正宗にライフルの撃ち方を教えた。
 講釈なんて必要ねえ。早く行こうぜ、とく彼をわざわざ捕まえて、一通りの扱い方を説明した。
 銃の構え方から、撃ち方、フルオートとセミオートの切り替え、マガジンの交換まで。自車を的にして、簡単な射撃訓練も行った。
 正宗は面倒くさそうに一通りの操作を行った。まるで勉強をする意味を分かっていない不良生徒だ。
 この勉強をしなければ死ぬ、ということを分かっていない。
 銃を構えながら、お前の説明くどいんだよ、と文句を挟んでくる。
 有限の時間を割いて、生き延びる術を教えて、文句を言われる。
 もはや理不尽だと思わない。
 これは自分のわがまま、お節介だ。
 恋人が悲しまないように、正宗の死亡率を下げる努力をしている。
 こいつが凛の父親でなかったら、構わず見捨てていけるのに。
 血縁は本当に面倒だな、とフィアスは思った。
 付け焼刃の訓練にしても、正宗はかなり上手くライフルを使いこなした。戦闘のセンスがあった。運動神経が良いというより、野生の勘が発達している。頭の回転の速さも相まって飲み込みが早い。この男は熾烈しれつ戦禍せんかを戦い抜くかも知れない。
 終わりだ、とフィアスは告げた。
「十五分。教えられることは教えた。あとは神にでも祈っとけ」
「戦火が燃え続けるようにってか? あいにく俺はガソリン崇拝者じゃない」
「そうか。まあ、なんでもいい。俺には守る余裕がないから、死なないようにしろよ」
「娘の彼氏に守られる筋合いなんてねーよ。一緒に釣りする趣味もねーからな」
ああ言えばこう言う。独特な切り返しが面倒くさい。
 こいつに育てられなくて彩と凛は良かったんじゃないか。うるさいし、などと思いながらフィアスは五感を開く・・・・・。周囲に敵の気配はしない。
 道を進んでは立ち止まる。五感を開く・・・・・。敵も警察の気配もしない。民間人は屋内に避難している。家の中から、テロに怯えた話し声、ニュース放送などが鼓膜に飛び込んでくる。
 意識を拡大したその仕草が、男のアンテナに引っ掛かったらしい。何してる? と尋ねられると、説明に困る。
 フィアスは少し迷ったが、ストレートに伝えた。
五感を開い・・・・・ている」
五感を開く・・・・・?」
「マサムネは俺の嗅覚に気づいただろ。嗅覚と同じく他の五感を鋭敏にして、敵の気配を探っている」
「レーダーっぽいな。どの程度、把握できるんだ?」
「200メートルくらい。それ以上遠いと分からない」
「そういう技術は軍事訓練で身につくのか? 意識的に開閉できんの? 噂話とか聴き放題じゃん。楽しそうだな」
「うるさい。静かにしろ」
話をしているうちに、引っかかった。血の気の多い、生き物の足音。
 拡大した意識の範疇はんちゅうに飛び込んで、急速に近づいてくる。気づかれている。赤目にも鋭い五感が備わっている。
「前方に一人。来るぞ」
フィアスは銃を構えながら言った。一般住宅の門の影に身を潜める。
 正宗は向かいの住宅の車庫の出っ張りを盾にしたようだ。
 角を曲がって赤目が現れた。
 足音と同時に甲高いはしゃぎ声も聞こえて、女だと気づいた。女というか、子供というか。
 はしゃぎながら、めちゃくちゃに銃を撃ってくる。弾丸が壁を削り、住宅に穴を開け、ゴミ捨て場のゴミを撒き散らす。
 相変わらず、うるさい戦い方だ。
 赤目の戦い方はシンプルだ。動くものの気配を察知したら、瞬時にその場へ移動し弾雨を降らす。一通り撃ったあとで、動くものが動かなくなったか確認する。
 動けば撃ち殺し、動かなければ次のターゲットへ移動する。
 これは、馬車道のテロ事件の犯人を俯瞰映像で見たときに学んだことだ。赤目は動きを捉える。
 彼らは一、二本のマガジンを忍ばせていて、完全に弾切れを起こしたあと、新しいものへ差し替える。残弾数を確認しながら撃っていない。電池切れの感覚だ。銃声がしなくなったら交換する。
 撃った相手の生存を確認する瞬間、マガジン交換の瞬間が反撃のチャンスだ。
 大雑把な彼らの戦法を、正宗にも伝えてある。
 斜向はすむかいで身をかがめる正宗を見ると、迷惑そうな顔で硝煙弾雨しょうえんだんうが過ぎ去るのを待っていた。
 公衆の面前で度を越してはしゃぐ若者に、非難を向ける大人の視線だ。元ヤクザだけあって肝が据わっている。
 フィアスは簡単なハンドサインで「俺が殺す」と伝える。正宗は頷いた。
 流れ弾が途切れて、足音。
 反撃の隙ができた。銃を構えて、壁からわずかに身を乗り出す。そして、いつもは気づかないことに気づいた。
 赤目は制服を着ていた。高校の制服だ。銃身が微かに揺らぐ。引き金を引いたが額には命中せず、女の子の頬をかすめた。
