結局、今日の仕事は早退した。ジャックは「仕事が終わった後で良い」としきりにみさとの立場を尊重していたが、〈ドラゴン〉の名を知る者がいては、仕事にも身が入らない。どうせ、私がいてもいなくても店の売り上げには変わりはないんだし、と半ば自虐的な気分に陥りながら、みさとは早退のむねをマネージャーに告げた。マネージャーは渋ることなく許可した。
「そうだね、今日はみさとちゃん頑張ったから、切り上げちゃっていいよ」
笑顔の耐えないというか、笑顔が張り付いたまま取れないマネージャーに深々と――今や若年層にはない「礼儀正しさ」がみさとの唯一の武器なのだ――頭を下げる。きっと、現在№1の座を保持しているコはこんなにすんなりとは帰してもらえないんだろうなと思いながら。
 店を出て少し歩いたところ、国道に通じる道に出たみさとの目に飛び込んできたのは、一台の黒い外車だった。自分は車に詳しい方ではないので種類までは分からない。しかし、その艶光つやびかりしたボンネットを見ただけで、とてつもなく高級な車なんだろうなということは予想がついた。きっと数千万単位の金が掛かっているに違いない。
 運転席からジャックが降りてきて、助手席の扉を開けてくれる。まるで、高級ホテルにいるドアマンみたいに。
 僅かだが男尊女卑だんそんじょひの傾向が残っている日本では、まず男はこんなことはしてくれない。まして、男性の酌の相手をするホステスは、男に尽くすことはあっても尽くされることは珍しい(逆にホストは尽くされることが多いと聞くが)。そんなこともあってか、ジャックの中では当たり前という感覚で行っている「レディーファースト」にみさとは感動した。
 「どうぞ」というジャックの言葉に促されてみさとは助手席についた。左ハンドルだった。しかも茶色い大理石のように滑らかな手触りのハンドルである。同じ材質でドアの取っ手やサイドボードの表面も茶色で触れるとひんやりした。これは本当に大理石が使われているのだろうか。だとしたら、高級車の中でもかなり首位の方に位置するだろう。
 運転席に着いたジャックは慣れた手つきでエンジンを唸らせ車を発車させた。
「この車、高そうね……すごく」
みさとは思わず口に出した。こんな車、一流ホストでも持つことは難しいのではないだろうか。
「人から貰ったから詳しい値段は分からないが、高いだろうな」
ジャックも謙遜するでもなく、すんなりとみさとの意見に同意する。
「ずっと、横浜の貸し倉庫の中に放ったままだった」
「そういうの、日本語で何て言うか知ってる?」
「え?」
「宝の持ち腐れ。無用の長物」
みさとが面白そうにそう言うと、ジャックは苦笑を含んで曖昧に笑った。
 煌びやかで騒がしい大通りを抜ける。何度か渋滞にはまりそうになったが、三十分ほどで騒がしい繁華街から抜け出せた。元々、みさとの店は六本木でも外れの方、白金台方面にあったので、あっさりと渋滞から抜け出せたのかもしれない。
 その間、殆ど会話はなかった。みさとは車に取り付けてあった蛍光けいこう緑に光る時計を確認するフリをしながら、幾度となくジャックを盗み見た。外からネオンライトの光を浴びたジャックは、左頬を緑色やピンク色に色づけされながら無表情で車を運転していた。しかし、灰色に少し青を差したような色の彼の目は物憂ものうげで、少し伏せ目がちだった。大分、お疲れのようだ。
 自分よりもずっと年若いこの男は、一体〈ドラゴン〉の何を知りたいのだろう。
 騒音という名のBGMがフェードアウトすると、場のムードが本題へと移り変わっていく気配を見せた。しんと静まり返った住宅街の一角に来ると、道の端にジャックは車をつけた。みさとの座る助手席の窓からは公園が見渡せる。今の時刻は九時を少し回ったところ。住宅の家々には黄色の光が灯っているものの、外は人っ子一人いない。元から音楽も掛かっていなかった車内は早くも静寂が腰を下ろしていた。ロマンチックの欠片もないこの空間。
