「ねぇ、今日の昼間、横浜市内の高校で事件があったみたいじゃない? あれは〈サイコ・ブレイン〉あなたたちの仕業なんでしょう?」
AM2時30分。横浜に数多く点在するホテルの、とある一室。凛は、隣に横たわる男に聞いた。
 今宵、龍頭凛と一夜を共にしている男は、〈サイコ・ブレイン〉の中でも最下層の、暴走族上がりだった。暴走族やチームと呼ばれる者たちは、独自の情報ネットワークを築いている。凛が彼に声をかけたのは、そのネットワークから、今日の夕刊以上に「立てこもり事件」の詳細を知っているかもしれないと思えたからだ。
 〈サイコ・ブレイン〉に所属しているだけあって、この男は勘が鋭く、抜け目なかった。情報収集が目的の今宵の遊戯に誘うまで、かなり時間がかかったものだ。しかし、凛はそういった男をもう何人も手懐けている。今では、〈サイコ・ブレイン〉の幹部クラスのサイコ・キラーとも対等に渡り合えるほどの知恵も身についた。こうやって男に一夜の夢を見させてやるだけで、内部の機密は、いとも簡単に凛の掌に舞い込んでくる。
 頭の回転とカラダのテクニック。これが凛を23の年まで生かしてきた、処世術なのであった。
「詳しい事、知ってる?」
「さあ、知らないなぁ。俺に与えられた仕事じゃないもん」
男は凛の後頭部を撫でながら腑抜けた声を出した。しかし、ふと思い出したように、
「そういえば、今、俺達が狙っているあの男……えっと……」
「フィアス」
「そうそう、ソイツ。フィアスをおびき寄せるための罠だってのは、聞いた」
凛は心中で首をかしげた。高校で起こった立てこもり事件がフィアスをおびき寄せるための罠? フィアスと立てこもり事件の舞台となった「神奈川私立須賀濱高校」には何か接点があっただろうか?
 凛が男に尋ねると、男のほうも首をかしげたが、やがて「たぶん」と切り出した。
「〈サイコ・ブレイン〉は昔、本郷真一という何でも屋の命を狙っていたんだろ? そいつの知り合いがその高校にいるとかなんとかで、今日の立てこもり事件は、きっと、初めにその本郷真一をダシに使って、芋づる式にフィアスって野郎をおびき出そうとしたんだよ」
「フィアスをおびき出して、どうするのよ?」
「そんなこと、知るかよ。どうせ殺そうとしたんだろ。〈サイコ・ブレイン〉俺たちはその気になりゃ、現場の警察官やマスコミ関係者や犯人や、人質の生徒にさえ、なりすます事が出来るんだから。どさくさに紛れて殺すことは容易ない」
「だけど、今日の夕刊には死傷者ゼロって書いてあったわ。いつフィアスを殺すのよ?」
「んなこと知らねぇよ。どうせあと数日のうちには〈サイコ・ブレイン〉俺たちの誰かが、カタをつけるに決まってるさ」
 なんて役に立たない男なのかしら。
 凛は腹の底で毒づいた。
 あたしは、フィアスが何月何日に殺されるか、克明な期日を知りたいのよ。それなのにこの男、思わせぶりなことばっかり言うくせに、あたしの知りたい情報なんて、これっぽちも持っていやしないじゃない。これでよく〈サイコ・ブレイン〉なんて名乗れるわね。どうせ上の人間に使われるだけ使われて、三カ月もすれば、頭蓋に弾丸を埋め込まれたまま、東京湾に沈められるのがオチなんだわ。
 これは冗談ではなく、実状だ。凛は今までに14人、似たような運命をたどった男たちを見てきた。誰もが駒のように動かされ、役目を終えると上部の人間の手でチェスボードから弾きとばされる。
 もしかしたら、自分もこのような運命の元に生きているのかも知れない。そう思うとぞっとする。自分は、なんとしてでも天寿を全うしてやる。
 そう考えた時、凛の頭にいつでも「若さ」という単語が浮かんだ。凛が〈サイコ・ブレイン〉によって生かされている理由は、恐らくこの「若さ」のため。その瑞々しい唇で、指で、足で、肉体で〈サイコ・ブレイン〉の男たちを癒すためだ。
 彩が生きている時は、「そっくりな顔・身体」を持つ双子として、多数の使い道があったのだろうが、彩が死んでしまった今、凛はただ若くて美しいというだけで生かされている。しかし、その利用価値も、持ってあと5年だろう。女の盛りが終わった時が、凛の命の尽きる時。凛は確信している。
 5年以内に、あたしは殺される……。
「なにぼんやりとしてるんだよ、凛」
 いつの間にか男の裸体が身体の上にのしかかっていた。露わになった胸の黒蝶に男の熱い吐息が吹きかかる。
「もっと楽しませてくれよ、凛」
凛は目を閉じた。身体の上に男の重みを感じながら、凛は頭の中で呪文のように唱えていた。
 自分が助かるための道、自分が助かるための道、自分が助かるための道……幾度繰り返しても、「彩でいた3日間」の残像が――あの男の姿が、凛の目の裏に漂うばかりだった。
 自分が助かるための道は、水平線のような灰青色をした瞳が猛々しく光る時や、優しげに細まる時にだけ、開かれているように思えてならないのだった。事実、その色以外にもう道は残されていないのだろう。
 これは、運命だ、わたしと彩とフィアスを繋ぐ。血の滴った、運命だ。
 突然、快楽の電流が全身を貫き、全ての思考が弾かれるようにして目の前から消え去る。凛は上ずった声を上げた。