二年後


前編

 横浜の馬車道通りに拠点を構える「何でも屋」。アルバイトの助っ人から、ペットの捜索、果ては喧嘩の仲裁まで、頼まれた仕事を何でも請け負う。
 反社会的な内容以外。法律すれすれのグレーゾーンまでならOK。
 ざっくりした線引きの仕事も七年目に突入した。なんとか生きている。毎年、素寒貧であるが。
 事務所の一番奥に事務机と社長椅子がある。これだけは大層ご立派なマホガニー製。アンティーク家具を営む知人から安く手に入れたもの。
 金持ちになった気分になれるその椅子に腰掛け、本郷真一はそわそわしていた。五分おきに、机に投げ出した携帯電話を拾い戻し、ディスプレイを確認する。連絡は入っていない。
「あんた、ちょっと落ち着きなはれ」
応接椅子に座った荻野茜が呆れ顔で声をかける。彼女の前にはノートパソコンと古めかしい書籍の山。
 山の一つから手にした本を読みながら、ディスプレイと睨めっこしている。
「気が散ってレポートが書けん」
「っていうかさ」
真一が携帯電話を放って、茜に言った。
「なんでここで課題やるわけ? 図書館行けよ、図書館」
「ここにおるだけで、バイト代出るやん。現場待機も業務の一環」
にやっと茜が笑う。
なるほど、と納得しかけて、慌てて首を振る。
「出さねーよ! 今日は定休日! 定休日に助手は必要ない!」
「えっ、休みなん? そんならそうと早よ言え」
茜は書類棚から帳簿を取り出して、バイト表にチェックをつける。
 今月分の収支を計算して、時間給の総額を請求書に書いている。毎月のように一分単位できっちり催促してくる。抜け目がなさすぎて恐ろしい。助手ではなく敵ではないのか。
 請求書の金額を見ながら、真一は溜息を吐く。雇う人間、間違えたかも。事務所の掃除や書類の整理、愛想の良すぎる電話対応など、彼女のおかげで獲得した案件は数え切れないほどある、が……。
「茜ちゃんは十分に働いてくれたよ。もう頑張らなくていいんだよ。安らかに大学に行きなさい」
つとめて穏やかに告げると「嫌や」と断固拒否の意だ。ウチもここで待たせてもらう。大学の授業は自主休講にしたから問題あらへん。平然とした答えが返ってくる。
 自主休講って要するにサボりだろ。お客様用のティーカップでコーヒーを飲みながら、レポートの続きを再開する茜に真一は頭を抱える。大事な事務所がカフェテリアと化している。
 茜は茶菓子の一つを投げてよこした。
「浮かない顔しとったらお客が減るで。どんなに景気が悪くても笑顔。商売人の基本やろ」
そう言ってにっこりする。商売人の愛想笑いだ。愛想笑いに見えない笑いだ。
 俺の景気が悪いのは、お前が突きつけてくる請求書のせいだよ、と言いたくなる口で煎餅をかじる。
 もういい。金のことは置いておく。今、重要なのは、一向に鳴らない携帯電話だ。
 再び電話を手にしたとき、カラカラと入り口のカウベルが鳴った。
 勢いよく扉を開けたのは、念願の待ち人・龍頭凛。黒い大きな目を輝かせて、「わあ、二人ともいる!」と嬉しそうに笑う。
「帰ってきたわよ~!」
「凛姉ちゃん、お帰りー!」
 茜が笑顔で駆け寄る。きゃーっとはしゃぎながら二人でぴょんぴょん飛び跳ねる。商売人の愛想笑いではなく、心からの笑顔だ。
 閑散とした「何でも屋」が一気に華やぐ。凛は茜をハグした後で「真一くーん」と手を振った。
「ちょっと見ない間に、髪型が変わってる!」
動物を撫でる塩梅で、髪の毛に触れてくる。興味深げに撫でられると、照れてしまう。
「モヒカン?」と問われて真一は頷く。
半年間で伸ばした髪をソフトモヒカンにした。ついでに薄ピンク色に染めてみた。
 似合ってる! と言いながら凛にわしゃわしゃされる。触り心地が気に入ったらしい。
そう言う凛も、少し見ない間にずいぶんイメージが変わった。艶やかな黒髪が、背に届くほど伸びている。
「黒髪ロングに挑戦してるの」
