SCENE:8‐1 15時00分 汐生町 港
「まったく、人騒がせだわ」
ユークはぷりぷり怒りながら通学路を歩く。先ほど、海斗から事情を聞いたばかりだ。
さりゅに告白するのを手伝ってくれ。俺の恋愛を成就させてくれ。そう言ってユークに協力を
「ごめんよ、ユーク。陸太の代わりに謝るよ」海斗がにこにこしながら告げる。彼も
「良かったら君も、陸太の勝利を祈ってあげてほしいな」
いつもより深い笑みを湛えた海斗を横目に見ながらユークは溜息をつく。勝利だなんて、まるで決闘みたいじゃない。
「それこそ校舎裏に呼び出して、さりゅに誤解されないかしら」
「校舎裏じゃないよ。陸太が告白場所に選んだのは、汐生小学校の坂下だよ」
汐生小学校? ユークは海斗の言葉を繰り返す。かなり昔に〝覚えた〟汐生町マップを思い返して位置を確かめる。汐生小学校は中心地からかなり離れた森の中にある学校だ。三人の母校だと、いつだか聞いたことがある。
よりにもよって、どうしてそんな場所を選んだのだろう。自分にプロデュースを任せてくれたら、もっとロマンチックな場所をセッティングしてあげたのに。
もっともなユークの疑問に、たぶん、と前置きして海斗は言った。
「僕たちの思い出の場所だからだよ」
「思い出の場所?」
「僕たちが友達になったのが、汐生小学校の坂下なんだ。さりゅが汐生町にやってきたばかりの頃、ちょっとだけ町中がごたごたしていたことは知ってる?」
「まあね」
ユークは伏せ目がちに答える。
病人たちの隔離施設となっていたかつての海砦レムレスは、治療薬が開発されると同時に封鎖された。海砦の住人たちは強制退去の名の下に汐生町へ移住し、地元住民と共存することになった。病気が完治したと知らされても、簡単に気持ちの切り替えが出来ないのが人間というものだ。今でこそ砦出身者は上手く街に溶け込んでいるが、当時はあちこちで摩擦が発生していたと聞く。
「さりゅもその中の一人で、砦出身というだけで、ひどいいじめに遭っていたんだよ。それがあまりにも悪質なものだったから、見ていられなくなっちゃって」
「それで貴方が助けてあげたわけね。いじめっ子に立ち向かうなんて、勇気がなくちゃ出来ないことだわ」
「海くんは大事な人なの」とさりゅが言っていたことを思い出した。昔、いじめから助けてくれた恩をさりゅはずっと覚えていて、感謝の気持ちがいつしか恋心に変わっていたのだ。
……可哀想だけど、陸太の勝ち目はなさそうね。
「それが、ちょっと違うんだな」
海斗は頰を掻くと、困ったような笑みを浮かべた。
ユークは首をかしげる。
「さりゅは、海斗に助けられたって言ってたわよ」
「そう。最終的に、収拾をつけたのは僕なんだ」
「収拾?」
「話せば長くなるんだけれど……あれ?」
苦笑していた海斗が立ち止まる。眉を潜める彼を見て、視線の先をユークも追う。
海斗の見つめる先――そこには少女がいた。白い髪を揺らしながら、こちらへ歩いてくる。
近づくにつれ、凝らしていた目をユークは見開いた。
その少女は、自分に似ていた。いや、似ているなんて生温い表現だ。
彼女は、自分自身そのものだった。
無表情の自分が真っ直ぐにこちらへやってくる。
ユークと海斗が息を呑んだのは、ほぼ同時だった。
少女の動きが変わった。
立ちすくむ二人の姿を認識したらしい。ユークではないユークは、超人的な速さで突進してきた。白い手には、ナイフが握られている。
まずい……!
そう思った矢先、鋭い刃先が
すぐさま非常事態モードをオンにすると、痛みを感じなくなった。同時に、霞んでいた視界が元に戻る。ユークはスカートの裾へ手を滑らせる。太ももに取り付けていたホルスターから小型拳銃を引き抜き、両手でグリップを握りしめると引き金を引いた。
パン! と軽い音がして、自分そっくりの少女の胸に穴が空いた。
敵は動作を停止し、ユークにもたれかかってきた。その重みに押しつぶされかけた身体を、海斗が支える。
「しっかりして! 今、助けを呼ぶから!」
「だ……だ……」
言葉を発しようと開きかけた口から、血色のガソリンが零れ落ちる。海斗から顔を背け、地面に吐き出す。痛みは感じなくなったが味覚は感じる。
ひどい化学薬品の味。
「誰にも言わないで……」
なんとかそれだけを告げると、ユークは横たわった死体を見下ろす。
いや、これは死体ではない。
死んでいない。
そもそも生きていない。
フィジカル、ヴィークル!
