menu

運命線よ、教えて

小学生の頃から占いが好きです。当時「動物占い」が大流行していて、かわいいイラスト入りの本がたくさん出ていました。わたしも「動物占い」の本をいつでもどこでも持ち歩いて、周りの人を占っていました。みんな「当たってる〜」とか「う〜ん」とかいうリアクションで、一応聞く耳を持ってくれていました(優しい!)。

わたしは未だに誰かを占いますし、誰かに占ってもらうのも大好きです。

直近で占ってもらったのは、横浜中華街の占い屋さん。算命学で観てもらいました。なんと適職はパティシエだそうです(小学生女子の憧れ!)。
色々な占いをやってみると分かるんですが、占術によって出てくる結果が全然違います。同じジャンルの占いでも、占う人によって言われることが全然違います。
真反対の答えが出ても、わたしはあまり気にしません。
へー、そうなんだ〜と、矛盾した結果を普通に受け入れます。色々な可能性があって面白いなと感じる。
お金を払っておきながら、実りが薄くて勿体無いじゃないかという人もいます。占いが苦手な人は、人によって解釈が違う曖昧さが苦手なのかなと思います。
わたしの場合、結果よりも、過程よりも、占い師さんが語るIF世界の話を聞きに行っている感覚が強いです。
パティシエになったわたし、法律事務所の事務員になったわたし、男に貢ぐだけ貢いで遊ばれているわたし(1ミリも身に覚えがないのに説教をされた)……想像すると、面白くないですか? なんだか別の世界線にそういう自分が生きているみたいで。
特に適職鑑定だと、あらゆる可能性の中から今の自分を掘り出したんだな、とちょっとだけ現状をありがたく感じることも。
「あなたが生まれた時、天体はこの位置にあったので、こういう感じの人ですね」なんて、占い以外で話すことはほとんどないといます。家族や友達や職場の人とは、まずこういう話はしません。
日常生活において、するはずのない話も、水晶玉を通してなら交わせる。
わたしは占いを通じて発生する物語を聴きに行っているのかもしれません。
また、占い師さんによってアドバイスに個性があって、こういう見方もできるのか〜と感心することが多くあります。占術を知っている占いだと「ここにこの星があるからこういうことを言っているんだな」と構造の部分で分かったりするけれど、伝え方や言い回し、その星と関連する事象の当て方、というのがやはり十人十色で、占いって深いな〜と思う。

ちなみに前述の占い師さんに、
「小説を書くのが好きで、現職はデザイナーなのですが、クリエイター系はどうでしょう?」と聞いたところ、
「あれっ!? 全然向いてないね! なんでやってるの?」とバッサリ(笑)
これまでに色々な占いをしたけれど、「芸術家気質の人ね〜!」とは、一度も言われたことない気がする(笑)

シェアしてくれたら嬉しいですー

Instagramにいる謎の人

一年くらい前から、TwitterやInstagramで情報発信をしています。持ち得る知識がどこまで他人の「イイネ!」を獲得できるかを検証しています。(天野蒼とは違うアカウントで運用しています)

アナリティクスを覗いてみると、技術系の記事の閲覧数が多く、次いでフリーランスで稼ぐことやデザイナーとして働くことなど勤労論の記事の閲覧が多い。デザインに興味がある人がどんな視点で情報を集めているのかが知れて面白いです。SNSの種類によっても発信の仕方を変えないと、人の目に留まらない、というのはマーケティング系の本やブログによく書いてあることで。

twitterは発信内容にフォロワーがつくけど、Instagramは発信者にフォロワーがつく……という表面的な知識も、いざ実践してみるともっと細かな「地元ルール」があったりして、肌感覚で知ることの大切さを感じました。

Instagramを使っていくと、似たタイプの人から似たようなDMが届くようになりました。プロフィールに飛んでいくと、コピペかと思うくらい同じことが書いてあって

・20代 ホテル暮らし
・趣味は海外旅行
・会社にしばられない生き方がしたい

投稿されている写真はホテルのロビーだったり寝室だったりスタバだったり、とにかくラグジュアリーな写真が並びます。

twitterにいる「絵師クラスター」や「スプラトゥーン大好き勢」みたいな人たちと、一見似たような棲み分けに見えますが、彼らとの違いは趣味の一環ではなく、本人の生き方に準拠しているところでしょうか。

興味本位でその中の2.3人とDMのやりとりをしてみたのですが、最終的に全員に「気が合いそうなのでzoomでお話ししませんか?」と誘われました。

なんとなく、SNSを通してお金を稼ぎたいのかなと思うのですが、Googleでこういった人たちの特徴を検索に掛けてみても、情報が出てこない。

(ネットワークビジネス系の人たちの特徴を検索にかけると、被害者ブログとか対処法の記事などが出てくるのに)

zoomでお話ししていないので、結局この人たちの目的がなんなのか分からずモヤモヤしてしまう……そして、会社を退職し、ホテルに暮らし、海外を旅し、会社にしばられない生き方を実践している人たちがこんなにたくさんInstagramにいるのか、この日本に存在するのかという疑問も未解決でモヤモヤ。

私なりの見解を述べますと、SNSでただ単に知り合いを増やしただけでお金儲けに繋がるという考えは、甘いと思います。インスタグラマーと呼ばれる人たちは何かしら良い性質を持っていて、それを上手く外に出す力、人に興味を持ってもらう方法をしっかり研究している。投稿を読んでも面白い視点で発信さしている人が多いです。

ご縁というのは、お金を稼ぐのになくてはならないものだと思うけど、その前に対・人なので、相手が何を考えているのか、何もを求めているのか、自分は何を提供出来るのかを考えていかないとお金を招くほどの強い結びつきは得られないと思う。

まあ、そんなこと世の中のマネー本に腐るほど書いてあるので、こんなところでいちいち書くほどでもないと思うけども……。

同じように、デザインが出来るだけでは会社にしばられない生き方が出来るかというと、そんなわけもなく……。

閑話休題。

Instagramをやっている方、こんなDMを貰ったことありませんか? zoomでお話ししたりしましたか? この人たちは何がしたいんでしょうか?

