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鬱展開が好き

見た人の気持ちをどんよりさせる暗い話が好きです。

ネットスラングで「鬱展開」と言うらしい。

話が進むにつれて気持ちが荒んでくる、あんまり幸福ではないシナリオ。

途中で主要人物たちが苦労する感じ。それも並大抵の苦労でなければないほど良いです。苦労が報われても報われなくても良いです。結末は逆転喜劇でもそのまま悲劇でも構わない。

特に生命危機に見舞われた人たちの内面に興味があります。心の動きというのか。

身体的残酷さ(スプラッターやグロテスク)より、精神的打撃に興味があります。

その壁が立ちはだかったとき、人の心がどんな風に動くのか。

心の動きにともなって、どんな行動を起こすのか。

とても気になります。

⁠⁠2003年に「幸福の王子」というテレビドラマ⁠⁠が放送されました。

名家に生まれた裕福な医学生(本木雅弘さん)とヒロイン(菅野美穂さん)が、回を重ねるごとに⁠⁠転落していくストーリー。⁠⁠
序盤の二人は恋人同士で、実家はお金持ちで、将来は医者になるだろうと期待されている。主人公もヒロインも育ちが良くてとても穏やか。

ところが、友人の裏切りを発端に、色々な形の暴力に何度もさらされ、夢もお金も健康も、ようやく手入れた愛する人たちも死に、精神的におかしくなって、裏社会や精神病院へ行ってしまう。

最終的に人間としての尊厳も剥奪されかけるすごい話です。

SEXシーンや暴力シーンがかなり過激で、当時小学生だった私には強烈すぎる代物でしたが、「わあ、美しい話だなぁ。失われ続けている」と夢中で見ていました。

一話ごとに必ず大事なものを損なう・奪われる・失われる。

人生で一回訪れれば不幸だと感じる悲劇が、手を変え品を変え、雪崩のごとく降りかかってくる(笑)

個人的な鬱展開作品史に名を残す金字塔で、好きなドラマの三指に入っています。

「魔法少女まどか☆マギカ(アニメ)」とか
「ぼくらの(アニメ)」とか
「メメント(洋画)」とか
「パンズ・ラビリンス(洋画)」とか。

生命危機的な鬱展開。
タイトルをあげだすと枚挙にいとまがありません。

「マズローの五段階欲求」でいうところの、第1段階とか第2段階のギリギリラインで語られる話が好きなんです。生命とか肉体とか食事とか住処とか生殖に関わる問題が。
人間のみならずすべての動物に共通していて、「動物としての人間」が垣間見えるとグッときます。

もう少し高い階層の「社会的欲求」や「承認欲求」など、他者が関わってくる段階の話も人間の闇が見れて面白いけれど、そこで感じる本質は「人間は動物ではなくて人間なんだな」というものです(良いとか悪いとか高尚とか卑俗とかいう話ではない)。

「アメリカンドリームを掴んだ男の実話」とか
「SNSの裏側でやりとりされる人間模様」とか、
秀逸なシナリオは、すごく面白いんですけど、テーマ的にあまり興味がない。

単純に死線をさまよえば良いという話ではなく、たとえば戦争映画なんかで
「気づいたら隣の兵士が死んでいた」とか
「爆弾がピカっと光って全滅」
などの表現は、あっけなさすぎて心を素通りしていきます。
その表現のみでは具体的すぎてしまい、暴力の花火を見ているように感じます。
壮絶に爆ぜたものを「見た」だけというか……⁠⁠。

「SAW」などのスプラッター映画も身体的に痛そうで見ていられません。
生きるか死ぬかの戦いをしているはずなのに、戦争や銃撃戦、デスゲームはちょっと違う。現実からかけ離れすぎていて、わたしの貧弱な感性では受け止め切れません。

「戦争が現実からかけ離れている」と書けるのは、この国ならではの幸福なことですが、

わたしが求める「鬱展開」は、あくまで死に近づいた人の「心の動き」と「心の動きにともなう行動」です。

直近の作品で良い「鬱展開」作品を挙げられれば良いんだけれど、あんまり出会えていません……。

余談になるかも知れないけれど、

ソーシャルゲームの「NieR Re[in]carnation」をやっています。

だいたいの登場人物が悲劇的な死を迎える、陰惨な雰囲気のゲームです。

ただ3話で語られる悲劇なので尺が短めです。

主人公が語り部であるものの「少年は〇〇しました」とか「女は〇〇と思いました」と客観視する描写法をとっていて、フルボイスなのに主観にともなう感情的な演技は一切なし。