 車内だということを除けば、ドラマで見るような刑事の取調室の空気と指して変わりはない。みさとは胃がムカムカするような、圧迫感に見舞われた。
「貴女を探し出すのに苦労した」
やがて、ジャックが口火を切った。
「六本木の様々なクラブに通って、貴女の居所を突き止めた……六日かかった」
だから、〈Beaucoup d'Amour,〉に来たとき、既に彼の周りに酒の臭いが取り巻いていたのか。それこそピンからキリまで、クラブを練り歩いて、酒も浴びるほど飲んだ(というか、飲まされたのだろう)に違いない。
「ご感想は?」
「あんなに疲れる作業は今後、ご免被りたい」
みさとの面白半分の質問に、ジャックは憂鬱ゆううつそうな顔をして答える。さき程、ジャックは賑やかな場所は苦手だと言っていた。そんな彼からしたら、騒がしくて派手な六本木は早くも倦厭けんえんの地となっただろう。
「俺からも質問していいか?」
「どうぞ」
みさとは笑いながら先を促す。
「〈ドラゴン〉とは、別れて以来全く会っていない?」
〈ドラゴン〉と聞いてみさとの身体が微かに強張こわばった。余裕だった笑みも一瞬絶えたが、みさとは新たにつくろった笑顔でそれを悟られまいとする。ジャックにそれが通じたかどうかと言われると不明だが。
「そうね。十なん年間、全く会っていないわ」
「一度も?」
「ええ、一度も」
ジャックは暫く額から眼にかけてを片手で覆って考え事をしていたが、やがて切り出した。
「〈ドラゴン〉はどんな人間なんだ?」
「もう昔のことよ……」
「教えてくれ」
「どうしても?」
頼む、と消え入りそうな声とは反対にジャックは強く頷いた。
「どうしても、情報が必要なんだ」
――ああ、この人は〈ドラゴン〉と同じで何か暗くて重いものを背負っているわ……。
 きっと、〈ドラゴン〉に関することを全部吐き出さないと解放してくれないんだろうなと思った。それくらいの覚悟がジャックの強い瞳から伺えたのだ。どんなことをしてでも、〈ドラゴン〉の情報を掴んでみせる、そんな覚悟。
 ジャックの強すぎる目線から顔をそむけ、みさとは暫く黙っていたが、やがて観念したように両手を挙げた。全世界共通の“ホールド・アップ”。
「煙草、吸ってもいいかしら?」
 ジャックの承諾を得る前にヴィトンのハンドバックからメンソールの煙草を取り出して火をつけた。女性に人気のメンソール煙草の軽い臭いが車内に充満する。みさとは煙草そのものより、フィルターに染み込んだメンソールの氷結感をゆっくりと味わった。みさとはヘビースモーカーだが、雰囲気から察するに、ジャックも煙草を手放せない種類の人間のようだった。しかし、肝心な所で煙草に手を付けるのは自分のポリシーに反するのか、ジャックはみさとが煙草をふかしながら話し始めるのを、何をするでもなくじっと待っている。
やがて、みさとは煙を吐き出すとともに話し始めた。
「……私が〈ドラゴン〉に会ったのは18の頃、まだこの世界に入ってからそんなに月日は経っていなかった。私が働いていたのは、今よりもっと小さな、クラブっていうよりはスナックみたいなお店で、そこに〈ドラゴン〉は上司の人と一緒に来たの」
「ヤクザか?」
「そうよ、確かその店のママがそのヤクザの愛人か何かだったんだと思うわ。〈ドラゴン〉はそのヤクザの組の幹部だったの」
「本当か? その組の名前は?」
切羽詰った様子でジャックが尋ねる。みさとは額を指で押しながらその組の名前を思い出そうとしたが、上手くいかなかった。
「ごめんなさい。仮にもヤクザって職業だから、〈ドラゴン〉もその上司も娯楽の場で仕事の話は持ち出さなかったのよ」
「いや、いいんだ……続けてくれ」
ジャックに促されて、みさとはまた記憶を十数年前に飛躍ひやくさせる。
