赤黒いシーツを脇に押しやり、胸元を探る。銃創は塞がった。体感的に九割以上が復元された。肺はきれいに塞がり、砕けた骨も再生した。息苦しいのは
十分前に、チリンと鈴の音がして、コンが従来の任務に戻った。その頃にはなんとか話ができるようになった。
正宗はずっと苛ついていた。いつの間に抜き取ったのか、「ダセェ」と言っていたサングラスを頭の上に掛けて、苛々しながら「隠し事」――相棒の赤い目の理由を聞いていた。
かいつまんで説明した後天遺伝子の作用を、正宗は驚くこともなく把握した。
一を聞いて十を知る。彼の特技だ。
つまり、と正宗は要約した。
「つまり俺たちが殺してきたやつらは、てめぇの成れの果てってことか?」
「そうだ。黙っていて悪かった」
「凛は知ってんのか?」
「知ってる。全部、話した」
自販機で買った水を頭からかぶってフィアスは言った。口もゆすいで吐血と吐瀉のむかつきを消す。自販機に表示された金額を全部足して総計を暗算する。何回行っても合計は同じだ。知性も理性もまだまともだ。銃を構え直す。長い説教は聞いていられない。
歩き出すフィアスの襟首を掴んで、正宗は引き留めた。近接術でその手を振り払う。
「説教なら後で聞く」
「その頃には聞こえねぇだろ。馬の耳に念仏。動物と会話する趣味はねぇ」
フィアスは苦笑する。まさにその通りだが、言い方は棘だらけだ。
ここにいろ、と正宗はフロアに展示されたベッドを指差した。
「てめぇはそこで寝てろ。信号機と同じだ。赤が青に変わるまで寝てろ」
「無理だ」
「この自己中野郎」
「そうだ。自己中野郎には無理だ」
正宗は何も言わなかった。従業員通路まで引き返す。エスカレーターに張られた狭いバリケードを越えるより、裏階段に張られたバリケードを越えた方が早い。
靴音の響く廊下に、低い声が反響する。おい、止まれ。フィアスは命令を振り切った。
止まれよ、と二度目に声をかけられて足を止めた。
タッグを組む相手は、面倒くさい性格の人間ばかりだ。
「時間がないんだよ、マサムネ」
「俺も馬鹿に説教する時間は惜しい。正直に聞かせろ」
「何を?」
「お前の馬鹿げた計画だ」
「計画」
「言っても聞かねぇ馬鹿ならしょうがねぇ。何をしたいかだけ教えろ」
「後天遺伝子の力でネオを殺す。その後で俺も死ぬ。獣化を回避して、フィオリーナを助ける」
フィオリーナ、と正宗はつぶやいた。こめかみを軽くつつく。辞書を読み上げるように、淡々とした声で言った。
フィオリーナ・ディヴァー。絵画の太陽。年齢は二十代半ばから後半。お前の上司で、ネオの妹。不感症ちゃんが話していた、瀕死の女。お前が死ぬと、フィオリーナは死ななくなる。
話を聞きながら、正宗の記憶の細かさに、フィアスは内心で驚いた。無関心に見えたが、昨晩の絵画鑑賞時のやり取りや、ヨンと話した内容を隅々まで記憶していた。
記憶して、情報と情報を紐づけていた。
話の終わりに、黒髪に隠されたこめかみをかいた。鉛筆で何かを記すように。
「それがお前のやりたいこと」
「そうだ」
「色々なものを、天秤にかけた結果がそれか」
「ああ」
「仕方ねぇ」と正宗は言った。
「説教はしねぇ」
ライフルを肩にかけ、正宗は歩き出す。
「行くぞ、馬鹿やろう」
通りざま、小さく肩を小突かれた。
六階へ続く階段でシドと鉢合わせた。
常人なりにも、彼はなんとか生き延びていた。呼吸が苦しげなのは、骨が折れているか、ヒビが入っているからだ。分厚いアーマーに被弾の痕がついている。繰り返す弾丸の衝撃に、内部が損傷し始めている。
マスクを外すと、シドは息を吐いた。
「生き延びてるな」二人を見て安堵の息を吐く。
正宗がアメリカンギャング風の独特な握手を仕掛けると、シドは完璧に応じた。
「お前たち、コンを知っているか?」
フィアスは頭上を指差す。ハンドサインで「6」を描く。
ダミーの先天遺伝子の気配が充満する六階。パーティーに駆けつけた赤目たちの物音はしない。死んだのか。コンが一掃したのだろうか。どこもかしこも腹の立つにおいばかりで、獣の動きもネオの動きも感知できない。フィアスは頭を掻く。
六階には近づけない。気が狂いそうだ。
シドの携帯電話を借りて、こちらの行動を文字で伝える。
俺たちは七階に行く。
シドは「六階でコンと合流する」と書いた。フィアスは頷く。六階に充満する気配が偽物か本物か判断がつかない……ただ、赤目が六階に集まっていたから、ネオが身を潜めている確率は低い。
ついでに生物兵器の残量を尋ねると、シドは静かに首を振った。
エントランスで赤目の大半を一掃した。その時点でほとんどのダミーを使い果たしてしまったようだ。コンが六階へ向けて発砲した、あの一発で最後。六階に集まった獣がすべて一掃されたなら、バリケードを破壊してさらに上階へ獣をけしかけることも難しい。この建物に住み着いた獣は、コンによって一人残らず殲滅されたかもしれない。
シドと別れ、さらに階段を登る。
ふと、疑問に思う。
俺たちはネオを追い詰めているのか?
この拠点は半分以上制圧した。それなのに、確かな手応えが感じられない。ネオは上階にいる。
これは罠か?
何らかの切札を用意しているのか?
……そもそも、アイツの狙いはなんだ?
七階へたどり着く直前、純粋な疑問を抱いた。