知ってる人がいたら教えてほしい〜気になる〜。

シェアしてくれたら嬉しいですー

小説を書くときのもろもろ

最近書いている小説は、ざっくり言うと戦いと禊の話で、十五年くらい続けてようやく終わりが見えてきました。

半年〜一年くらい間を置いたり、猛進してずっと書いている時期もあったり、稼働→休止→再稼働の波が激しすぎてもうついてきてくださっている方もいないだろうと思います。
わたしの意地と心の安定のために書き続けています。
もっと軽くいうと「趣味中の趣味」というか。

まあ、小説を書くこと自体「趣味」なんだけど、その中でも「趣味」というか。

本当は、もっとドライにやっていきたいと思っているのですが、なかなか上手くいきませぬ。

靴底についたガムみたいに、自分の作品だからどんなに頑張っても切り離せない部分はあるけど、ある程度距離を保って生まれ出てくる世界を見ていたいのですが……

そのために、今書いている小説を完結することが今年から来年にかけてのプチ目標です。

そんな語りはどうでも良くて、

小説を書くときにいくつかのパターンがあることに気づきました。
書く過程というよりも、作品を思いつく時点での違いーー作品によって哺乳類と鳥類くらい、生まれる過程が違っている。
小説書きが好きな人は、もしかしたら共感してもらえるかな。どうだろう。

1.自分の中にいる誰かが語ってくる

2.小説になる一部のシーンが見える

わたしの場合、現実的な話を書くときは1、非現実な話を書くときは2のパターンで思いつきます。

1のパターンはよく言われる「登場人物が降りてきた」やつで、心に根付いた人物が何かを色々と喋り続けます。

「あたしは今こんな感じで、職業はこれこれで、こんな恋人がいる」みたいな、とにかく勝手に身の上話をしてくる。
それを二週間くらいメモを取りながら聞き続けて、話してくれなかった部分は、わたし(作者)のバイト先や学校の友達のエピソードで補足して一つの小説が完成します。

一人称で書かれた「純文学」的なわたしの小説はだいたいそんな感じで作ってます。

体感的に、この声は頭の中というより胸の奥の方から聞こえてくる感じがあります。時にはその人の部屋の情景が見えたりします(わたしはこれを密かに視界ジャックと呼んでいる)

25才を過ぎたあたりからあまり聞こえなくなってしまい、最近は誰も話しかけてくれない(涙)

いつかまた聞こえ始めるのかな……こればかりはちょっと分かりません。

2のパターンは世界の仕組みが見えたり、人物が遠巻きで見えたり色々です。
話の内容によって、芸能人が演じてるドラマだったり、ゲームっぽいグラフィックだったり、漫画のコマ割りが見えたり、アニメ調の女の子が動いていたりします。

三人称視点のエンタメ系の小説はだいたいこれで、出てくる人物の外見が曖昧なときは、今までに見てきたアニメやドラマからキャラクターを引っ張ってきて演じてもらいます。
二次創作に近いのだけど、設定も話の流れも元のアニメやドラマとは全く違うので、どちらかというと「スターシステム」という言葉が適切かも知れません(引っ張ってきたキャラクターはわたしの作品ではないけれど)。

なので、この手法で作った話のキャラクターにはだいたい元ネタがあります。

1のパターンは、何かが憑依して書いている感じが強いので、怒りながら書いたり、泣きながら書いたりして忙しないから疲れます。気分も暗くなるし。

確か大塚英志さんの創作論に書いてあったと思うのですが、物語は「不均衡→均衡」に向かうか「均衡→不均衡」に向かうかのどちらかで作られているそうです。
不均衡→均衡に向かう途中の物語だったら、気分もアンバランスになりますよね。

1のパターンを書いている時によく思い出していたのはNirvanaの「lithium」という歌の歌詞。

I’m so happy ‘cause today
I’ve found my friends
They’re in my head

なるほど、この幸せ感はちょっと分かります。

心情的に楽なのは2で、話も軽いしキャラクターが動くのを見られるので、サクサク書けます。推敲も楽しい。
キャラクターが不幸な目に遭っていても自分のことではないからいじらしいなと微笑んでしまう。

冒頭でお話した小説は2に該当していて、漫画のコマ割りで見えています。だから登場人物を想像すると吹き出しで喋っている。
劇画調っぽい話だから関連して劇画=漫画で出てきたのでしょうか。
イメージの所以を探っていくのも楽しいです。

1のパターンがここ数年ご無沙汰なのでそろそろ降りてきてほしいです。仕事と生活で忙しく、退屈している日が少ないからかも知れません。
あるいは、年をとって、ドラマチックな感情を想像できなくなっているのかも。

ドラマのような私生活とは無縁でいたいけど、頭の中で展開されるドラマが欲しいです。思春期限定の自己陶酔感が過ぎてしまったから降りてこないのかな。コロナのせいで心が無になりかけているだけだと思いたい。

……というわけで、今日はここまで。

すげー電波な話をし過ぎてしまって自分でも引いています。あまりこういうことを書く年齢でもないんだけど、もういいや(自棄)。

最近ハマっている自家製ヨーグルト食べてきます。

シェアしてくれたら嬉しいですー