←BACK きらきらの日常(Q.E.D) NEXT→



          9

「……んにゃ!?」
 よだれの垂れる気配で目を覚ました。起き上がって、口元を拭う。
 さらさらした砂が流れる。手に取ってぱらぱらと零してみる。桜色の貝殻が混ざったきれいな砂だ。貝殻だけを取り出して砂の上に一列に並べる。整然せいぜんとしていて美しい。腕を組んでうんうんと頷く。そろそろ本題に入らねばなるまい。

 ……ボクはなぜ、灯台にいる?

 顔を上げると灯台が見える。
 くるくると光を回転させながら、夜の海を見守っている。
 背後に霞むは、海砦レムレス。季節外れのクリスマスツリーみたいに色とりどりの明かりで装飾されている。祭のにぎわいが目に見えるようだ。
「奇妙だな。ボクは花火を見に行くんじゃなかったか?」
 立ち上がる。思索の傍らその辺を歩き回ろうとして、転んだ。
 べしゃっと、砂浜に半身が埋まる。ぺっぺっと砂を吐きだして、足元を見る。
 下駄を履いていた。
 下駄に似合いの、紺地の浴衣も身にまとっている。
 そういえば、祭りに行く前にセツナに浴衣を着せてもらったような気がする。
「セツナはどこだろう?」
 灯台の前へ来てみる。入口のドアは開かない。鍵がかかっているようだ。島の縁を一周してみる……誰もいない。
 セツナは灯台の島にいない。
 ということは、レムレスにいるに違いない。
「セツナが待ってる……帰らなければ……」
 島を見て回ったときに水上自転車を見つけていた。係船柱からロープを外し、思い切り岸を蹴る。波が自転車を後押しする。一直線にぐんぐん進む。レムレスの人工海岸へ向かっているようだ。勢いが強すぎて、ハンドルを切っても曲がらない。
 このままでは砂浜に乗り上げてしまう! ……別に、いいか。砂まみれになったところで死ぬわけではない。
 ボクは早々に操作を諦め、ペダルすら漕がない。
 まあ、なるようになるだろう。
 実際に、なんとかなりそうだった。
 人工海岸に知った顔が見えた。セツナとナギとさりゅ。波乗りしているボクを見るや、慌てふためき、砂浜を右往左往している。
慣性かんせいの法則が働くぞー。受け止めてくれー」
 自転車が海岸に乗り上げた。砂につまずき、宙へ投げ出される。くるくる回りながら落ちるボクをナギが受け止めてくれた。
 軽やかに地面に降りたつ。
「なんちゅー登場の仕方だ、お前は……」
 痛む腕を振りながら、溜息を吐くナギ。
 残る二人も安堵の息を吐いている。
「ネムルちゃん、どこ行ってたの?」
「灯台だよ、さりゅ」
「どうして灯台に行ってたの?」
「それがボクにも分からないんだな」
「お前もか」
 ナギが訝しげな顔で腕を組んだ。
「オレたちも気がついたら海岸にいたんだ」
「一緒に花火を見たんでしょうけど」とセツナ。
「全然、覚えていないのよね。なんだか損した気分だわ……」
 ボクたちはしばらく顔を突き合わせて、覚えていることを交互に話した。寄せ集めた記憶はおぼろげだった。縁日で遊んだような、遊んでいないような。花火を見たような、見ていないような……。
 ボクの記憶もセツナに会ったところでおぼろげに滲んでしまっている。
 灯台祭は終わったようだ。祭を満喫した人々がぞろぞろと海岸沿いの道路を歩いている。その光景を眺めていたさりゅがぽつりとつぶやいた。
「お祭り……」
 目の端ににじわりと涙が浮かぶ。
「りんご飴……金魚すくい……ち、チョコバナナ……わっ、輪投げ……は、は、は、花火いぃぃ……」
 両目を覆ってわんわん泣き始めたさりゅを慌ててナギが抱き上げる。抱き上げたは良いものの、どう慰めたものか思案に暮れている。ナギ自身も混乱の最中にいるようで、さりゅの泣き声は益々激しくなるばかりだ。
 つと、セツナが近づいた。
 さりゅの小さな耳元でこっそりささやく。
「来年は、さりゅの浴衣を作ってあげる」
「……」
 さりゅの泣き声が小さくなった。
「すっごく可愛い浴衣、作ってあげる」
「……」
 さりゅの泣き声がぴたりと止んだ。
 真っ赤に腫れた目でセツナを見上げる。
「ほんとう?」
「うん。来年を楽しみに待っていて」
 さりゅは指をしゃぶりながら名残惜しそうに祭りのあとを見ていたが、やがて小さく頷いた。
「楽しみにしてる……」
「約束よ」
 差し出したセツナの細い指にさりゅの小さな指が絡む。二人はにこにこと指切りを交わす。

