SCENE:8‐6 16時20分 汐生町 小学校 坂下
「きゃあああああー!」
がむしゃらに腕を振り回して、さりゅは駆ける。目尻を伝う涙が風に乗って背後へ消える。速く、もっと速く走らなくちゃ。
刺客はすぐそこに迫っている。
「……りゅっ! さ、りゅっ!」
遠くから、聞き覚えのある声がする。
「な、なんでそんなに速いんだよっ! 普段はトロいくせにっ!」
「ご、ごめんね! わたし、走るの、得意で……」
「バカっ! 止まるな!」
「ひゃあっ! ごめんなさいっ!」
急かされつつも、陸太のペースまで速度を落として、さりゅは後方を振り返る。フィジカル・ヴィークルたちは諦めない。一定の速度で後をついてくる。ロボットなので当たり前なのだが、呼吸に乱れはない。それに引き換え、陸太もさりゅも汗だくで、息苦しさを感じている。追いつかれるのも時間の問題だ。
「おい、何か武器になるもの、持ってないか? 鉄パイプとか、出刃包丁とか」
「そんなもの持ってるわけないよ!」
「そうだよな」
陸太が汗を拭ってため息を吐く。
「ダメ元で聞いてみただけだ」
「もー! 普通の女の子は、武器なんか……」
ハッとしてさりゅは気づく。
持ってる。
忍ばせている。
武器を、携帯している。
ゴソゴソと鞄をまさぐる。と、ペンケースと見紛うアルミ質の棒が出てきた。
ネムルから借り受けた「折りたたみ式金属バット」だ。
地面に向けて一振りすると、三十センチ程度だった筒が、1.5メートルの金属バットに変形した。夕陽に照らされ、バッドの先端が赤く光る。なんでそんなもの持ってんだ? という陸太の問いかけに、さりゅは曖昧に微笑むしかない。「これであなたを叩きのめすつもりでした」とは、口が裂けても言えない。
「ちょっと借りるぞ!」
バットを握った陸太がくるりと方向転換する。
道を塞いでフィジカル・ヴィークルを迎え撃つ気らしい。三人を相手に無茶な作戦だ。
敵は人の心を持たないロボット。攻撃に情けはない。
「りっくん、危険だよ! 逃げようよ!」
慌てて腕を引っ張るが、小さな身体はぴくりとも動かない。金属バットを握りしめ、仁王立ちしたままだ。
さりゅは力任せに陸太を揺する。
「逃げようよ、りっくん!」
「りっくん!」
「りっくんってば!!」
砂利だらけの畦道。夕焼け。黒く伸びる影帽子。
汗で色濃くなったTシャツの背中。
絶体絶命の最中、さりゅは目を見開く。
焦る気持ちと裏腹に、視線が釘付けになったまま動かない。少しでも多くの情報を取り入れ、検証しようとしているのだ。
かつての光景と、同じかどうか。
そんなことを思うそばから、知ってる、とさりゅは思った。
この感じ、知ってる。
何度も夢に出てきた。
わたしを助けてくれた男の子。
かつてのわたしたちは、一揃いに子供の形をしていた。互いが互いを分からなくなるほどに。
似つかない運命の双子ですら、相似するほどに。
「オレがここで時間を稼ぐ」
低い声で陸太は告げる。
「お前は、逃げろ!」
あっと思う間もなく、腕の中から陸太がすり抜けた。
うぅぅるぅああぁぁー! と
……だめ。
さりゅは立ち上がり、陸太の跡を追う。
……だめ。
陸太が振り回す金属バットが、一体のフィジカル・ヴィークルにヒットする。横倒しになった同胞に巻き込まれ、もう一体も地面に転ぶ。
陸太は残った一体に向けてバットを振りかざす。しかし、その動作の間に、倒れた一体が体制を立て直している。他の人形にかかりきりになっている陸太は、気づかない。
……だめ。
ナイフを構え、宙へ飛躍する。背後から陸太に襲いかかるつもりだ。振りかざしたナイフが、柔らかな肉へ振り下ろされる。
「だめ――――――――っ!!」
瞬間、ナイフが弾け飛んだ。衝撃のあおりを喰らい、フィジカル・ヴィークルも地面に倒れる。
お次に弾き飛ばされたのは、ナイフではなかった。
へなへなとその場に尻をつく。さりゅの視界にはガソリンの海を飛び越え、足早にこちらへやってくる陸太が見えた。
残党の出現に備えて、注意深く辺りを見回している。
「おい、大丈夫か? 怪我してないか?」
さりゅの元に来ると、陸太は身をかがめた。
金色の目が不安げに揺らいでいる。
刺される危険があった人に、怪我の心配をされるなんておかしなことだ。
さりゅは両腕を伸ばし、ぎゅっと陸太に抱きついた。安堵の涙が次々と溢れる。
大切な友達が、傷つけられなくて良かった。
血を流すところを、見なくて良かった。
言葉にならない言葉は、嗚咽になって唇からこぼれる。
さりゅに抱きしめられて緊張していた陸太も、やれやれと頭を掻いて、ものものしく抱擁に応じた。
「まあ、なんだ……その、怪我がなくて良かったよ」
しばらく経って、陸太はおずおずと口を開いた。
嬉しさはあれど、子供のように抱きしめられていることが、たまらなく恥ずかしくなってきたのだ。
子供と母親……あるいは、小さなぬいぐるみと子供。
背の高いさりゅにぎゅっとされると、自分のおもちゃ感が際立ってしまう。
「ううぅ……りっくんも、無事で良かったよぉぉぉ」
涙を流しながら、よしよしと頭を撫でるさりゅ。先ほどから、頭のてっぺんに頬擦りされている。これはまさにぬいぐるみにする行為だ。
しばらくその状況に甘んじていた陸太だったが、
「オレは、ぬいぐるみじゃねぇっ!」
力任せにさりゅの腕を振り払った。
「ご、ごめんね。りっくんはぬいぐるみじゃなくて、チワワだもんね。よーしよしよし」
「どっちにしても同じ扱いじゃねーか!
さりゅは泣きはらした目を開いて、キョトンとしている。
こいつなわけないよな、と陸太は安堵の息を吐く。
さりゅは気づいていないようだが、あの人形たちは銃弾に倒れた。近くにいた誰かが応戦してくれたのだ。それも銃で。
陸太は辺りをくまなく見回すが、それらしき人影は見当たらなかった。たまたま通りかかっただけなのか、それとも跡をつけてきたのか。
助けてくれたにせよ、気安く銃を持ち歩く人間の近くにいるわけにいかない。
「ここにいると危険だ。ひとまず街に向かおう」
さりゅの手を取って立ち上がらせる。いつの間にか道を外れて、森に入り込んでいた。携帯電話も圏外だ。
電波は届かないが、方位磁石のアプリケーションは使える。他にも敵がいるとしたら、元の道に戻るよりも、森の中を通った方が安全かも知れない。
街の方角へ向けて、歩き出す……その前に、さりゅが言った。
「りっくん、手」
「あぁ?」
「手、つないでも良い?」
「……ほらよ」
柔らかな手が掌に触れる。ぎゅっとその手を握りしめると、こんなときでさえ、心臓は正常にドキドキした。
ぬいぐるみよりこっちの方が全然いいや、と陸太は思った。