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 合計三十キロのネジを引きずる、俺を見る人々の目は冷たかった。往復船に乗ったときなんて、一斉に乗客から睨まれた。
 歩くたびにじゃりじゃり言わせながら、居住区のゴミ捨て場にたどり着く。
 一体、何の天罰だよ。俺は前世で三十キロのネジを引きずっている人を虐めたりしたのか。
 うっ、水分不足で、立ちくらみが……。

「おにいちゃんは帰ってこない! さりゅが寝ちゃうまで、帰ってこないじゃん!」

 そのとき、さりゅの声が聞こえた。怒っているらしい。その声は、俺たちがかつて住んでいた家の中から聞こえてきた。
 壁にもたれて耳を澄ます。怒声に続く、激しいさりゅの泣き声。
 そして、
「おにいちゃんの本当≠ヘ嘘≠セ。おにいちゃんは嘘つきだっ!」

 ガーン!
 さりゅに嘘つき呼ばわりされたっ……。

 壁に手を当てて、なんとか自分を保つ。
 ショックだ……二週間くらい立ち直れないかも知れない。
 現実世界でさりゅとケンカしたときも二週間立ち直れなかった。あのときは俺が、さりゅに言い寄ってきた中学生を本気の剣術で撃退したことが原因だったけど、今回のケンカは何だ? またナンパか? 
 はははっ……まさかな。この世界じゃさりゅは六歳児だ。そんなことあるわけ……いや、小さくなってもうちの妹はめちゃくちゃ可愛いからな。あり得ない話ではないな、うんうん。
 そんなことを思いながら様子を伺っていると、ナギが出てきた。
 アルバイトに行くと見えて、船着き場の方へ駆けていく。
 おいおい、オレよ、さりゅと仲直りしたのか? まだ家の中から泣き声が聞こえているんだけど、放置かよ。ふざけんなよ。背後から一発どついてやろうか。
 あ、オレは俺だから、俺を殴れば手っ取り早いか。
 俺は自分の頬をグーで殴り、玄関の前に立つ。ここにも監視カメラがあったが、俺の顔を認証するとドアのロックが解除された。
 家に入って、この世界にやってきてから何十回も思ったことを、今日も思わずにはいられない。

 ……泣けちまうくらい再現度が高いな。この夢は。

 さりゅと俺の記憶が混ざった家の領域は懐かしさでいっぱいだった。リビングの床に転がったおもちゃ、柱に記された成長記録、壁のラクガキまで見覚えがある。
 ここは俺たちの家。思い出の中の家。寝っ転がっていつまでも眠っていられそうな、もうどこにも存在しない家だ。
 幼いさりゅの隠れ場所は一つしかない。バスルームの扉の前に立ち、咳ばらいをして変声術を解く。ナギとほとんど変わらない地声でさりゅを呼んだ。
「さりゅ、ちょっとだけ顔を見せてくれないかな」
「おにい……ちゃん?」
「うーん、お兄ちゃんと言えばお兄ちゃんだけど、今のさりゅにはお兄ちゃんに見えないかも知れない」
「え……あ、う?」
 まずい。さりゅが混乱している。この複雑な関係を六歳児が理解するのは不可能だ。それでも俺は悲しみに暮れる妹を一人ぼっちにしておけない。
 今の俺はさりゅにとっちゃ赤の他人かも知れないが、今も昔もさりゅは俺のたった一人の妹だ。
「仲直り、できないかな。さりゅに泣いて欲しくないんだよ」
「……」
 数秒経って、錠が上がった。ドアの隙間からさりゅが俺を見上げる。
「おにいちゃんじゃない……」
「あ、うん。お兄ちゃんではないんだ。今のところ」
「おにいちゃんは、どこ?」
 小さな手で顔を覆って、さりゅはしくしく泣き始めた。
 うっ、辛い……。さりゅは激しく泣くときより、静かに泣くときの方が悲しみが深いことを知っているだけに、辛い。
 できる限り驚かせないように、そっと抱き上げる。それでもさりゅの小さな身体はびくっと震えた。

