SCENE:4‐3 9時15分 汐生町 繁華街
「それで、遅刻してきたのは貴方ってわけ」
ユークの冷たい声が響く。
人の多い休日の汐生町でもその声はよく通った。
ユークの前では陸太が気まずい笑みを浮かべている。
隣に佇む海斗も微笑んでいるが、こちらは余裕のある大人の笑みだ。
海斗は指定された時間より前もってやってきて、待ちぼうけを食っていたユークをオシャレなカフェに誘った。そこで一時間ほど談笑した後、今回の主役が現れた。
「海斗から話を聞いたわ。デートの予行練習をしたいんですって?」
溜息を吐きながらユークは言う。
昨日、届いたメールには用件が書かれていなかった。
待ち合わせ場所に現れなかった陸太に代わって、海斗の口から、陸太がデートの予行練習をしたいことを聞いたのだ。
「仮にも“デート”と名がつくものに遅れてくるなんてどういうつもり?」
「だって、洋服が決まらなかったんだもん」
「洋服……」
ユークは陸太の全身に目をやる。遅刻を先に叱ろうと思い、なるべく視界に入れないようにしていた。ロータリーを行き交う人々の視線が自分たちにーーというより、陸太にーー向けられていることも無視した。
しかし、自ら口にするとは、よほど叱られたいらしい。
というのも、陸太は、全身をナイロン製のジャージで固めていた。色は目が痛くなるような黄金。
しかも、左肩と右太ももにいかつい刺繍が施されている。
いがみ合うように対峙した龍と虎。
「貴方、
「まさか! オレのカッコ良さは国宝級だが、惚れて良いのはさりゅだけだぜ」
皮肉の意味で問いかけたつもりが、ムカつく言い方で返された。
腹の虫を収めるために、とりあえず陸太のスネを蹴っておく。
呻く陸太を放置したまま、ユークは手近なコンビニへ入る。
窓際に並べられた雑誌の中から、男性向けのファッション誌をかき集め、ユークは猛スピードでページを捲る。
スキャン、スキャン、スキャン……頭の中でつぶやきながら、目に映るページを片っ端から“覚え”てゆく。
二冊目、三冊目、スキャン、スキャン、スキャン……。
短期間にあまりにも多くのことを“覚え”過ぎたのだろうか、最後の雑誌のページを閉じると、身体がふらついた。
「ユーク、大丈夫?」
振り返れば、心配顔の海斗がいる。
「“
「そうね。ちょっとだけ目がチカチカしたわ。でも、大変なのはこれからよ」
二人が振り返った先に、悪趣味なジャージ人間が腕組みをしている。
「こらっ、オレを置いて立ち読みかよ!」
足の怪我から立ち直ったらしく元気いっぱい。
派手なファッションにぴったりの、空気の読めない大声を上げる。店内にいる人の目が咎めるように陸太を向き、ユークに向いた。
ああ、知り合いだと思われたくない……。
「ユーク、なにか言ったか?」
「いいえ。とりあえず、移動しましょう……出来るだけ、離れて歩いてくれる?」
「何でだよっ! オレたち、友達だろっ!? 何で離れて歩く必要があるんだよっ?」
「わ、分かった、分かったから近寄らないで。友達だと思われたくないから」
「だーかーらー、オレたち、友達だろー!」
きゃんきゃんと吠えながらついてくる陸太を振り切りたい衝動に駆られつつ、ユークは繁華街のドッグストリートと呼ばれる通りを目指す。
先程“覚えた”雑誌の中に「汐生町のイケてる店」というタイトルで、男の子向けの特集が組まれていたのだ。
ドッグストリートは繁華街から一本脇道にそれた裏通りで、個人経営の古着屋が立ち並ぶおしゃれな通りだ。
おしゃれに縁がないことを主張するかのごとく陸太は目をまんまるにして、店々を見回している。
その仕草が輪をかけて恥ずかしい。足早に先を急ぐ。
目的の店へたどり着くと、ユークは手当たり次第に服を物色し始めた。
傍らに佇む海斗へ琴線に触れた洋服を、次々と手渡してゆく。気になるのはサイズのこと。