「鬱展開」というよりは、「悲しい寓話」という作り方です。

コンシューマーではなくソーシャルゲームなので、登場人物の一人ひとりを深掘りすると集金が難しいのかも知れません(ガチャ的に)。

惨劇に見舞われた主人公の心理描写や心情吐露が激しいと、ユーザーをふるいにかけてしまうし、ソシャゲならではの重くなりすぎずに特殊性を出す、匙加減が難しそう。

「NieR Re[in]carnation」の楽しみ方は難易度が高いです。

私の使っているキャラクターたちは、既に本筋で非業の死を遂げました。死んだ後でプレイアブル化し、育成が始まる感じです。

これ、どうすればいいんでしょうか……。

さくっと死んでしまうので、特に感情移入もないし、惨死が決定づけられているキャラクターを育成するやるせなさは、どこに持っていけばいいんでしょうか……。

まあ、それでいいのかな……。

ヨコオタロウさんのゲームだし……(これですべてが片付いてしまう)。

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インハウスデザイナーの日常

インハウスデザイナーとして働いている。

インハウスデザイナーとは、

「デザイン部」とか「WEB制作部」とか「企画部」とか「○○ソリューション部」とかの名前がついた部署に所属するデザイナーだ。

デザイナーというか、事業会社の会社員(WEB制作会社ではない)。
基本的に上司から振られた仕事をやる。

「〇〇部のイベントに使う〇〇をデザインして欲しいんだけど、〇〇日までにできる?」

とか言われて、仕事を振られる。

仕事を振られた瞬間は、ちょっと嫌な気分になる。

わたしはデザイナーとしての情熱が薄いので、仕事を振られると「面倒くさいな」と思う。
だいたいの会社員が思うことを、だいたいの案件で普通に思う。

早く帰りたいと思う。
早く18時になんないかな……。

と思いつつ、だいたいの会社員と同じく、だいたいのことをやる。

たまに、計画不足の案件で行き倒れて、作ったものが無駄になる。

「ごめん!〇〇日に使う予定だった〇〇部のイベントの〇〇をデザインしてくれって頼んだけど、イベントなくなっちゃった!」

と言われたりする。

あー、と思う。

まあ、いいか。作っている間は楽しかったし、と思う。

何より、案件があってもなくても、わたしの月給変わらないし、と思う。

趣味で小説を書いている。

しかし、デザインソフトを使いながら、小説のネタは考えられない。

デザインをしているときと、小説を書いているときは同じ脳みその部位を使っている気がしている。

作業しながら、ストーリーの続きを考えたり、キャラクターの設定を妄想することはできない。

同じWEB業務でも、

デザインは思考作業で、コーディングは身体反射という感じがする。

どちらが良いとか、どちらが偉いとかいう話ではない。
脳の使う部位の違いだ。

デザインは「ぷよぷよ」で、
コーディングは「大乱闘スマッシュブラザーズ」だ。

もうこのタイトル古いか。でも、そんな感覚に近い。

だいたい何かをデザインしているとき、頭の中では「あー」と思っている。

「あー」と思いながら「早く18時になんないかな……」というのは常に思っている。

おそらく弊社社員の99%は常に思っている(1%は社長)。

15時くらいから眠気がやってきて、
ぶつぶつと独り言をつぶやきはじめる。

「やば……」「つら……」「あー」「あーね」「うんうん」「表示されない」「落ちた」「チッ(舌打ち)」

とか言っている。

周囲に人がいないのを良いことに、最近は朝から独り言をつぶやいている。

通りすがった別部署の人は、もはや何も言わない。

他部署から、当部署は変人ばかりだと思われているので、誰も話しかけてこない。

距離をとられ、隔離されている感がある。
刑務所の中でも、独房みたいな。

同じ部署の同僚たちはぜんぜん気にしていない。

入社したてのころ、わたしは当部署を「アベンジャーズ」と呼んでいた(心の中で)。

今では「スーサイド・スクワット」に近い気がしている。

8時間くらい経つ。

弊社の素晴らしいところは、勤務時間終了とともに退社できるところだ。

インハウスデザイナーの良いところ。
作るものが自社の制作物なので、締め切りがあまりない。

0時にWEBサイトをアップとか、締め切り当日にぎりぎり入稿みたいなのはまずない。

光の速さで帰る。

いや、経理のおばさんたちを優先させる。

彼女たちがタイムカードを押してから帰る(弊社はタイムカード制)。

目をつけられたらやばい。
あの部署は内部の人間関係がドロドロしていることで有名だ。

音の速さで帰る。

今日も仕事したな、と思う。

そのあとで、仕事したかな? と思う。

まあ、なんでもいい。
わたしの月給は変わらない。

早く給料日来い、と思いながら家路に着く。

(以降、繰り返し)

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荒野の狼さん

個人主義といえばかっこいいけど、フツーにKYなわたしは集団が苦手です。

ビジネスで仕方なく組まなければいけないチームならまだしも、個人的な付き合いでも「いつものメンバー」という人たちはいません。

いつもライブに行く友達とか。
いつもランチする友達とか。
いつもバーベキューする仲間とか。

何かのイベントするならこいつらと! みたいなのは、憧れつつも皆無です。

わたしの出身は「マイルドヤンキー」発祥の地で、地元の絆が強いです。
学生時代は「〇〇先輩の知り合いが〜」みたいな話がたくさん出てきました。

友達が先輩と付き合っていたとき、「私の彼氏の〇〇先輩の友達の××先輩を紹介するからみんなで遊ぼうよ」と遊んだこともあります。マイルドヤンキー流のダブルデートです。

