空港のコンコースは人通りが少なかった。テロ攻撃が尾を引いているからだ。
 観光客がいつもの賑わいをみせるまで、もうしばらく時間がかかる。人混みが好きではないアルドには僥倖に思えたが、⁠⁠テロ事件に関わりが深いと手放しに喜べない。

 遺伝子研究へ協力の意思を伝えると、エルザは喜んだ。アルドと凛ちゃんが安心して来れるように、設備や住居を整えておかなくっちゃ! とエルザは年齢不相応な張り切りを見せた。
 何十歳も年若いイズンが、彼女の熱意に引きずられる形で、帰国の準備を整えていた。二人は一足先にドイツへ向かった。
 一方、アルドと凛は、ドイツへ向かうまでにかなりの時間を要した。凛のパスポートの手配……というより、彼女の身元を整えるのに⁠⁠複雑な手続きが必要だったからだ。
⁠⁠ 驚くべきことに、凛は戸籍を持っていなかった。抹消されたわけではなく、最初から持っていなかった。父親が出生届を⁠⁠提出しなかったのだ。
「お父さん、そのことについて何か言っていた気がするけど、忘れちゃった」
てへへ、と凛は笑った。深掘りすればするほど正宗のイかれ具合が露呈する。韓国⁠⁠だかタイ⁠⁠だかで男前に戻った顔に自惚れている正宗に説教をしてやりたい。煩雑な書類仕事をこなしながら、アルドは溜息を吐いた。
 凛の電話を使って文句を伝えなかったのは、かくいう自分も偽名の証明書だらけだからだ。
 パスポートも免許証も五、六枚持っている。橋を渡った世界でやるべきことは地味な書類⁠⁠仕事ばかり。日常生活はめんどうなことの連続だ。引き金一つで人殺しをしていたときと大違いだ。
 なんとか諸所の手配を済ませた後、フィオリーナから自家用ジェット機を借りた。大好きなお友達のエルザの知人にも心良く手助けをする。彼女は貿易会社で一財を設けたセレブらしく気前が良い。

 出発の日、真一と茜が見送りに来た。もう少し遊ぼうぜ、と真一は最後まで粘った。
「良いじゃん。あと一ヶ月くらい。人の少ないゲーセンとかカラオケとかボーリングとか、遊ぶところたくさんあるよ。俺の本領を見せられないのが残念すぎるよ」
「何の本領だ」
「カラオケで98点を叩き出す。ボーリングで230点を叩き出す」
 何を言っているのかまったく分からない。
「だから、俺が教えてやるって……」
「こ⁠⁠⁠こまで来て、⁠⁠往生際が悪いねん!」
意気込む真一の頭をばしっと茜が叩く。
「兄ちゃんも姉ちゃんも、度々日本に戻ってくるって言うてるやろ。それまでにあんたは定職に戻って、遊ぶ金を作っとき。まったく、いつまでニート気分でおるんや」
相変わらずキレのあるツッコミだ。
 笑えないのは、自分も同じ立場に立たされているからだ。
「アルドだってニートじゃん」
苦しい言い逃れが、自分のところへ飛び火する。
「組織をクビになって、働いてない」
「俺は働く気があるからニートじゃない」
「何するの?」と凛が聞く。
「警察に戻るの?」
フィオリーナにも同じ質問を受けたことを思い出す。
 去り際に、彼女は言った。橋を渡すついでに、警察組織に掛け合いましょうか。コネクションを使って、かつての職業を取り戻すことも可能です。
 その提案は断った。裏社会に身を浸したした身でありながら、表の世界で正義や倫理を貫けるほど図々しくは生きられない。身の程を弁えた上で、それなりにできることを探す。
 できることを模索する過程も、まあまあ楽しめそうだ。
「何か見つけるよ。死ぬ気で頑張れることを」
「まだ死ぬ気か」真一が呆れ声で言う。
「例えだよな、それは」
「例えじゃなくて、ルールだ⁠⁠⁠」
アルドは答える。
「マイチも⁠⁠死ぬ気で頑張れ。男だろ?」
「そんなルール、知らねぇよ」
「そうだな。俺も知らない」
うーん、と納得の行かない顔で真一は唸る。複雑な考え事は彼の性質に合わない。
 ぱっと忘却の彼方に押しやって、にっこり笑った。
「また遊ぼうな」
 そう言って、手を差し出す。
 その手を握る。引き寄せる。
「またな」
がっしりとハグを交わすと、腕の中で真一が照れた。
「⁠⁠いつになく熱いな」
「たまには悪くないだろ?」
傍らで凛と茜がくすくすと笑い合う。男の子って面白いよね、と言い合っている。
 彼らと再会の約束を交わし、コンコースを後にする。

 搭乗口へ向かう途中、凛が手を握った。
「これからどうなるのかしらね」
「俺にも分からない」
正直に答えると、彼女は言った。
 歌うように。祈るように。
 楽しいことがたくさん起こるといいわね。
                                         終

≫二年後