SCENE:9‐2 17時40分 汐生町 小学校 森
私もまだまだ甘ちゃんね。
銃口から立ち昇る
リリー・タイガーが入り込んだのは、
ザクザクと先へ進みながら、先程の行動を思い返す。
さりゅと陸太の
恩を売ることなく立ち去るなんて、自分らしくない。
まあ、いいわ……リリーは携帯電話を取り出す。
携帯の追跡機能がなければ、あっという間に迷ってしまう。それくらい、森は
やがて、獣道に終わりがきた。
木々を抜けると、草木が円形に刈り取られた広場が見えた。広い更地に敵の姿は見えない。しかし、気配を感じる。
きらりと輝いた目と目の間、
フィジカル・ヴィークルの急所も、ヒトと同じ位置にあるらしい。どさり、と音がして、ユークの姿を借りた機械人形が倒れる。
その背後から、さらに別の一体が飛びかかってくる。烈火の速さで二番手も撃ち砕く。さらにまた……
「ふふん、同じ動作しかできないなんテ。芸のないドールズ……」
次の瞬間、輪が空中に浮かび上がり、つられてリリーも吊り上げられた。
「ワッツ!?」
動揺するリリーの上半身を、ぎゅっと輪っかが締め付ける。あまりの強さに、両手がリボルバーを取り落とした。銀の銃は、柔らかな音を立てて草の上に落下した。
昇り始めた満月が、身体を縛る鉄を照らす。輪っかだと思っていたもの……それは、手。「C」の字で出来たロボットハンドだった。
腕代わりのワイヤーは長く伸びて、円筒形の胴体に繋がっている。円筒形の上には丸い頭部が載っていて、クマの小ぶりな耳がついている。両目に灯るランプはピンク色。丸と四角を繋ぎ合わせたクマの全身も、ショッキングピンクに塗られている。
「……リアルな
置かれた状況を省みず、ついツッコミを入れてしまった。
気を取り直して、リリーはクマからの脱出を試みる。
上腕に力を入れ、ロボットハンドを振り解こうとすると、
「ぐっ……!」
益々、締め付けが激しくなった。
「アゥ……! ううんっ……!」
ギリギリと握力を上げてゆくクマ。掌のリリーは、身をよじって苦しげな声を上げる。
「ああんっ! そんなに、強くしたらぁっ……! あっ……ぁんッ! ワタシ……っ! 出てしまいマス……はうぅんッ!」
豊満な身体をくねらせながら、あえぐリリー。
「あぁん…!だめぇ……そこはぁっ! はぁぁんッ!」
クマはしばらく様子を伺っていたが、やがてわなわなと震え出す。
ある時点で、ぷちっと堪忍袋の緒が切れる音がした。
「うるっっっさいわッ!!」
ピンク色のクマの口から、電子音に変換された甲高い怒声が響き渡る。
「なによ、その声! もっと腹の底から苦しみの声をあげなさい!」
「アイ・ドン・ノウ。お手本を見せて下サイ」
「だから、もっとこう……ヴォエエエエっ! とか、アガァァァァッッッ~! ……って、乙女に何やらせんのよッ!」
ムキーっと、クマが地団駄を踏む。ならって両目のランプも三角に釣り上がる。
散々怒り散らした後、ぜいぜいと肩で息をつくクマ。釣り上がった目のまま、手元のリリーを睨みつける。
「アタシは、デスボイスを叫ぶためにここに来たんじゃないのよ! あんたに警告をしに来たんだから!」
ふふん、と鼻を鳴らして、クマは得意げだ。
彼女が南雲博士? 機械人形やクマロボットを作り、巧妙なハッキング攻撃を仕掛けた張本人?
精神年齢と技術力が釣り合わない気がするが、楠木ネムルという前例を知っているだけに、否定しきれない。
実のところ、南雲博士の素性をリリーは一切知らなかった。世間一般の「博士」というイメージから、白髪の老人をイメージしていたリリーは、少しばかり意外に感じた。
クマはリリーに顔を近づけると、
「リリー・タイガー、あんたのしていることは、二組織の
黙っちゃいないどころか、雄弁すぎるくらいだ。汐生町ではユークが大量発生し、大混乱に陥っている。
「あれは、楠木ネムルに対する返礼のつもり」
密やかな声で敵は答える。
「〝慈悲深き機械〟の詮索を続けるなら、これくらいじゃ済まされない」
「……もう遅いのデス」
「遅い? 一体、どういうこと?」
クマの質問には答えず、リリーは不敵に笑う。そして、思い出したようにひとりごちた。
「ドクター・ナグモ……アナタはおじいさんでショウ?」
はあ? とクマが素っ頓狂な声を上げる。
「そんなわけ……」
相手の反論を遮って、リリーは続ける。
「可愛いクマさんに、可愛い声。まるで女の子のような物言いデスガ、本当のアナタはおじいサン。ドクターたるものおじいサンと、相場が決まっているのデス」
「失礼ね! そんなわけないじゃない!」
「いいえ。アナタは、おじいサン。ロボットを操ることでしか人前に出られないのは、アナタが、シワシワの、おじいサンだからデス!」
ちっがーう! と
「アタシは、普通の女の子よっ!」
クマの顔面が
頭部の中はコックピットになっていて、皮張りの
腰に手を当て、「どうだ!」と言わんばかりにリリーを睨み付けている。
チャンス!
