「ギーゥト締めない事」という張り紙がタンスに貼られていました。
タンスの、小さな扉の一つに。
どうやら完璧に戸締まりすると、歪んだ木枠にドアがハマって、開くのに苦労するようでした。
だから、「常に半開きにしておいてください」、という意味を込め、ウチのトミさん(祖母)が「ギーゥト締めない事」と張り紙していたのです。
「ギーゥト」という謎の言語が、「ぎゅっと」を示していると気づいたのは、数年後のことでした。
タンスは脱衣所のそばにあったので、服を着たり脱いだりするときに、何となく目に入るだけ。日常生活に溶け込みすぎていて、文章の深い意味とか考えなかった。
そもそもそのタンスに入っているのは、トミさんの衣類だけだから、他の家族が手を触れる理由はなく、すると、あの張り紙は誰に向けて書いていたのか? 個人的なメモ? それにしては、「この橋渡るべからず」みたいな、威厳のある字の太さだったが……。
ジェネレーションギャップを超えて、50歳くらい年の離れた人の世界観を見るのは、楽しいですね。
思想ではなく、世界観。
考え方、ですらないところがミソです。
(念のため)馬鹿にしているわけではなく、シルバーパスとショッピング・カートを握りしめ、我が道を行くおばあさんたちは、インターネットに溺れているわたしからすると、骨太な独自世界を築き上げているように見えます。
なんだか、古代の偉大な文化を目の当たりにしているような感覚に陥る。
今は亡き大叔母さまの家は、独自の世界観の宝庫でした。
手作りの小物入れや如雨露、仏壇周りの道具(これも手作り)、風呂に入った後必ず浴槽に散った水滴を拭き上げるとか、とにかく大叔母さまの小宇宙が展開されていてとても好きでした。
一人暮らしの大叔母さまは、毎朝窓のシャッターを開ける事で、自分が今日も生きていることを近所に知らせていました。
シャッターが開かなかったら、自分が病気で倒れているから助けに来てほしいという合図にしていたそうで、実際にシャッターが開いていないのを見た近所の人が倒れている大叔母さまを発見して救急車を呼んだという、天晴れな独自ルールは真似ようにも真似できません。
なんだか話がシリアスな方向に向かってしまいましたが、最後にひとつだけ。
最近見かけたおばあさまの、独自文化を紹介しましょう。
それは市民バザーに出店していたときのこと。
わたしが売る美少女フィギュアを手に取ったおばあさまがいました。推定・80歳くらい。
「かわいいお人形さんねぇ。お手洗いに飾りましょ」と某・魔法少女を即断でお買い上げ。
「美少女フィギュア」という概念すら知らないけれど、可愛いお人形だからトイレに飾る……すごい。
オタクにはない考え方に、衝撃を受けました。
おばあさまの世界観の一部を、わたしの美少女フィギュアが形作っている(そしてトイレを可愛くしている)と思うと、今でも胸が熱くなります。
おばあさまってすごいなぁ。