平均的な中学生男子より二回りほど小さな陸太に、ぴったりの服はあるだろうか。
ジャージの上から次々と服を合わせながら、ユークは頭の中の雑誌をめくり、コーディネートを考える。男の子の服の趣味など分からないし興味もないが、雑誌と似たようなものを見つけるくらいならお手の物だ。
まさか“瞬間記憶能力”がこんなところで役に立つとは……。
何着もの洋服を重ねられた陸太は不服そうにつぶやいた。
「オレ、
「売りましょう、一張羅」
「はっ?」
「売って、新しい洋服を買うお金にしましょう。ここは古着屋だし、ちょうど良いわ」
「なっ……、やだよ! これ、じーちゃんの形見なんだぞ!」
「貴方のおじいさん、ぴんぴんしてるじゃない」
「先取りして形見をもらったの! 海の男はいつ死んでもおかしくないからって、タンスの奥にしまってあったのを引っ張り出してくれたんだ」
「香水かと思いきや、これ、
陸太を試着室に押し込み、力づくでジャージを剥ぎ取る。
キャーッ! と女の子のような悲鳴をあげられたが、構っている暇はない。奪い取ったジャージは二束三文だったが、躊躇いなく換金した。
「いやだよ、こんなの! 全然、目立たねーじゃん!」
地団駄を踏んで怒る陸太は、ヴィンテージものの外国製のTシャツに、迷彩柄のシャツとジーンズを合わせたシンプルな服装に着替えている。小さな頭にかぶっているのは紺色のワークキャップ。
港街らしい異国情緒を取り入れつつ、落ち着きのあるコーディネートに仕上げた。
雑誌に載っていた服装を流用しただけだが、第一印象は見違えるほどだ。
元から服装の趣味が良い海斗と並んでも引けを取らない。
カッコイイ、超絶イケメン、センスある、スマート、人気者、イメチェン大成功、この夏いちばんのモテ男。
雑誌の中で目についた言葉を使って適当におだててやると、陸太はすぐさま上機嫌でにやにやしだす。
「オレ、エモい? ほんとにおしゃれ番長か?」
「ええっと、そうね……。そんなこと言ってないけど、たぶんそんな感じだと思う。ねえ、海斗?」
「うん、とても良く似合ってるよ。ジャージ姿の陸太も良かったけどね」
「それならオレの服、海斗にあげれば良かったな」
陸太に向けて、海斗はにっこり微笑んだ。
「いらない」
三人は古着屋を出て繁華街の雑踏を歩く。その後のデートのプランを聞くと、映画鑑賞を予定しているという。
今日のためにチケット取っておいたんだ! 何日も前からすっげー楽しみにしてたんだよ! とにこにこ顔で前売り券を渡され、嫌な予感が的中した。
「エイリアンVSアドベントヒーローズVSトランスフォーメーションVSポセイドン……何なの、これは?」
「エイリアンとアドベントヒーローズとトランスフォーメーションとポセイドンが戦うんだ! エイリアンは口から手が出る謎の生命体、アドベントヒーローズは特殊能力を持ったスーパーヒーローたちで、トランスフォーメーションっていうのはロボットに変形するオートバイ、ポセイドンはよく分かんねぇ。
とにかく色んな映画から最強キャラが参戦してて、すげーカッコイイんだよ!」
「へぇ……」
「楽しみだなぁ! 奮発して3D映画のチケットを買っちゃったから
「ちょっと……」
「詳しい話はあとあと! 急がないと始ま……」
今にも走り出そうした陸太は、ユークに襟首を引っ張られ、ぐえっ、と踏み潰されたカエルのような声を上げる。
「いきなり何だよ! びっくりさせるなよ!」
「それはこっちのセリフよ! さりゅを相手に何を見せようとしているのよ!」
「だってさ、CGがすごいんだよ。予告映像を見たんだけど、ビームとか、ビルの大爆発とか、本物と思うくらいの大迫力なんだ。それに怪物の特殊メイクだって、すげー気持ち悪くて……」
「そんなものデートで見たくない!」
「じゃあ、何を見れば良いんだよ?」
