渚は着ていたコートを脱いで、そっとネムルの肩に掛けた。ネムルは泣き止まない。傍に人がいることにさえ気づいていないのかも知れない。 ネムルを間に挟んで兄妹は顔を見合わせた。二人には分からないことだらけだった。さりゅは「夢見る機械」のことなど露知らず、渚は夢に入ってから自分の名前や目的を忘れてしまっていた。 彼らが共有しているのは、七年前のレムレスで一夏を過ごした思い出だけ。 「夢見る機械」の発明者であるネムルはすべてを悟って泣いているが、今はその理由を聞けるような状態ではない。 「こいつは後回しだ……さりゅ、手伝えるか?」 渚に促され、さりゅはガラスケースに向き直る。二人で力を合わせても蓋は開かなかった。鍵がかかっているのかも知れない。手掛かりを探してぐるりと一周してみる。 ケースの側面に、金属の留め金がついた小さなベルトを発見した。このベルトが封の役割をしていたために蓋が開かなかったようだ。兄を呼んで、護身の軍刀でベルトを斬ってもらう。 「重いから気をつけろよ」 「うん」 せーの、と声を合わせて蓋を持ち上げる。ガラスを取り除いて益々、人形は在りし日のセツナにそっくりだった。 「お兄ちゃん、これ……」 どういうことなの? と尋ねようとしたところ、不思議なことが起きた。閉じていた人形の目がぱっちりと開いたのだ。透き通った青い瞳が頭上のさりゅをじっと見つめる。 それは真夏の怪談を思い起こさせる恐怖だった。 「ひゃあっ……!」 思わずさりゅは飛び退き、兄の背後へ身を隠す。渚もごくりと唾を飲んだ。 「お、驚かすなよ……ユーク」 ネムルが顔を上げると同時に、ユークは上体を起こした。 二つの視線が交錯する。 「ネムルさ……わっ!」 飛び掛かるように抱きついたネムルを、よろけながらユークは受け止めた。この小さな身体のどこにそんな力があるのだろうと思うほど強く抱きしめられる。 「ユーク、ユーク! ごめんよ、ボクが悪かったよ。二度と危険な目に遭わせない。君を守ると約束するから……どうか許してくれ、ユーク!」 要約するとそんなようなことを涙と鼻水に濡れながら、途切れ途切れにネムルは言った。言い終わったあとでユークの肩にもたれてぴくりとも動かなくなってしまった。常人よりも馬力の低い、彼女の動力が切れたようだ。 倒れかけたネムルの身体を、今度はユークが抱きしめる。 ――他の誰でもないあなたを愛している人がいる。 「ネムルさん……」 その髪を撫でながら、ユークは死の淵で出会ったセツナのことを思い出していた。 生涯でたった一度きりの、束の間の邂逅。 彼女は生き残る道を選ばなかった。 この世に遺った唯一の肉体をユークに譲り渡し、「永遠の瀞」へと還っていった。 それでも、ユークには分かる。 彼女は今も傍にいる。 淡いようでとても濃い。 繋がっている。 目に見えないところで、これからも繋がり続けてゆく。 彼女の笑顔を脳裏に描いてユークは言った。 「ありがとう、セツナ」 |