(このデートですごいマヌケな事件が起こりましたが、それはまたいつか)。

スポーツチームに入っていると顕著です。ヤンキーならなおさら顕著です。師弟関係が学校を卒業しても続く人がいます。

〇〇先輩からさらに人脈が広がっていく、みたいな。

我が兄弟たちはスポーツマンタイプで、「いつものメンバー」がすごく多いです。

中学・高校・大学ごとに「いつものメンバー(一緒にサッカーしていた仲間)」がいて、
たまに学校別や他兄弟の「いつものメンバー」たちが入り混じってバーベキューを行っています。コミュ力と人脈がものすごい。

兄弟も含めて、彼らのマイメンはみんな大らかで優しいです(たまにバーベキューに誘ってくれて肉を焼いてくれます)。

そんなマイルドヤンキー育成地区で育ったはずなのに、わたし自身は集団が辛くて仕方がありませんでした。

ギーク趣味のせいか、インキャな性格のせいか分かりませんが、
「みんなでやること」
がすごく苦手でした。

高校時代は漫画を描く部活に所属していましたが、部員と漫画やアニメを語るのも苦手で、バイトのない日は授業後に直帰して一人で漫画を描いていました。

みんなは部室で漫画を描きながら、部活動の時間に描き終わらなかった分は家に持ち帰って描いていたようです。

そんな活動を一年ぐらい続けて、二年目から幽霊部員になって原稿を落としまくり、いるんだかいないんだか分からない感じになっちゃいました。

卒業まで在籍していたのかな? 美術部にも幽霊部員で在籍していたけれど、いちばん真剣にやっていたのは帰宅部です。

学校の集団行動といえば、高校の文化祭の準備。
クラスでやるお店の飾り付けとか、部活でやる展示とか色々。

準備はまだしも、「みんなでやる」のが本当にきつく、
クラスメイトには「漫画部の展示手伝わなきゃ」と言って逃げ、
漫画部には「クラスの出し物の準備が忙しくて」と言って逃げ、
文化祭当日は別の高校の文化祭に行って姿をくらましていました。

誰にも追われていないのに逃亡者です。

今でこそ「なんであんなに逃げたかったんだろう?」と不思議に思います。いじめられた記憶もないし、周りのみんなはとても気さくで優しかった。

ただ、40人くらいのクラスメイトに「わたし」という存在を把握されるのがきつかったのだろうと思います。

「嫌い」とか「面倒くさい」というよりも、なんかきついんです。大きなグループが。なんででしょうね。

「ちょっとお腹が痛くても我慢しなきゃいけない」とか
「だいたい口角を上げていなきゃいけない」とかがしんどいんですかね。
結局、ワガママなんだと思う。幼稚というか……。

それでも大人になって、ほんの少しだけ免疫と気遣いができてきました。

会社に入社すると否でも集団にそぐわないといけないので、なんとかしました。

挨拶をするとか、天気の話をするとか、なんか謝っとくとか。

それでも心の中のむずむず感は常にあって、いろんな人が並列した机でデスクワークをしていると、高校時代の文化祭の準備みたいに逃げ出したくなります。

作業に集中できないし、逆に集中すると雑談したほうが良いのかなとか色々考えちゃって。

一つの会社に通い続けるのも、正直きついです。
なんか人柄を知られていくのがね。
「まーた〇〇さんだよ」とか「〇〇さんのことだししょうがないか」という許しとか優しさがね。

誰にでもあることだし、甘えて、笑い話にして流れてゆくゆるさも積み重なると、把握されている感じがして、きついんです。
一定の距離を保ち続けるのは難しいから、ある程度のところで逃げていたい。

銭形警部に捕まって、牢屋にちょっと入れられても、すぐに逃げちゃうルパンみたいな。

そんな面倒くさい性格のわたしでも付き合いを続けてくれる優しい友達が数人います。
10年以上友達でいてくれて、「いつものメンバー」ではないけれど、数ヶ月〜一年に一回のスパンで飲んだり遊んだりしています。

彼らもだいたい一匹狼で、だいたい何かを創る系の人たちで、孤独(だと思う。創作者は孤独)にもくもくと何かを創っています。

創る系の人ではない友達は、職人的に仕事や家事や育児をこなして、個人的な趣味をたしなみ、たまにTwitterをつぶやきます。

群れをなさない狼たちが、たまに会って近況報告や情報交換をしつつ、並走している感じです。

持ちつ持たれつで、こちらの孤独癖を察してくれる思いやりと、持たれてきたらちょっと距離を取る厳しさと、それでも人間としての優しさや人格が備わっている良い友達ばかりです。

わたしにそういうものが備わっているか分からないけれど、たまに話をした後でいつも幸せな帰路についています。

お友達狼たちよ、いつもありがとう。

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