うっ、とユークは言葉に詰まる。
デートで見る映画なんて知らない。
さっき読んだ雑誌にはデートにぴったりの映画情報は載っていなかった。
「鉄板は恋愛映画だよね」
海斗がにこやかに助け舟を出す。
「もしくは、深みのあるヒューマンドラマかな」
「恋愛映画……」
まずい薬でも飲まされたように陸太はげんなり顔で首を振る。
「オレ、寝るぞ。爆発音がしないと絶対寝るぞ。あ、爆発し続ける恋愛映画なら寝ないと思う」
ははは、と爽やかに笑う海斗の傍で、ユークは脱力する。
爆発し続ける恋愛映画ってなんだ。意味がわからない。
「……イヤホンで、爆発音でも聞いていれば?」
「おおっ、それはいい考えだな! 爆発音を集めた動画を探してみよう」
携帯電話を操作する陸太の傍らで、ユークは頭を抱える。
ダメだ。何から教えれば良いのか分からない。陸太と会ってからずっと、ツッコミ役に徹してしまっている。その時点でデートではない。
ユークはふらふらと待ち合わせ場所であった噴水広場のベンチに腰掛けると、かぶっていたフードをさらに深くかぶった。
疲れた。なんだか頭痛もするみたい。
「なにか飲み物を買ってくるよ」と海斗が気を遣ってくれる。
カフェへ向かう兄弟の背中へ「オレ、サイダー! アイス乗ってるやつ!」と手のかかる注文をつけると、陸太はベンチの隣に腰掛けた。
その間も、携帯電話から爆発音が聞こえてくる。未だに爆発音を集めた動画を漁っているらしい。
ユークは益々、全身から力が抜けていくのを感じた。
カフェへ向かいながら、海斗は昨日の出来事を思い出していた。
いつになく真面目な顔で「オレはさりゅのことが好きなんだ」と陸太に打ち明けられたときは、反応に困ってしまった。
そんなことは数年前から知っている。しかし、意を決して秘密を打ち明けてくれた相手に対し、「知っている」と返事をするのも酷な話だ。
そこで海斗は過剰に驚くことにした。さながら、初めて算数の問題が解けた子供を褒めちぎる父親のように。
すると、デートの予行練習に付き合ってほしいとお願いされた。
ユークにも恋が成就するように手引きをしてもらうという。
「二人には女の子をエスカレーターするときのラケットを教えてほしいんだ」とお願いされたが、これはつまり、女の子を「エスコート」するときの「エチケット」を教えてほしいと言っているのだろう。
控えめに言って教えられる自信がない。
言葉の意味から取り違えている人間に、一体何を教えれば良いというのか。
苦悩する傍ら、陸太らしい言い間違いに安堵している自分がいた。
三人分の飲み物を受け取り、にこやかに礼を言う。
レジ係は高校生くらいの女の子で、海斗の笑顔を見ると頬を赤くしてぱっと目を伏せた。
背の高い海斗は、その大人びた雰囲気も相まって高校生に間違えられやすい。
あの女の子も同い年くらいの男の子に見つめられたと勘違いしたのだろう。
可愛いな、と海斗は思う。
この気持は異性に対しての「可愛い」ではなく、親が子を見るときと似た(否、祖父が孫を見るときと言っても過言ではない)、保護者的な立場のそれだ。
陸太やユークやさりゅを見るときにも似たような感情を抱いている。大好きな友達。彼らの動作の一つ一つは、とても幼くて可愛い。
ユークが輪にくわわり、四人グループが出来上がってから、海斗は気まぐれに女の子と付き合うのをやめた。年上も、年下も、可愛い子も、優しい子も、美人な子も、頭の良い子も、今は誰とも恋愛関係になりたくない。
そして陸太も、誰かと恋をしてほしくない。
僕は今、四人で過ごす時間そのものに恋をしているんだ。
たとえ陸太であろうと、この恋を、この関係性を、終わらせることは許さない。
「陸太……君の最大のライバルは、僕なんだよ」
一人ごちながら、海斗は出口へ向かう。
と、見知った顔の大人たちが見えた。