 来年……。
 来年のことを考えたら、急に身体が重くなった。わけもなく、しゅんとなる。
 来年は受験生だから? 
 みんなと遊ぶ時間が減るから? 
 将来について考えなくちゃいけないから?
 ……違う。
 もっと悲しい出来事が待ち構えているような気がして。
 今までの楽しかった思い出さえも消えてしまうような気がして。
 ……苦しい。

 浴衣の話で盛り上がる二人から目を離して、振り返ったナギにぎょっとされる。
「ネムル、なんで泣いてんの?」
 言われて気づいた。
 ボクは泣いている。
「花火、見たかったのか?」
「ううん……」
「腹、減ったのか?」
「ううん……」
「腹、痛いのか?」
「ううん……」
「じゃあ、なんなんだよ?」
「ボクにも分からない……」
「お前、さりゅより厄介だな」
 困り顔でボクを見ていたナギが何かに気づいて顔をあげた。目を細め、砂浜と桟橋の交差する場所をじっと見つめる。
「なんだ、あれ」とつぶやく傍から、その不可思議な足音はボクの耳にも聞こえてきた。

 ぴょこん、ぴょこん、ぴょこん。
 初めは小さく、段々と大きく。
 ぴょこん、ぴょこん、ぴょこん。
 ぴょこん、ぴょこん、ぴょこん。

 セツナとさりゅもお喋りを止めて上下に跳ねる奇妙なシルエットを見つめる。

 ぴょこん、ぴょこん、ぴょこん。
 ぴょこーんっ!

 軽快に跳んできたそれは、ひときわ高くジャンプするとボクの頭に飛び乗った。卵型の小さなロボット。ウサギの形をしていて、つぶらな瞳がカメラレンズでできている。
 ボクの発明品・メモリーラビットだ。
 両手で作った受け皿に飛び乗ったウサギは、カシャカシャと内蔵された機械を揺らしながら友達の顔を順々に見定めていく。セツナ、ナギ、さりゅ。そして最後にくるりと半回転してボクの顔をじっと見つめた。
 ぷるぷると、震え出す。

 ぷるぷる、ぷるぷる、ぷるぷる。
 そして――しゅぽんっ!

 思い出が、弾けた。

 まるで泡立つ炭酸の栓を引き抜いたかのようだった。光を放って破裂したウサギの中からゴールドとシルバーの紙吹雪が飛び出して、またたきながら宙を舞う。
 紙吹雪のあとから数枚の写真がひらりひらりと落ちてきた。
 身をかがめて拾い上げる。
 ボクとセツナが写っている。買い物に出掛けた街の喫茶店でジュースを飲んでいるところ。突然のフラッシュに二人とも目を丸くしている。
 もう一枚、拾ってみる。
 ボクとセツナとナギとさりゅ。ナギはコンビニの制服を着ている。ああ、八月の初めに「星屑ストア」へ遊びに行ったことがあったっけ。カウンター越しに見えるナギの顔は真っ赤だ。ナギに見せると写真の中と同じく真っ赤な顔になる。
 セツナとさりゅがきゃっきゃと笑いながら拾い集めた写真をめくる。
「これ、スイカ割りしたときの写真だわ。さりゅの顔、スイカの汁だらけね。あっ、ナギと探偵さんが手持ち花火でケンカしてる。ネムル、あんたお腹出したまま寝てるところを撮られてるわよ。……泳いだり、買い物に出掛けたり、一緒に勉強したり、流れ星も、向日葵も見たよね。今年の夏も楽しかったなぁ」

