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「そうじゃない。オレはただ、近づいて欲しくないだけだ」 「どうして?」 「あんたの言葉は信用できない」 「曼荼羅ガレージ」から、ナギの声が聞こえてきた。いつもより低く、不機嫌な声。さりゅがびくっと肩を震わせる。 大丈夫よ、と励まして、裏口の扉を少しだけ開ける。 細い隙間から見えるのはガレージ一階の作業台。その上にネムルが、あぐらを掻いてうつらうつらしている。 あの子のどこでも眠れる能力、羨ましいわね……。 もう少しだけ開いてみる。ようやくナギの姿が見えた。 「探偵っていうけれど、素性もよく分からない怪しい人間を、家族に近づけさせるわけにいかない」 視線の先には、腕を組んだ探偵さんがいる。 「ほっほーう?」探偵さんがにやにやしながら、ナギを見下ろす。 「そいつは正義に見せかけたエゴだな。かっこいいことを言って、君は好きな子を独り占めしたいだけだ」 「ち、ちがうっ!」 ナギの声は今までに聞いたことがないくらい大きくて、あたしもさりゅも飛び上がって驚いた。 「オレたちはただの友達! それ以上でも、それ以下でもないっ!」 「それなら尚更、君の忠告を受け入れる筋合いはないなー」 「ふざけるなっ!」 胸倉を掴もうとしたナギの手をひょいっと探偵さんはすり抜けた。 「……それはこっちの台詞だ、若造」 温和な雰囲気から一転して、冷ややかに言い放つ。 「他人の足を引っ張っている場合じゃない。大好きな人が明日も明後日も傍にいるとは限らないって、そのことをいちばん良く知っているのは君だろう。 ……きゅっ。 そんな音がしそうなほど、心臓が縮みあがった。 その病名を、何回聞いても慣れない。誰かの口から飛び出すたびに震えが走る。 知らないうちに、さりゅの手を思いきり握りしめていたようで、 「いたいっ!」 隣で幼い悲鳴が上がった。慌てて手を離す。 今にも泣き出しそうなさりゅをなだめているうちに扉が開いた。 「盗み聞きなんて趣味が悪いぜ」そう言って顔を出したのは探偵さんだ。茶色い瞳が翳りを帯びる。 「……俺、嫌なことを言ったかな」 「ううん、大丈夫」 「悪かったよ」 「気にしないで。ただ、さりゅが……」 「さりゅ?」 あたしを見る、その視線が横にそれると「おや?」と言ってその場にしゃがみこんだ――さりゅの目線と同じ高さに。サングラスを外して、にこっと笑う。 「やあ、さりゅ。元気かな?」 さりゅが慌ててあたしの背後へ身を隠す。少しだけ顔を覗かせて、恐々と探偵さんを見上げた。 「おにいちゃんを、いじめた人だ」 「いじめてないよー」 「さりゅ、見てたもん」 「見間違いだと思うよー」 「違わないもん!」 小さな身体を前かがみにして、家の中へ駆けこむさりゅ。通り際に「えいっ」と声をあげて、探偵さんをぺんぺんと叩いた。 おにいちゃん! と呼びながら、ぎゅっとナギの腰に抱きつく。 その光景を見ながら、探偵さんはつぶやいた。 「嫌われちまった……ショックだな」 眠りの舟を漕いでいたネムルの鼻ちょうちんがパチンとはじける。 あくびをしながら辺りを見回し、 「知らぬ間に、登場人物が増えている」 「あたしたちは今来たばかり。ナギがあんたの家にいるって聞いたから」 ナギを見ると、さりゅの前に身をかがめて、よしよしと頭を撫でていた。 「ごめんな、さりゅ。心配かけて……にいちゃんが悪かったよ」 妹に向かって優しい微笑みを返したあと、表情を変えて探偵さんを睨みつける。 「オレはあんたのことを許しちゃいない」 黒い目が静かな怒りを帯びる。いつも怒っているように見えるだけのナギが今日は本当に怒っている。 反対に、探偵さんはにこにこしたままだ。 細い体をふらふらさせておどけてみせると、 「別に許されようと思ってないけど?」 「……」 今にも噛みつきそうなナギを見て、 「ここはボクに任せてくれないかな」 ネムルが一触即発の空気を破った。 ぴょんっと机から飛び降りると、白衣の袖を腕までまくって、探偵さんの脚を蹴りあげる。 「いってぇ!」いつぞやと同じ悲鳴をあげて飛び上がる探偵さん。 「こいつはボクがきっちり監視しておくから」 無言のまま、頷くナギ。 「ちょっとでも不審な動きを見せたら十万ボルト流すから」 いつの間にかネムルの両手にはいかついペンチが握られている。 ペンチとペンチの間から青白い電流がほとばしる。じりじりと探偵さんに詰め寄るネムル。 「砂浜で追いかけっこ」なんて目じゃない、かなりアグレッシブな追走だけど、ネムルはとても楽しそうだ。 ちょっと変わっているけれど、これがネムルなりの愛情表現……なのかな? 「ナギ、一緒に帰ろう?」 声を掛けると、ナギの体がびくっと震えた。 それこそ体中に電流が走ったんじゃないかと思うくらい。 「行こう、さりゅ」 兄妹はあたしの傍をすり抜け、金色に染まった街へ飛び出していく。 あれ……? 無視、された……? 「曼荼羅ガレージ」の中では電流の武器を手にネムルと探偵さんが今も追いかけっこの最中。 傍にいるはずの二人の存在も、今ではずっと遠くに感じて。 なんだろう、この気持ち……。 自分だけ、取り残されてしまったような。 同じ場所に立って、ずっと足踏みをしているような。 なんだか、とても切ない気持ち……。 三人でいられる時間が減って、やがてまったく顔を合わさなくなる――当たり前だと思っていたことが、当たり前に思えなくなる未来。 黄昏色の空の下、その足音が聞こえた気がした。 |