「喋っちゃダメだ! 今、救援を……」
「やめて、海斗……!」
咳き込んだ拍子に、大量のガソリンが吐き出され、海斗の制服を汚した。人体とは程遠い
荒い呼吸を繰り返しながら途方に暮れていると、大きな手が頬に触れた。
「君を直せるのは、ネムル博士しかいない。そうだよね?」
「えっ?」
「君の秘密を知っているんだ。黙っていてごめん。とにかく今は救援を――ネムルさんを、呼ばなくちゃいけない。ユークの衛星電話はどこ?」
ユークは辺りを見回す。すると道端の溝の近くに鞄が転がっていた。海斗に肩を貸してもらい、近くへつれて行ってもらう。鞄は口が空いていて、飛び散った中身の大半が用水路に沈んでいた。黒く濁った水の底に衛星電話が見える。
「自力でレムレスに戻るしかない」ユークは言った。
「なんとしてでも帰らなくちゃ。酸素供給システムが停止する前に」
「ひとまず陸太とさりゅに連絡を取ろう。レムレスに戻るには、陸太のアクアバギーがいるし」
「そうね。海斗の携帯電話は?」
「それなら僕の鞄の中に……」
そのとき、ぴくり、と機械の指が動いた。致命傷を負ったはずのフィジカル・ヴィークルが、しきりに腕を動かしながら、今にも立ち上がろうとしていた。海斗の鞄は機械人形の足元に転がっている。
海斗はユークを抱き上げたまま、しぶしぶと暴れ狂うロボットから距離を取る。
港を見ると、レムレスへ続く船着場に数名のフィジカル・ヴィークルが見えた。かなりの距離が空いているにも関わらず、彼女たちの視線はこちらへ向けられている。やがて、一人また一人と走り始めた。
気が抜けたように
「逃げてっ!」
両腕にユークをしっかり抱えて、海斗は走り出す。目的地とは正反対だが、背に腹はかえられない。フィジカル・ヴィークルとの距離はかなり開いていたが、彼女たちは疲れを知らない。変わらぬ速度で迫ってくる。
少しでも時間を稼ごうと、ユークは海斗の肩を
頭を軽く振って汗を飛ばすと、海斗は言った。
「僕に考えがある」
ユークは辺りを見回す。視界を横切る家々に見覚えがあった。
追手たちは軽やかな足取りで追いかけてくる。
伸ばした手が今にも触れそうになったそのとき、
「ユーク!」海斗は叫んだ。
「僕に捕まって!」
ユークはぎゅっとその首にしがみついた。つま先で地面を蹴ると、海斗は開かれた正門へダイブした。瞬間、バシッと音がして、草むらから何かが飛び出した。それは空中で大きく広がり、飛び上がったフィジカル・ヴィークルに覆いかぶさった。
ウィーン! ガリガリガリガリ!
すさまじい
電動式の刃物が、硬いものにぶつかる音だ。
海斗の腕から放り出されたユークは、慌てて上体を起こし、空を見上げた。
そこには残酷な光景が広がっていた。まるで
フィジカル・ヴィークルたちは
バラバラになった自分を見るのは、精神衛生上よくない。
ユークは玄関先に背を向け、庭園に滑り込んだ海斗を探す。
彼は、ユークから少し離れた木の陰にいた。背をかがめて、まるで崖下を覗き込むような体制で、数メートル先の敷石を見下ろしている。ユークに気づいた海斗は、制するように片手を挙げた。こっちに来るなという合図だ。
思い切りジャンプして芝を越える。ほんのわずかに踵が芝に触れた。次の瞬間、地面に埋まっていた捕獲網が飛び出した。海斗の背をかすめて、木の枝に絡みつく。
先日、陸太が掛かった罠を間一髪のところでかわし、やれやれと額の汗を拭う。
「地雷原に逃げ込むなんて、大胆な賭けに出たわね」
海斗を見上げると、ユークは言った。
ここは危険なトラップが埋まりまくった地雷地帯――水上家のお屋敷だ。敵味方の区別なく、侵入者は捕縛か排除。先行く道は
「勝率の分からない賭けはしない主義なんだけどね」と言いながら、海斗がかがみこむ。大きな腕が背中に回され、ユークも海斗の首にしがみついた。先ほどと同じように抱きかかえてくれると思ったのだ。
しかし、海斗は動かない。
不思議に思っていると、背中に回した腕にぎゅっと力を込められた。
ユークの上半身は、海斗の胸に抱き寄せられた。
胸の奥から強い鼓動が聞こえ、ユークは気がついた。
これは抱擁だ。