 楽しかった?
 ……うん、楽しかった。
 あっという間だったけど、楽しい夏休みだった。

「これ、焼き増しできないの?」
「ネガフィルムがないから無理だな」
「残念ね」
「欲しければ君にあげるよ」
「うーん」
 セツナは曖昧に返事をしながら、再び写真をめくり返した。目に焼き付けるようにまじまじと見返したあとで、にっこり笑って差し出した。
「ネムルが持ってなさいよ」
「ボクが?」
「あんたの発明品だもの」
 写真を受け取る。
 めくってみる。
 みんながいる。
 笑ったり、泣いたり、照れたり、怒ったり、正方形に切り取られた日常がきらきらと輝いている。

 過ぎ去った時間は二度と戻らない。
 でも、永遠にこの手の中にある。

「大切にする」ボクは言った。

「絶対に、失くさないよ」


 往復便の船着き場まで、三人はボクを見送ってくれた。
 船内は満員だった。乗客の誰もが夏の終りに思いを馳せながら、静かな波に揺られている。頬を滑る夜風と、温かな人のにおい。心地良い眠気が押し寄せて、船が着くまでうたた寝をした。
 商業区に戻ると「曼荼羅ガレージ」の一階に四角い明かりが灯っていた。ソファに寝っ転がっていた探偵がボクを見るや、「よっ!」と手を挙げて迎えてくれる。
「おかえり!」
「ただいま」
「祭は楽しかったか?」
「それが、あんまり覚えていないんだ」
「なんだそりゃ」と苦笑される。
 ここ数日の不調が嘘のように探偵は元気になっていた。ソファでごろごろしているうちにいつの間にか眠ってしまっていて、目覚めると見違えるほど気分が良くなっていたという。
 風邪? 過労? 徹夜? 飲み過ぎ? 早くも老化の波が……? 指折り思い当る節を数え、「あーやだやだ」と溜息を吐く。
「仕事はきついし、疲れやすいし、あっという間に夏も終わって浴衣美女との出会いもなしか。大人なんてロクなもんじゃねぇな」
「大人はロクなもんじゃないのか」
「う・そ」
「嘘?」
「嘘だよ」
 探偵は茶色い目を細めて笑った。
「大人は楽しい。この楽しさは、大人になんなきゃ分かんねぇよ」
 ……そうかな?
 大人って、楽しいのかな。
「ボクには全然分からないや」
「ネムルにもいつか分かるときが来るだろうさ」
 探偵は優しくボクの頭に手を置いた。てっきりなでなでしてくるのかと思いきや、
「ちんちくりん!」
 ぺチペチと頭を叩かれる。
「お前、本当に高校生か? 浴衣のせいでガキ臭さが増してるぜ」
 あははははっと思いきり笑われる。
 失礼だ。失礼の極みだ。脛を蹴飛ばしてやりたいのは山々だが、頭を抑えられて前へ進めない。
 長い安静のせいで体力が有り余っているのか、探偵はからかうのをやめない。
「いじめだ! いじめだ!」
「あはははは、可愛い可愛い」
「むーっ!」
「ははははははっ……ぐえっ!」
 素早く身をかがめてその胸に突進する。
 みぞおちに、見事命中。
 腰を折って呻く真っ赤なつむじをぺちぺち叩いた。
「君も十分、ガキじゃないか」