「ママと一緒に酌の相手をしたわ。私はまだ新米のホステスだったからとてもお客の――それもヤクザの人の――相手なんて務まらないのは目に見えていたけど、その日は人手が足りなかったのね。けれど、〈ドラゴン〉はちっとも嫌な顔をしなかったのを覚えてる。第一印象はヤクザっていうよりも気の良いおにいちゃんって感じ。ヤクザとママが話しに華を咲かせてる隣で、私と〈ドラゴン〉も色々と積もる話をした。昨日見たニュースの話、酒の話や景気の話、私の平凡な生い立ちとかね。馬が合ったのよ、すごく。〈ドラゴン〉の方も話し上手に聞き上手でね、すっかり意気投合した。後日、〈ドラゴン〉一人でお店に来るようになって、私を指名し始めたのも、その夜を振り返れば自然の成り行きだったわね」
未だ目に焼きついている〈ドラゴン〉の些細な仕草、表情の変化、好きだった酒の種類……みさとが煙草を吸うようになったのも、〈ドラゴン〉と付き合ってからだった。
煙草を吸い終わった。みさとは車の灰皿受けに煙草を押し付け、また取り出す。ジャックは真摯しんしな眼差しでみさとが話し始めるのを待っている。
「〈ドラゴン〉と付き合い始めたことは、誰にも明かさなかった。勿論、スナックのママにも。スナックの従業員がその道の男とそういう関係になるのって、人に話すと色々と面倒くさいのよね。〈ドラゴン〉も事務所に内緒にしてるって言ってたから、きっとおんなじ気持ちだったのかもね。〈ドラゴン〉は、理想的な男だった。頭も良くて、全然威張ってないのよ、ヤクザなのに。ニヒルな感じなんだけど、女にも優しかったし……そうそう、ちょっと貴方に似てたわよ」
ジャックは曖昧な笑みを見せた。
「それで?」
「一年間くらいだったかしら、そんな楽しい付き合いが続いたのは。だんだん、〈ドラゴン〉について妙な噂がまことしやかに流れ始めたの」
今でも思い出す。
「この前来た、あの〈ドラゴン〉っていうヤクザの人……」そう言って同期の女の子が声を潜めて教えてくれたあの噂……。
聞いた瞬間、我が耳を疑った。

『〈ドラゴン〉は人をよみがえらせようとしている』

「……どういうことだ?」
長い沈黙の後、ジャックから発せられたのはこの一言だった。眉間に皺を寄せて、怒っているのか困惑しているのか判断のつきかねる表情でみさとを見ている。みさとはため息をついた。
「言葉通りの意味よ。当時の私もその噂を聞いたとき、今の貴方みたいな顔をしていたと思うわ」
「聖書じゃあるまいし、死者が蘇るはずないだろう」
「そうね。だけど、〈ドラゴン〉は本気だったみたい」
「……結果は?」
みさとはさっきよりももっと重いため息をついて首を振った。
「そんなこと起こるわけないでしょ」
「だろうな」
 なんとも言えないアンニュイな空気が流れる。ジャックは表情を曇らせて窓の外に視線を投げだし、みさとは赤色に塗られた自分の爪を眺めていた。悪い冗談にしては、話が幼稚ようちすぎる。いや、あれが稚拙ちせつで悪い冗談だったらどんなに良かっただろうと今になって思う。
「ただ、お話はこれで終わりじゃないの……もう狂っているとしか思えないことを〈ドラゴン〉は犯してしまった」
窓から視線を外して、ジャックがみさとを見る。思い出したくない記憶が呼び起こされる。
一つ、深呼吸をしてみさとは口を開いた。
「〈ドラゴン〉、人を殺したのよ。それも十人以上の人間を一度に」
当時、世間は騒ぎたった。一人の男が老若男女問わず、横浜から東京にかけて人間を殺して回ったことに。そしてそれが愛した男の仕業だと知ったとき、恐怖より、この上ない脱力感がみさとを包み込んだ。警察署の前でリポーターが声を荒げてLIVE中継をしているTV画面の前にへたり込んで、ただ涙を流した。ただ悲しかった。もう死んでしまいたいと思った。
そのとき、自分が思っているよりもっと〈ドラゴン〉を愛していたのだと知った。
「動機は?」
その事実に臆することなくジャックは聞く。一瞬のセンチメンタルから解放されたみさとは首を捻る。
「さあ……TVでは、〈ドラゴン〉は麻薬のせいで精神不安定になっていたとか言っていたけど」
