5 「そうじゃない。オレはただ、近づいて欲しくないだけだ」 「どうして?」 ま、理由は分かるんだが。 「探偵っていうけれど、素性もよく分からない怪しい人間を、家族に近づけさせるわけにいかない」 「家族」か。確かに昔の俺が言い出しそうな建前ではあるな。 ここらでちょっと核心をついてみるか。 「そいつは正義に見せかけたエゴだな。かっこいいことを言って、君は好きな子を独り占めしたいだけだ」 かつての俺――ナギの顔は照れと怒りと焦りで真っ赤になった。泣きたいくらい本心なのがバレバレだ。そんな風にあからさまに傷ついた顔をされると、こっちまで恥ずかしくなってくる。 同族嫌悪……じゃなくて同一人物嫌悪っていうのか? こういうの? 「オレたちはただの友達! それ以上でも、それ以下でもないっ!」 七年前の自分に、できれば会わずに済ませたかったが、ひょんなことから会ってしまった。というか、ナギの方から「曼荼羅ガレージ」に突撃してきた。 世界広しと言えども、過去の自分と言い争いのできる人間は滅多にいないだろう。 貴重な感想を述べると、「恥ずかしい」。 何とか表に出さないようにしているけれど、本当は床を転げまわりたいくらいに恥ずかしい。不器用で、全方位に攻撃的で、自分のことで手一杯のやつは手に負えない。 頼むからもう少し大人になってくれよ、オレ。 ユークが現れたのはそんなときだ。 俺とオレとのやりとりを見つめる、その視線が絶対零度に冷たく感じるのは気のせいか? 「昔の自分と不毛な戦いを繰り広げられるほどあなたは暇人だったかしら?」 ……気のせいじゃなかった。 性格の悪い学校の先生みたいに、嫌味を込めた反語的な問いかけでユークが尋ねる。 これは何を言っても冷たい眼差しを返されるのがオチだな……っていうか今、ユークに話しかけている場合じゃないし。 どうやら、ユークの姿は俺以外には見えないようだ。ナギはユークに目もくれず、核心を突いた俺の弁舌にひたすら圧倒されている。 探偵稼業も長く経つと口が立ってくるんだよな。おまけに洞察力までついて、少し話しをするだけで相手が誇りに思っていることや、触れてほしくない話題、利用するための口実が分かってしまったり。 こんな大人になるなよって言いたいけれど、目の前にいる青二才は、俺なんだよなぁ……。 残酷だねぇ、時の流れってやつは。 「時の流れは残酷だね、なんて古い歌謡曲みたいな感傷に浸っている場合じゃないのよ」 ここにもいたよ、洞察力の鋭いやつが。 ユークがゆるりと宙を舞い、俺とナギとの間に割って入る。銀に反射する前髪の間から大きな目が俺を捉えた。彼女は苦しげだった。現実で会ったときと違う、人間とまったく同じその目は焦燥に駆られていた。 凄まれて、たじろぐ。 「私達には時間がないのよ」 「……いたいっ!」 そのとき、聞き覚えのある声が聞こえた。裏口のドアが少しだけ開いていて、その向こうに身をかがめたセツナが見えた。セツナがなだめすかす先には幼い妹の姿がある。 この賑やかさじゃ、ネムルが目覚めるのも時間の問題だ。 「灯台守は……生きているのかも知れない」 小さなつぶやきを残し、俺にしか見えない半透明の少女は、俺にも見えない透明な空間に姿を消した。 商業区と居住区を往復する船に乗り込んだのは、それから二週間後のことだ。 七月二十一日。うちの高校の、夏休みの第一日目。 朝一の船に乗ったはずだが船内はお年寄りで満員だった。わずか十分ほどで対岸に着く船のデッキからレムレスを眺めていると、再びユークが現れた。眉を吊り上げてご立腹の様子だ。その理由は分かっている。 昨日の夜も俺たちは船着き場で会った。灯台守の正体について話し合うために。 あれから毎日のようにユークとレムレス中を探し回っているが灯台守らしきものは見つからない。灯台に連れていったら分かるという言葉を信じて灯台とレムレスを何往復したことか……。 「灯台守はセツナだと思うの」 疑り深げな俺の視線を一睨みで跳ね返すと、ユークは言った。 「少し前から探りを入れているけれど、本格的に調べてみようかしら」 「どうしてそう思うんだ?」 「根拠と呼べるものはないわ」 きっぱりとユークは言い切る。 「博士はセツナに会いたくて夢見る機械≠作ったのよ。世界の秘密を解く鍵はセツナが握っていてもおかしくないでしょう?」 「俺は、セツナじゃないと思う」 「どうしてそう思うのよ?」 「根拠と呼べるものはないけど……」 「それなら余計な口を挟まないでちょうだい。無責任な発言は相手に対して失礼よ」 「……お前、自省≠チて言葉、知らないだろ」 ユークは俺の話を聞いていなかった。「セツナ」と「灯台」が密接に結び付いて、ユークの中でほとんど真実と変わらなくなっているようだった。 それからというもの、彼女は俺の前に現れるたび、セツナを灯台へ連れてくるよう急っついた。与えられたミッションをのらりくらりとかわす俺にユークの苛立ちが募っているのが分かる。 その気持ちも分からないではないんだが……。 「テストが終わった後にしたかったんだよ」 「……は?」 「高校生は期末試験があるだろ? あいつ、勉強家だし、邪魔しちゃ悪いと思ってさ」 ユークが大きな目をさらに大きくした。よろよろと後ずさりされる。全身を震わせてユークは叫んだ。 「愚かっ!」 同乗している人々の目が一斉に俺たちを向いた。 ヒステリックに騒ぎ出すユーク。 「ここは夢の中なのよ! 嘘よ! 架空よ! フィクションよ! それなのに実在しない人の、実在しない試験のことを気に掛けるなんて! あなたは私が出会った中でいちばんの愚か者だわ! 愚か! 愚か! 愚か!」 彼女の中で「バカ」の最上級は「愚か」らしい。腹の虫がおさまらないと見えて、先の尖ったヒールでやたら腹を蹴ってくる。 当たり前だが、痛い。 「ゆ、ユーク、公の場で暴力は……」 「ここにいる人たちは全部ニセモノ! 生命を持たぬ、紛い物よ!」 「物騒なこと言うなよ。アヤシイ人に思われちゃうぞ」 「外見からアヤシイあなたに言われたくないわっ!」 終いに一発、重たい蹴り。ぐううと腹を折って動けなくなっている俺を見下しながらユークの冷たい声が飛ぶ。 「もういい。私がセツナを連れてくる。邪魔したら、死刑よっ!」 顔を上げると既にユークの姿はなかった。 腹を抑えながら船内に戻ると、一連のやりとりを眺めていたじいさんに席を譲られる。 「頑張んな、兄ちゃん。恋なんて七転び八起じゃからの」 うんうん、と周りのお年寄りが賛同する。盛大に勘違いされているが、温かい言葉を掛けてもらえて涙が出そうだ。励ましの飴ちゃんなどをもらいながら俺は考える。 鬱積した苛立ちがユークを大胆にさせている。彼女のやり方はきっと手荒だ。目的を達成するために手段を選ばないだろう。 ドッペルゲンガーのようなユークを見て、セツナが混乱しないわけがない。 ユークの計画を、何としてでも阻止しなければ。 船が着くと俺は走り出した。セツナと無事に会えることを願いながら。 |