えへへ、と笑いながら、凛は背中まで伸びた黒髪を指ですく。まっすぐに切りそろえた毛先が艶やかに輝いた。
「茜ちゃんは髪の毛染めた?」
「うん! 人生初の茶髪にした!」
「大人っぽくて可愛いね」
「大人やで! あとちょっとで二十歳!」
茶色に染まったポニーテールを左右に振る茜。二十歳! と胸を張る姿を真一は過去に何度も見てきた。「中学生!」「高校生!」「大学生!」進級するたび、茜はえへん、と威張る癖がある。
 中身が変わってない、と思っても、喧嘩の火種はまかずにおく。
「手伝ってくれ」
聞き馴染んだ声が聞こえた。
 凛は慌てて階段に目を落とす。ごめんごめん、と謝りながら階段を駆け下りてゆく。再び戻ってきたとき、彼女は両手いっぱいに大包みを抱えていた。これお土産! せかせかと二人に包みを渡すと、再び階段を降っていく。
 三度、階段を登ったとき、ぜいぜいと息を切らしたアルドもいた。
 崩壊寸前の積み木みたいな小包みの山を両手に抱え、器用にバランスをとっている。真一と茜の手によって大山が小山に変わると、ようやく安堵の息を吐いた。
 応接机にどさどさと紙袋や包みを置く。
 相変わらず、すごい量だ。机に収まりきらない。
「こんなにいらないってば」
謙遜けんそんと驚きと呆れが混ざった真一の返事に、アルドも頷く。激しく同意している。いつものように。
 喜んでいるのは、茜と凛だけだ。応接席に座って、買ってきたものの中身をあれこれ説明している。お土産は世界各国の名物ばかり。種類の多さが、彼らの行動範囲の広さを物語っている。
「また世界一周してきたわけ?」
「フィールドワークは少ない方だ。ほとんどは依頼者からの謝礼品」
なるほど、と真一は頷く。どこの国の人間も、お礼といえば菓子折りなんだなぁと庶民的な感想を抱く。
 エルザの研究に協力する傍、アルドは世界中で起こる諸問題の解決に手を貸している。軍人ではなく、学者に近い立場から。肩書は未解決事件専門のコンサルタント。死ぬ気で頑張っているらしい。
 コンサルタントという名の探偵業を。
 仕事内容を初めて聞かされたとき、驚きとともに真一は納得した。警察官でも犯罪者でもない。どちらの資質も併せ持つ、私立探偵。
 なかなか良い着地点を見出したのではないか。知的労働、好きそうだし。その頭脳で助かる人間がこんなにいる。
 テーブルに重ねられた謝礼品は食い切れないほどの量だが、腹の虫は素直に鳴る。
「好きなだけ食ってくれ」
「やったー」
「ウチどれにしよっかなぁ」
「あたしも食べちゃお!」
様々な国のお菓子の山。包み紙を開くたび歓声があがる。ちょっとしたパーティー気分だ。
 甘いのは苦手、というアルドのために、真一は特別に苦いコーヒーをいれる。コンビを組んでいた時にいつも作っていたやつだ。顔しかめながらコーヒーをすするアルドは、半年前に会った時と変わらない。
「お前もイメチェンしたら?」
「このままでいい」
「髪の毛、染めやすそう」
「普通がいちばん」
「相変わらずクールだな」
「そう見えるだけだろ」
フランス産の造形が美しいチョコレートをつまむ。甘すぎる、と言ってアルドは顔をしかめる。かじったチョコレートの断面を凛に見せている。苺味のシロップが入ってる。こういうのがオシャレなのか? とオシャレな凛に問いかける。苺じゃなくてフランボワーズ。シロップじゃなくてプラリネ、と凛は言い、かじりかけのチョコレートを小さな口に放り込む。
 二人の手に輝くリングを見て、真一は思い出した。
「結婚、したんだよな?」
その言葉で、凛も我に帰ったようだ。チョコレートから目を離して、そうだった! と手を打つ。
「結婚したんだった」
見て見て、と左手の指輪を見せてくる。天井のライトに照らされてきらりと光る銀古美の指輪。美しく磨かれているが、真新しさはない。再会するたび、真一は何度も目にしていた。凛の首元で。ネックレスについていたリング――それが左薬指に移動した。彼女は姉妹の形見を結婚指輪代わりにつけているらしい。
