10 「足が速いからって生意気なんだよ」 「マジうぜー。調子、乗ってんじゃねー」 「今日こそ正々堂々と、リアルに、メジャーに、本格的に、いじめてやるぜ!」 確かに校舎裏へ呼び出すのは、メジャーないじめ方ではあるな。 オレがその場所へ行くと、部活サボり魔の三人組が高瀬川を取り囲んでいるところだった。腕を振りかざす前に、高瀬川の首根っこを掴んで引っ張る。「うわぁっ」と声をあげて身体をそらした空中を、三つの拳が掠めてゆく。 いててっ。ちょっと動いただけで足に痛みが……。 「ナギ、派手に動いちゃいけないよ。怪我の治りが遅くなるじゃないか」 この期に及んで、正当過ぎる理由でオレを叱る高瀬川。空気が読めないにも程があるぞ。まあ、その「空気の読めなさ」もこいつを強くしている根源の一部なのかも知れないが。 両脇に挟まった松葉杖を持ち直す。ぬかるんだ土の上に点々と跡ができている。走るどころか、歩くこともおぼつかない。 「ナギ、足が四本になって、さぞかし速くなったんだろうね」 一人の小粋なジョークに、残りの二人がくすくす笑う。 つまらない冷やかしだ。相手にするのも馬鹿馬鹿しい。 「高瀬川をいじめるなら、オレも一緒にいじめろよ」 「涙ぐましいね。美しい友情を見せつけてくれちゃってさ」 「美しい友情? バカだな、そんなふわふわしたところに勝算なんてあるわけないだろ」 「……え?」 「これは戦い。お前らが一方的に暴力を振るったと証明するための戦いだよ。怪我人まで容赦なくいじめたらどうなると思う? 退部、停学、謹慎処分。こっちの言い方によっては退学もあり得るが、それなりの覚悟はできているんだろうな?」 うっ、と相手が言葉に詰まったのが分かった。 三人の顔からは、くすくす笑いも、にやにや笑顔も消えている。 松葉杖をぬかるみから持ち上げて、ゆっくり前進。 迫っても迫っても距離が縮まないのは、三人が後ずさっているからだ。 捨て台詞を放つのはプライドが許さなかったのか、野郎どもは無言のまま逃げ出した。 砂ぼこりを巻き上げて、あっという間にいなくなる。 あいつら、意外に足速いな。 もっと自分を信じれば良かったのに……。 「ナギ、弱いものいじめはいけないよ! あの人たち、怯えていたじゃないか!」 いじめられっ子の自覚がない高瀬川がきりっとした顔で言い放つ。 ……お前、オレの足、見えてるか? この状況のどの部分を見て、その結論に行きついたのか教えてほしいよ。 まったく、誰のために学校に立ち寄ってやったと思っているんだか。 足に続いて痛み始めた頭を抑えながらオレは言った。 「仕方ないから守ってやるよ。優先順位、低いけど」 校門を抜けると坂道の手前でセツナが待っていた。不思議そうな顔でオレを見る。 「学校に用事ってなんだったの?」 「弱い者守り」 「え? なに?」 「いや……、ただの野暮用だよ」 「野暮用?」 「そう」 そして、オレたちは歩き出す。 いつも早足のオレが、セツナに待ってもらいながらその背中を追っていく。なんだか妙な感じだ。松葉杖を支える腕も痺れてきた。 知らなかった。歩くことがこんなにも難しいなんて。 目の中へ飛び込んできた汗をぬぐって、前を向くと、大きな入道雲が見えた。セツナの向こうの、もっと向こう。誰も知らない、海の彼方に。 ヤナの病室からも同じ雲が見えた。 あの騒動の後、オレが搬送されたレムレスの整形外科とは違って、ヤナの病院は街の見晴らしの良い丘の上にあった。廊下ですれ違った人たちはみんな穏やかで、にこにこしていた。ヤナ一人がベッドの上で賑やかだった。 「いやぁ、悪いね! わざわざ見舞いに来てもらっちゃって。ナギの方が重症なのにねぇ!」 「本当ですよ。あやうく死ぬところだったんだから」 オレは近くの花屋で買った見舞いの花を、セツナは手作りのクッキーを手渡す。 ありがとうと言いながら、ヤナは太い腕で包み込むように両方を受け取った。 「あたしときたら情けないよね。肝心なときに戦えないなんて格闘家の名折れだよ」 「い、いやっ……ヤナさんが倒れてくれたおかげで、被害が最小限で済んだんですよ! オレも足の骨にヒビが入っただけだったから!」 「ヒビか。惜しいね。骨折だったら一瞬で治してあげられたんだけど」 ヤナは真顔だ。嘘をついているようには見えない。本当に一瞬で治せるんだろう。ただ、治されたくない。怪我の完治は一瞬でも、心の傷は一生もんだ。 「ヤナさんは、自分の治療に専念してください……」 暑さとは違う原因で流れる汗を拭って、オレは言った。 「星屑ストア」が襲撃されたあの日、ヤナは倒れた。襲われたわけではない。年中無休、朝から晩までレジに立ち続けた長年の疲れが押し寄せて、自分でも知らないうちに気を失っていたらしい。 つまりは、過労。 医者からは「よく死なないでいたものだ」と驚かれたという。 「そういうわけで、もうしばらく入院することになりそうだよ」 あはははっと豪快に笑っていたヤナがふっと寂しげな顔になって、ぽつりと言った。 「星屑ストア≠ェ再開したら教えてください。歩けないけど、弁当の温めくらいならできますよ」 オレが務めて明るく言うと、 「もちろんだよ。そんときは時給、二十円くらいアップしてやろうかね」 日に焼けた顔をほころばせて、ヤナも笑った。 「ナギ、ヤナさんの前だとよく喋るね」 レムレスへ向かう自転車をこぎながらセツナが言う。オレはといえば、どうやってもセツナにしがみつくことはできそうにないから、尻の下の荷物置きに捕まって、何とかバランスを取っているところ。 「あたしと話しているときとは、ちょっと違うナギがいたよ」 「自分じゃ、分かんないな」 「うーん……」 セツナは宙を見上げて、なにやら考え事をしていたが、 「ひょっとして、ヤナさんのことが好きだったりして」 突然、そんなことを言うものだから海へ転げ落ちそうになった。 振り返ったセツナの、青く澄んだ大きな瞳。 こいつ、すっかり忘れてるな……海よりも深く、危ういところへ足を滑らせたはずの、あの夜の会話のことを。 それは幸運なことなのか、不幸なことなのか分からないけれど。 とりあえず、深呼吸。 白いワンピースが揺れる、近くて遠いゴールを見据えて。 「オレ……好きなやつ、いるから」 リ・スタートだ。 <第二章 星屑ストア 完> |