 そりゃ、そうだよな。今の俺は昔と全然違うから。

「ごめんな、さりゅ。お兄ちゃんじゃなくて」
「でも、おにいちゃんと同じにおいがする」
 首元でさりゅがくんくんと鼻を引くつかせる。
「おにいちゃんと同じ声、同じにおい……おじちゃん、おにいちゃんじゃないのに、ふしぎ」
「おじちゃん!? ……ま、まあいいや。さりゅはお兄ちゃんのこと、嫌いなのか?」
 さりゅは強く頷いた。
「おにいちゃん、嫌い! 大嫌い! たぶん、一生嫌いになってると思う!」
 ガーン!
 そ、そんな殺生なこと、力説しないでくれ……。
 俺が傷ついているのが分かったのか、さりゅは「ちょっと違うかも」と言い直した。
「おにいちゃん、さりゅのことたくさん思ってくれてるの、知ってる。さりゅはおにいちゃんのこと嫌いじゃないよ。ほんとうはね、さみしいの。おにいちゃん、さいきんおうちにいないから」
「……それは悪かったと思ってる。あのころ、さりゅにどれだけ寂しい思いをさせていたか、さりゅが小学生になったころに聞いて反省した」
「さりゅ、小学生じゃないよ」
「そうだったな。今は思い出の中の、小さな小さなさりゅだもんな」
「うーん……」とさりゅは難しい顔をした。指をしゃぶりながら、ぐるりとリビングを見渡す。
「おにいちゃん、いなくなっちゃった」
「ごめんな。お兄ちゃんの代わりに謝っとくよ」
「おじちゃん、ありがとう」
 さりゅは俺を見て、にっこり笑った。幼い妹の表情はころころ変わる。再び泣きそうな顔になって、そろりと寝室に目をやる。さりゅは怯えていた。俺のシャツを握る手にぎゅっと力がこもった。
「さりゅ、怖い夢見るんだ。また見ちゃうかも」
「どんな夢?」
「星さんが追いかけてくる夢」
 一時期、さりゅは頻繁に「星屑の病」が発生した日のことを夢に見ていた。この世界でも同じような悪夢にうなされているらしい。俺は七年前と同じようにさりゅを抱きしめ、柔らかな髪の毛を撫でてやる。
「大丈夫だよ、さりゅ。それはもう二度とこの世には起こらないことだよ。もし起こったとしても、お兄ちゃんがまたさりゅのことを守ってやる。心配すんな」
「おじちゃん、おにいちゃんと同じこと言う」
 その類似性がおかしいのか、さりゅは両手で口をおさえてくすくす笑った。
 それでもまた悲しい顔に戻って、
「もう一つあるの。もっともっと怖い夢」
「もう一つ?」
 もう一つの悪夢の話は聞いたことがない。さりゅは頭に浮かんだことをすぐ口に出すタイプだ。恐がりなのも相まって、当時、俺はさりゅの見た悪夢の話を都度つど聞かされた。それらはすべて、先に話した「星さんが追いかけてくる夢」だ。
 まあ、自分が見た夢なんて他人に上手く説明できないものだし、恐いと思った夢そのものを忘れてしまうことだってあるけれど……。
「セツナお姉ちゃんが死んじゃう夢」
 さりゅは言った。
「おかしいの。お姉ちゃんは生きているのに、夢の中だと、死んじゃってるの。さりゅも、おにいちゃんも、ネムルちゃんも、みんな泣くの。怖くて、悲しい夢」
「さりゅ……」
 それは夢じゃないんだよ、と言えるわけがなかった。「夢見る機械」の反作用なのか、現実での過去がさりゅには夢の中で再現されているらしい。
 さりゅはぽろぽろと涙を流しながら、せきを切ったように話し出した。
「お姉ちゃん、とても苦しそうなの。星さんの黒いのがからだじゅうに出ちゃうの。それで、たまにヘンなこと言うの。あと、血が……」
「言わなくて良いよ。俺は全部、知ってるから」
「ううん。知らない。みんな知らないよ。さりゅだけが見てるんだもん。セツナお姉ちゃんが死んじゃったあとのこと、知っているのはさりゅだけだよ」

 ……何の話だ?

「セツナが死んだあとに、何を見たんだ?」
 さりゅはしくしく泣きだした。
 悲しい、悲しい、涙だった。
 さりゅを抱いたまま、リビングの椅子に腰かける。泣き止むまでじっと待つ。下手に慰めても癒えない悲しみがあることを――特にセツナに関することでは、痛いくらいに知っていたから。
 さりゅはひとしきり泣いた後で、小さなひゃっくりを繰り返しながら途切れ途切れに話し始めた。

「お姉、ちゃん。骨、に、なった、あと、取っちゃったの。こっそり、取っ、ちゃっ、たの。ネムル、ちゃん、が……セツ、ナ、お姉ちゃんの、骨、取っちゃったの」


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