「それは有り得ないな。多かれ少なかれ麻薬を服用した状態では、広範囲にわたって人を殺すことなんて出来ない」
確信を持った口ぶりでジャックは言う。やっぱり、この人は一般人じゃないのね……みさとは、まだ年若いのに退廃的たいはいてきな空気を身にまとったこの男をぼんやりと眺めて思う。
「私の知るところじゃないわ。〈ドラゴン〉はすぐに警察に捕まったし、私の方にも警察やマスコミが押し寄せてきたし……もう散々。それ以降〈ドラゴン〉とは会わず仕舞いで終わったわ」
「災難だったな」
全くよ。みさとは呟くと煙草を灰皿に押し付け、大きなため息を吐き出した。自分の古傷を赤の他人にえぐられた気分。随分と自虐的な事情聴取だ。
「私の知っていることはこれだけ。狂った男が十なん人を殺害したって話、有名だから当時の新聞にたくさん載ってるわよ……もう後は、それで調べて頂戴」
うんざりした様子でみさとは助手席の窓に顔を背けた。外は相変わらず闇に包まれていて、電柱に取り付けられた白い蛍光灯だけが不自然なくらい明るい輝きを放っていた。その周りをたくさんの羽虫が飛び交っている。
「〈ドラゴン〉との間に子供は?」
五分ほど時間が流れてから、ジャックが尋ねた。
「一人……」
「何」
「……出来たけど、堕ろしたわよ」
窓から目線を外してジャックの方を見ると、彼はやや勘繰かんぐるような目をしてみさとを見ていた。
「それは本当か? 間違いでも、産んでいないと言い切れるか?」
「何でいつわる必要があるのよ?」
一体何を疑っているのだろう。ジャックの意図がよくつかめない。
 紛うことなく、これは事実だ。みさとは今まで二、三度身篭った事はあっても子供を産んだ事はなかった。元から子供が好きではなかったという以前に、産んだとしても相手の男が認知してくれるのか曖昧な状況ばかりだったのだ。勿論、〈ドラゴン〉にもやんわりと産むことを拒否された。
「じゃあ、〈ドラゴン〉に他の女がいたという可能性は?」
仮にも〈ドラゴン〉の元・恋人であるみさとに、さらりと失礼な質問をジャックはぶつける。〈ドラゴン〉と付き合い始めた頃のみさとなら今の質問で完全にキレているところだが、今の自分は、それはもう“過ぎたこと”として冷静に受け止めることができる。
他の女がいたかという以前に……
「私は〈ドラゴン〉の正式な女じゃなかったもの」
昔の言葉でいうなら「めかけ」というヤツだろう。「愛人」という言葉ではしっくり来ないし「慰安婦いあんふ」のような体だけの存在ではない。〈ドラゴン〉は他所よそに女を作りつつも、嘘偽りのない愛を注いでくれたのだから。
また挙がった新事実に、ジャックは眉間に皺を寄せる。
「――というと、正妻がいたってことか。その女との間には子供はいたのか?」
「知らないわよ、そんな他人の家庭事情なんて……もう、いいかげんにしてよ」
そろそろ、このいつまで続くか分からない取調べにも飽きてきた。みさとは欠伸をかみ殺す。その瞬間、白く靄のかかっていた自分の記憶がぱっと晴れ渡った。同時に蘇る、当時の記憶。〈ドラゴン〉の上司であったヤクザの顔。
みさとは思わず、あっ! と叫んでいた。
「……思い出した!笹川さんよ!」
突然のみさとの言葉に、ジャックは少々驚き、いぶかしんだ表情を作る。
「誰だ?」
「〈ドラゴン〉の上司だった人。確か横浜に事務所があったはずよ、笹川組」
「笹川組だって? ……横浜で古株の暴力団組織じゃないか」
ジャックは思い出したように呟いた。
「〈ドラゴン〉の事なら、私より笹川さんのほうが断然詳しいわ。きっと〈ドラゴン〉の奥さんの事も知っているはずよ」
確か、〈ドラゴン〉と笹川氏は兄弟のちぎりを交した仲だったハズだ。そんな事をスナックのママが言っていた気がする。
「了解した、近々尋ねてみる」
交番にでも道を聞きにいくような気軽さでジャックが口にしたので、みさとは思わず笑った。なんだか、この人なら十分に極道とも渡り合える気がしたのだ。それはあながち間違ってはいないと思う。
