彩とは何でも屋近くの人気ひとけのない歩道で別れた。その辺りに彩の泊まっているホテルがあるらしい。
「〈サイコ・ブレイン〉からは上手く身を隠せているのか?」とフィアスが聞くと、彩は微かに笑んだ。まだ先ほどの失態から立ち直れていないようだったが、声の大きさはいつも通りだった。
「大丈夫よ」
きっぱりとそう言うと、明日にまた何でも屋で会う約束をして彼女は帰っていった。フィアスはハンドルに顎を乗せて、暫く去っていく彩の背中を見つめていたが、やがて小さく溜息をつくとアクセルを踏んだ。
 運転中、彩に対する様々な思索が自分の頭に侵入し、思考力を鈍らせた。あの女性が龍頭彩だという根拠、龍頭彩ではないという根拠、どちらも強い信憑性を纏いながら、フィアスの心に影を落とす。彼女の胸にあるタトゥーは本物、彼女の話し方や振る舞い、外見も昔の彩そのものだ。だけど、確かに5年前、彩は死んだ。そして、キスの時に脳裏を横切った違和感は一体なんだったのだろう……今はいくら思案を巡らせても、真実が見つかりそうにない。もどかしさを振り切るように、車道に車が少ないところを見計らって制限速度より30kmも多くスピードをとばした。盗難車扱いの車でスピード違反をするなんて自殺行為もいいところだ、と気づいたのはもう車がホテルに着いた頃だった。
 巨大な黒曜石を彫り崩して作ったかのような闇に沈んだ色、セキュリティー完備が売りの大型ホテル。1705号室にカードキーを滑らせ、ロックナンバーを解除する。これのどこが「セキュリティー完備」なのだろう。逆に言えばカードキーとナンバーが分かり次第侵入など楽勝じゃないかと切り替えしたくなるが、この程度のセキュリティーが日本では高レベルに準じているらしい。日本人には危険意識が欠けていると認識せざるを得ないフィアスである。
 早々にシャワーを浴びて、「JUNK & LUCK」は切らしたままだったので、洗面所でセブンスターを一服吸った。昼の12時からずっと我慢していた煙草の匂いで、100年の苦悩から覚醒する。
 ほとんどプラチナに近い色をしたブロンドの毛先から滴った水が頬を伝うのも気に留めず、フィアスは改めて論理的根拠に基づいた思考に脳細胞のすべてを傾けた。

 果たして、彼女は本当に龍頭彩その人なのだろうか。

 一番手っ取り早くそれを確かめる方法は、彩にしか答えることのできない質問をしてみることだったが、彼女は今、自分が龍頭彩ではないと疑われることに対してナーバスになっている。わずかでも疑いの目を向けるような真似をしたら、今度こそ彼女は自分に背を向けるだろう。
 そうなると、長い時間をかけて彼女を5年前の彼女と照らし合わせて、一致する確定要素を見つけ出していけば良いわけだが、事はやや急を要している。彼女が龍頭彩でなかったらと仮定すると、長期間こちら側の内部事情をさらけだしておくわけにもいかない。
 当たり前だが、本郷真一は5年前の龍頭彩を知らない。判断は全て自分に任せられている。早く決断を下さなければ、真一としても敵か味方か、どちらに彩を分類すればいいのか迷うところだろう。どちらでもない人間ということを念頭に置きつつ付き合うことは、真一の性格からして不可能だ。
「シックスセンスを信じてみるか」
洗面台に煙草の灰を落としながらフィアスは呟いた。
 結局のところ、危うい仕事で頼りになるのは腕前ではなく、自分の第六感だけだ。