リリーは両足を持ち上げると、軍靴の底を少女に向ける。少女は訝しげな顔で、靴底に目を凝らす。仕掛けられた「あるもの」を見つけると、美しい顔が蒼白した。
パン! パン! パン!
乾いた銃声が響き渡る。
かとに仕込んだ
ぎゃあああああっ! と悲鳴を上げながら少女が倒れる。ロボットの握力が弱まった。身をくねらせて、リリーは拳から脱出する。ロボットアームを駆け上り、コックピットにたどり着く。倒れ込んだ少女の胸ぐらを掴むと高く持ち上げた。
フリルだらけのドレスが空中でひらひらと揺れる。ドクター・ナグモ。彼女自身が、精巧に作られた人形のようだ。
銃弾は命中しなかった。
失神から目覚めた少女は、大きな眼できょろきょろと辺りを見回す。すぐさま自分の置かれた状況を理解して、ガタガタと震え出した。
その細い首にナイフを突きつけると、リリーはすごんだ。
「〝慈悲深き機械〟のノートをよこしなさい!」
「た、助けて……」
「ノートはどこ!?」
「殺さないで……」
「彼のノートよ!」
「殺さないで……」
問い詰めても
この人物は、本当に南雲博士なのだろうか? 博士本人ではないとすると、助手の類だろうか?
それにしては、
しくしくと泣きじゃくる少女に名前を尋ねると、「フランボワーズ」と返ってきた。
やはり、ドクター・ナグモではない。
この少女は、何者だ?
首を傾げるリリーの前で、フランボワーズはがっくりと項垂れる。恐怖のあまり気絶したのか、動かなくなってしまった。
彼女を席に座らせると、リリーは頭を掻く。
何にせよ、〈MARK-S〉の関係者である彼女を、連れて帰らねばなるまい。拷問にかけても、良い情報を喋ってくれるようには見えないが……。
そのとき、少女が顔を上げた。
涙に滲んだ目で、キッとリリーを睨み付ける。
さきほどと、雰囲気が違う。それから、目の色も。
左右で違う目の色は、先ほどまで片目が黒、片目がピンク色だった。それが今や、ピンク色の
小さな唇が開くと、怒りに震える低い声が漏れた。
「姉さんを、泣かせるな」
少女が指を、パチンと鳴らす。
すると、闇に包まれていたコックピットの奥から、フィジカル・ヴィークルが飛び出した。二体とも同じ顔、同じ身体だがユークとは違う。
「……っ!」
彼らの一人がラリアットを喰らわせてきた。リリーはクマから引き離され、フィジカル・ヴィークルと一緒に地面に叩きつけられる。靴につけた銃で、すぐさま二体の動きを封じたが、落下の衝撃で身体が動かなくなってしまった。
その隙に、クマロボットはそそくさと方向転換。
森の中へ入って、あっという間に見えなくなった。
……しくじった。
〝慈悲深き機械〟のことを聞き出す、絶好のチャンスだったのに。
リリーは地面の上で、大の字に手足を広げる。
麻痺した身体は、立ち上がることもできない。
「シット!」
舌打ちをしたものの、考え直す。
こうもあっさりと〝慈悲深き機械〟が手に入っては、つまらないではないか。
これはゲームだ。好奇心を満たす謎解きでもあるし、〝慈悲深き機械〟を手に入れる宝探しでもある。
プレイの過程を楽むことこそ、ゲームの醍醐味。
ネガティヴがポジティヴに、不機嫌が上機嫌に入れ替わる。
ふ、ふ、ふ、と笑い声まで漏れてきた。
暗い森に、星々の輝きは明るい。
リリーは高らかに笑い続ける。
このゲームを制するのは、ワタシ。
〝慈悲深き機械〟を手に入れるのは、ワタシ……!
執念の炎は、夜空の一等星よりも、