 おめでとう! と真一と茜が祝福すると、凛は、ありがとう! と嬉しそうに言った。
「アルドもおめでとう!」
「どうも」
「テンション低くね?」
「そう見えるだけだって」
携帯電話を操作しながら答えるアルド。
 照れちゃって、と凛は付け足す。
「本当はすっごく嬉しいのよね。幸せでしょ?」
 うんうん、と頷きながら携帯をポケットにしまう。素直なのかあしらっているのか分からない。
「お前らは結婚しないのか?」
アルドは尋ねる。
 唐突でひどい世間話だ。
「するわけねーだろ!」
「あれ? 付き合ってなかったか?」
「付き合ってねーよ!」
 真一はあわあわと手を振る。隣の茜も、なんでやねん! と拒否の姿勢だ。
 事務所の借主と取立て屋。幼馴染。最近では「何でも屋」最高責任者と守銭奴の助手、という関係もくわわって二重のビジネス関係で結ばれている。
 三つの関係をひとまとめにすると「腐れ縁」。赤い糸は今のところ絡んでいない。
「お似合いなのにな」
「変なこと言うなよ」
「良いコンビだと思うぞ」
なあ、と凛に同意を求める。うんうん、と凛も頷く。
「付き合っちゃえば?」
「嫌や! こいつとだけは有り得へん!」
「あたしもそう思ってた。初めはね」
妻の本音を聞いて、アルドは苦笑する。そして、思い出したように言った。
「この前、日本に戻ってきたとき、凛が中華街で占いしてもらってたな。あれ何だったんだ?」
「恋占い! 貴方との相性を見てもらったのよ」
目を輝かせながら凛は答える。
「相性良いって言われた! 半年以内に結婚しますって。的中した!」
「すごいな。科学的根拠もないのに」
「不思議だよね」と言いながら、閃いたように凛は手を叩く。
「ねぇ、茜ちゃん、占ってもらおうよ。中華街、ここから近いし」
そうしようそうしよう、と乗り気な凛と対照的に茜は訝しげだ。
「いいよ、占いなんて。ウチ、似合わへんもん」
 二年前の笹川邸で、凛にメイクをされたときと同じ反応を示している。
 「行ってみろよ。日本の大学生は暇だろ」
珍しくアルドも賛同している。
 女性たちの押し問答が続いてまもなく、真一の携帯電話が鳴った。着信元は小麗だった。
――真一様、お勤めご苦労様です。
「小麗、意味が違う」真一は苦笑しながら答える。
 笹川邸の元に身を置く小麗は、大真面目なのか洒落なのか分からない挨拶で電話をかけてくる。先週、実家に帰ったときも、同じ挨拶で出迎えてくれた。雰囲気が一之瀬に似てきたのは、元来の性質が似ているとともに、いちばん世話を焼いてもらっているからだろう。
――ちょうど事務所の近くを通りかかりまして、ご用命がございましたら承りたくと思い、お電話を差し上げました。
 懇切丁寧な口調の彼女に、待ったを伝えて、真一は通話口を抑える。
「小麗が近くにいるって」
「小麗!」とまたもや凛の目が輝く。
「会いたい! 事務所に来れる?」
「ここは満員だ。中華街で会ってこいよ」とアルド。
「アカネは金運を占ってもらえ」
「金運!」訝っていた茜の目が輝く。
「金運はええな! 〝何でも屋〟が儲かるかどうか見てもらおうかな!」
「俺もマイチの行く末が気になる。あとで結果を教えてくれ」
二人して他人の命運を弄ぶなよ、と思いながら真一は電話に向き直る。小麗に事情を説明する。凛と茜が小麗と遊びたいらしい。付き合ってくれないかな。
 そのとき、小麗から不思議な笑いが漏れた。
――もちろんです。〝何でも屋〟まで二人をお迎えにあがります。
 アルドは凛と茜を入り口まで見送った。シャオレイの言うことちゃんと聞けよ。無駄遣いするなよ。何かあったらすぐに電話しろよ。はしゃぐ二人に言いつける仕草は、学校の先生みたいだ。
 二人が小麗と合流するのを見届けて、扉を閉めた。
 椅子に座してコーヒーをすする。
「おい」と呆れて声をかける。
「一芝居打っただろ」
「気づいたか」
コーヒーカップを置いて、アルドは初めて笑った。