシャツをごく普通に着こなしているのを見るとびっくりします。オタクではなく、リア充っぽい子が!しかも、彼氏を連れている!
今ではオタクであることが普通というか、「推し」という言葉が日常会話でも使われていてすごいなぁと思います。たった10年ほどで変わるんだな時勢って。

はい、閑話休題。

先日風邪をひいたときに、病院で処方箋をもらいました。自宅近くには3カ所くらい薬局があって、どこで貰おうかなと迷っていたところ、なぜかひとつだけ、気になる店舗がありました。外観はどこにでもある普通の薬局屋なんですが、第六感が「ここにしなさい」と言っている。

いや、第六感とかいうと大袈裟なんですが、電車内で目立つ人(ちょっと問題児風の大人)が乗り込んできたときに「うわー、来るぞ来るぞ隣に座るぞ……ほら座った!」というささやかなアレと似たにおいを嗅ぎつけてしまい、入ってみますと……いた!
全身光沢白ジャージで、靴だけが黄金のピカピカしたNIKE、インナーシャツは虎柄で、首からポーチみたいなのをぶら下げているお爺さん。
すごい大声で薬剤師さんに絡んでいる。

こういう人を発見すると嬉しくなります。
そのお爺さん、ケンカしているわけではなくて、あくまでも本人はごく普通に世間話をしているのですが、明らかに音量と話す場所を間違えています。なんか、金ねぇんだよ薬ってなんでこんなに高ぇんだろうな!とか言っている。
常連さんらしく、薬剤師さんも慣れたもの。にこにこと話に乗ずるフリをしてあしらっています。うるさいけど穏やかな時間が流れていて、とても良いものを見たなと思いました。
お爺さんの派手さと元気さは、わたしからは程遠いものだけど、程遠い人が共存する世界を見ると平和を感じます。日常的に服用する薬をもらいにきていたみたいだけど、まだまだお迎えは来ないでしょうね。眼福です。

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運命線よ、教えて

小学生の頃から占いが好きです。当時「動物占い」が大流行していて、かわいいイラスト入りの本がたくさん出ていました。わたしも「動物占い」の本をいつでもどこでも持ち歩いて、周りの人を占っていました。みんな「当たってる〜」とか「う〜ん」とかいうリアクションで、一応聞く耳を持ってくれていました(優しい!)。

わたしは未だに誰かを占いますし、誰かに占ってもらうのも大好きです。

直近で占ってもらったのは、横浜中華街の占い屋さん。算命学で観てもらいました。なんと適職はパティシエだそうです(小学生女子の憧れ!)。
色々な占いをやってみると分かるんですが、占術によって出てくる結果が全然違います。同じジャンルの占いでも、占う人によって言われることが全然違います。
真反対の答えが出ても、わたしはあまり気にしません。
へー、そうなんだ〜と、矛盾した結果を普通に受け入れます。色々な可能性があって面白いなと感じる。
お金を払っておきながら、実りが薄くて勿体無いじゃないかという人もいます。占いが苦手な人は、人によって解釈が違う曖昧さが苦手なのかなと思います。
わたしの場合、結果よりも、過程よりも、占い師さんが語るIF世界の話を聞きに行っている感覚が強いです。
パティシエになったわたし、法律事務所の事務員になったわたし、男に貢ぐだけ貢いで遊ばれているわたし(1ミリも身に覚えがないのに説教をされた)……想像すると、面白くないですか? なんだか別の世界線にそういう自分が生きているみたいで。
特に適職鑑定だと、あらゆる可能性の中から今の自分を掘り出したんだな、とちょっとだけ現状をありがたく感じることも。
「あなたが生まれた時、天体はこの位置にあったので、こういう感じの人ですね」なんて、占い以外で話すことはほとんどないといます。家族や友達や職場の人とは、まずこういう話はしません。
日常生活において、するはずのない話も、水晶玉を通してなら交わせる。
わたしは占いを通じて発生する物語を聴きに行っているのかもしれません。
また、占い師さんによってアドバイスに個性があって、こういう見方もできるのか〜と感心することが多くあります。占術を知っている占いだと「ここにこの星があるからこういうことを言っているんだな」と構造の部分で分かったりするけれど、伝え方や言い回し、その星と関連する事象の当て方、というのがやはり十人十色で、占いって深いな〜と思う。

ちなみに前述の占い師さんに、
「小説を書くのが好きで、現職はデザイナーなのですが、クリエイター系はどうでしょう?」と聞いたところ、
「あれっ!? 全然向いてないね! なんでやってるの?」とバッサリ(笑)
これまでに色々な占いをしたけれど、「芸術家気質の人ね〜!」とは、一度も言われたことない気がする(笑)

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