 かつて、自分はやり手の極道〈ドラゴン〉と想いを通わせたのだ。人を、大物か小物か強いか弱いかを見極められるくらいの目は肥えたつもりでいる。


 来たときと同じルートで六本木まで引き返す。ジャックの運転する車に揺られながら、みさとは夢と現実の狭間をうろうろしていた。今まで封印していた〈ドラゴン〉のことを初めて人に――それも今夜知り合ったばかりの他人に明かしたのだ。予想していたよりも精神力を労する作業だった。
助手席でうつらうつらとしながら、みさとは今まで付き合ってきた人間を振り返っていた。〈ドラゴン〉がいなくなった後も、何度か男と付き合ったりもしたけれど、今までの人生の中で〈ドラゴン〉ほど、色濃い男はいなかった。
 ワルなのに堅気かたぎの人間よりも誠実な人で、尊敬する人間や立場の弱い人間を十分に尊重する腰の低さ、だけど自分にとって不利益な役目は決して請け負わないしたたかさも備えた男。
連続殺人犯と化した〈ドラゴン〉は今、何を思っているのか。そもそも、まだ彼はこの世に留まっているのだろうか。
 それはまさに、自分の知るところの話ではない。

六本木駅に近い道沿いで車を降ろしてもらった。ジャックは調査の協力費だと言って、30万円の現金を渡してくれた。本当ならここできっぱりと断るのが、一端の女の礼儀なのかも知れないが、崖っぷちホステスとしての立場が、甘んじてそれを受け取った。
ジャックは今までしてきた不躾ぶしつけな質問代を払っているような感じで、肩の荷が降りたように見えた。
「これでやっと話が進展した。ありがとう」
やはり〈ドラゴン〉に関してジャックには何かあるようだった。だが、自分は部外者だ、詮索する気はない。みさとは客を見送るときの営業スマイルを作ると言った。
「またお店の方にも遊びに来てね……って言いたいところだけれど、正直、〈ドラゴン〉を知っている人にはもう来て欲しくないわ」
「俺もこんなに騒がしい場所からは身を引かせてもらう……ただでさえ、俺の周りにはうるさい人間がいるからな」
みさとは笑う。ジャックは迷惑そうだが、それは四十路前の独り者からしたら、幸せな気の毒である。
「満場一致ね。もう会うこともないでしょう」
「最後に一つだけ貴女の見解を聞きたい」
何だろう? ジャックを顔を伺うと、彼は今までで一番真剣な顔をしていた。習ってみさとも姿勢を正した。ジャックはゆっくりと言葉を選ぶようにして言った。
「〈ドラゴン〉が非道な行いをすることに気づいていたら、貴女は阻止できたと思うか?」
 それは、考えたことがなかった。〈ドラゴン〉が傍にいたときは今という瞬間を満喫できればそれでいいと思っていたし、〈ドラゴン〉がいなくなってからは言語化しにくい種の喪失感が漂うばかりだったのだ。そんな仮定の話を考える余裕がなかった。
 暫く考えた末、みさとは
「運命というものが存在しないなら、出来たかもしれない」
きっぱりと答えた。
 〈ドラゴン〉が人を殺そうとしているという事実にいち早く気づいていたら、この手で〈ドラゴン〉を踏みとどまらせることは出来たと思う。
 ただ、間が悪かった。
 運がなかったのだ。
「なるほど……運命か」
ジャックは車のハンドル上の何もない空間を暫く眺めていたが、
ためになった」
と呟くと礼も早々に夜の街の中へと消えて行った。
結局、彼の目的は何だったんだろう。そもそも、彼は何者だったのだろう。黒い車が小さくなるのを見送りながらみさとはぼんやりと思っていた。
「謎な男……本当に〈ドラゴン〉みたい」
みさとは歩道に立ち尽くしたまま、かつての自分を――〈ドラゴン〉を身を焦がすくらいに愛おしく思っていた頃の自分を思い出していた。

〈ドラゴン〉と同じような影の差した男。彼は、〈ドラゴン〉のような道を辿らなければいいな。

心の底からそう思った。