車が再び走り出す。山頂から、別のルートで下り坂を降りていく。
 獣道の上から無理やりコンクリートを強いたような道を、走っている。
 こういうとき、助手席にいるとヒヤヒヤする。自分が運転している分には構わないのに。
 俺は窓際の断崖から目をそらし、さっきの続きを考える。
 そう、旅路の理由だ。
 俺たちは、どうして旅をしているんだっけ?
 なんだか、色々な過程をすっ飛ばしているような……。
 それなのに、思い出せない。
 そもそも、この旅の目的は……。
「なあ、俺たちはどうしてここに……」

 ふと、顔を上げる。
 青い芝の上に立っていた。
 目の前には木でできた階段が、森の奥へ続いている。
 背後を振り返ると、車道の膨らみに車が駐車されていた。
 山の道路は抜けたのか?
 前方に白いワンピース。凛がスカートの裾をつまんで、ゆっくりと階段を降りている。なんだか童話に出てくるお姫様みたいだ。
 凛、と声を掛け、彼女が肩にかけていた、小さなポーチを持ってやる。
 ヒール靴の彼女が歩きにくそうにしているので、横から腕を支える。
「真一くん、ありがとう」
「気にしなくていいよ。その靴じゃ、歩きづらいしな」
「それはそうなんだけど……そういう意味じゃなくてね」
 器用にバランスを取りつつ、俺を見上げる。
「連れてきてくれてありがとう。こんな日が来るなんて、夢にも思わなかったから嬉しい。アルドや真一くんと旅ができるなんて……それに、茜ちゃんともお友達になれたし」
「俺も、みんなで遊びに行くの、夢だったから。信じられないくらい、嬉しいよ」
 神妙な顔の凛につられて、真面目に答えてしまう。
 この旅に、目的なんてないのかも知れない。
 俺も凛も、平凡な日常を取り戻したかった。
 新しくできた友達と、遊びに行きたかった。
 殺し合いとは無縁の場所で、バカっぽい話をしたかった。
 ただ、それだけ。


 そのとき、坂下から足音が聞こえてきた。早足に近い速度の、革靴の音。金の髪を揺らしながら、アルドが階段を登ってくる。
 さすが、俺たちのもとへたどり着いても、呼吸の乱れひとつない。
「すまない、先走りすぎた」
俺からポーチを受け取ると、アルドは凛の手をとった。数歩、歩いて考え直すと、身をかがめて抱き上げる。
 お、お姫様抱っこした……ちょっと勇気がいることを、平然とやってのけるとは。
 森のふもとで待っていた茜も、きゃっ、と飛び上がって両頬に手を当てる。早くもその顔が真っ赤だ。
「いちいちオーバーな娘だな」
 その隣へ凛を下ろすと、アルドは何事もなかったようにシャツの乱れを整えた。茜と同じ顔色を、凛がしているということに、気づかないようだ。
 それは、育ってきた国の文化や環境の違いがあるから……というわけではなく、単純に、鈍いんだろう。女の子に。
 仕事をしていた頃も、ちょくちょく鈍かったよな。女どころではなかったにしてもさ。
「この場所に、見覚えがある」
 やれやれと息をつく三人を無視して、アルドは言った。
 腕を組み、道の先を見つめている。
 坂の上からは森に見えていたが、入り口に立ってみると、そこまで大袈裟なものではなかった。言うなれば、緑のアーチ。折れ曲がった木立の若葉が、数メートルほどの短い道を、トンネルのように覆い隠しているだけだ。
 森林効果か、入り口から涼しい風が吹いている。
「おそらく、この場所で間違いない」
「兄ちゃん、マジか!」興奮気味に茜が食いつく。
「早く行ってみましょうよ!」凛がアルドの腕を取る。
 そうしよう! と俺も同意するけれど、話している内容を、本当は分かっていない。
「真一、企画した甲斐があったな!」
「お、おう」
記憶がぼやける。
「なんや真一、嬉しくないんか?」
「いや、嬉しいよ」
「そんなら、もっと喜びぃや」
「あ、ああ……」
茜の責めをぼんやり受け流して、俺はアルドを見る。
 灰青色の瞳と目が合う。
 低いつぶやきを聞き取って、ハッとした。
「ここが、俺の故郷かも知れない」

 そうだ、それだ。
 俺たちの旅の目的。
 あいつの、生まれ育った場所を、見つけること。
 この先の未来に起こるか、分からないこと。
 記憶がぼやけて、景色も滲んで、ただ灰青色の眼差しだけが残る。

 ……。……。……。
 目を覚まして、起き上がる。
「変な夢……見た……」
 頭を掻きながら、ふわあっとあくびをする。
 携帯電話のライトが照らす、午前一時のデジタル時計。
 俺はベッドの上にあぐらをかいて、腕組みする。
「あいつの、故郷……」
夢の最後で聞こえた、最後の言葉を思い出す。
 〝ここが、俺の故郷かも知れない。〟
 あの旅は、生まれた場所を探すために催されたものだった。日本で生まれ、物心つく前に渡米したアイツのルーツ。
 そして、その旅路を計画したのは、俺……。
 頭をつつきながら、先ほどまで見ていた夢の内容を必死で思い出そうとする。
 あの幻影の中に、地名が書かれた看板や印象的な建築物は、出てきただろうか。
 オカルトを信じているわけではないが、夢に見た場所が、実在しているか確かめたい。
 かなり長い夢だった。眠りについてから三時間しか経っていないのに、場面がめくるめく変化した。
 サービスエリア、高速道路、山の上の高台、どこかへ続く森の入り口。
 時系列的に見た夢の場所を思い出していく……でも、思い出すそばから、記憶が薄れて、曖昧になってゆく。
 霧をつかもうとして手を振り回すそばから、霧が晴れてゆく感じ。
 プラモデルの腕をつけるみたいに、瞬間接着剤でガチッと固めてしまえたら良いのに。
 そんなくだらないことを考えていると、もうほとんどの夢に見た内容を忘れてしまった。
 場所はおろか、その場にいた友人たちとのやりとりも曖昧だ。
 正夢かも不明な、ただの夢……先の未来に、実現すれば良いと願う、俺の夢。
 「アルド」とつぶやく。
 アイツの本来の名前だが、馴染みのない言葉として、口から発せられる。
 仕事用の偽名ではなく、いつか本名を、呼べる日が来るだろうか。

 立ち上がり、部屋のドアを開ける。
 廊下の先に、もう一つのドア。
 磨りガラスの窓がついた、リビングのドアを開けると、アイツがいる。
 夢の最後に見た、灰青色の眼差しと目が合う。
 俺は、友達の名前を呼んだ。
「フィアス」