 仕留め損なった。
 続く銃声と腕を走る熱い痛み。十代の楽しげな声が急接近する。
 獣が真横を通過した瞬間、正宗がライフルを放った。少女の半身に穴が開き、どさりと地面に倒れた。その上からとどめの一発、頭を撃ち抜く。鮮血とともに頭部に収まっていたあらゆるものが飛び散った。
「おい、生きてるか?」
死体をまたいで正宗がやってくる。
 生きてる、と答えて熱を帯びた傷口を見た。ライフルで左上腕を撃たれた。貫通したわけではないが、かなり深く掠めて肉がえぐれた。溢れた血がスーツの袖口を赤く染め、指先からぽたぽたと滴る。
 親しんだ痛みは、いつもと同じ苦痛を与える。
 慣れている。傷口も止血すれば、後天遺伝子の回復力で次第に治る。
 それよりも、致命的なのは……。
 傷口を押さえながら、倒れた死体を見つめる。赤目――ではなく、蒼いセーラー服を着た、女の子を。
 ぺちっ、と頭を叩かれた。
 顔をあげると、呆れた視線にぶつかった。正宗は何か喋っていた。しかし、上手く耳に届かない。それどころではない。
 正宗は言った。
「こら。クソガキ。俺の話、聞いてるか?」
「聞いてない」
「素直でよろしい」
 懐から煙草を取り出し、ふう、と一服する正宗。仕留めた獲物を見下ろし、紫煙を吐き出す。
 どうした? と静かな声で尋ねてきた。
「撃てなかった」
「なんで?」
「……」
「ちゃんと言え」
「……躊躇ちゅうちょしてしまった」
 はいはい、と訳知り顔で正宗は頷く。尋ねた割にすべてを把握し、理解している声だ。
 野生の勘。いや、長い人生の経験則だろうか。素直でよろしい、と言いながら、少女のそばにかがむ。
 穴の開いたセーラー服に指を突っ込んで、びりびりと縦方向に引き裂いた。そうして作った細い布切れを、止血帯代わりに傷口の上に巻いてくれる。ぎゅっと力を込めて縛られると、患部の痛みが増した。食いしばった奥歯がきしむ。
「レーダー、使えるか?」
「近くに敵はいない」
「よし」
正宗は二本目に火をつける。それをフィアスの口にくわえさせた。甘んじて煙草を受け取る。
 紫煙を肺に流し込むと、ようやく衝撃が過去のものになった。
 冷静に立ち返って、改めて問題に直面する。
 敵を敵として見なせなくなった。
 個々の服装や年齢などの余計な情報に気づくようになってしまった。
 これが感情か、とフィアスは思う。
 これが俺の感情か。
 目を閉じて、湖の底に沈む。湖中から水面を眺めるイメージをする。湖面に貼った分厚い氷層。
 その上に佇む、人殺しの自分。
 ……駄目だ、うまく行かない。
「父親は?」唐突に正宗が聞いてきた。
「お前、父親はいるのか?」
「子供の頃に死んだよ」
「母親は?」
「知らない」
「姉貴がいると言っていたな?」
「あれは冗談だ」
「一人っ子か」
「たぶんな」
「家族は全滅か」
「おそらくは」
ふぅん、と頷いて、正宗は自分用の二本目に火をつける。
 突然投げかけられたプライベートな質問。家族構成を聞いてなんだというのか。
 訝し顔のフィアスを見て、正宗はくわえていた煙草を指に挟んだ。
「もし、父親から仲良くしようぜと言われたらどうする?」
「は?」
「父親が生きていたらどうする?」
「何を言っているんだ?」
「分かんねーかな」
煙草を指揮棒みたく振り回し、例え話だ、と言い添える正宗。
「例えば、死んだと思っていた父親が生きていた。あるいは死から蘇った。設定はどうでもいい。とにかく、いきなり父親が目の前に現れて、おお息子よ! と抱きしめる。そして、親子で仲良く生きて行こうぜって、言われたらどうする?」
 はあ、と曖昧に返事をする。何を言っているのかよく分からない。
 戦いとは無関係の質問だ。空想話と言ってもいい。
「その質問に意味があるのか?」
「大ありだ。真剣に考えろ」
正宗の顔は真剣だ。困る。IFの話を真剣に考えている場合ではない。
 フィアスは腕時計にちらと視線を向ける。
 シドとの待ち合わせまで残り十分。待機時間をくわえれば二十分。それ以上待っても来なかったら、怒れる大男は短銃身のショットガンを抱えて、敵地に乗り込んでいってしまう。フィオリーナの影武者だけあって戦い慣れしているが、それは一般人相手の話だ。戦闘狂の赤目たちを相手にすればひとたまりもない。
 フィアスは腕に負った傷を確かめた。破けたスーツから見える皮膚。傷口の両端が塞がり始めている。痛みが軽くなった。目的地のショッピングモールまで、距離にして十五分程度。急がなければ。
 右手にカービン銃を持ち替え、立ち上がる。
 五感を開き・・・・・、早足に道路を歩く。正宗も後からついてくる。
「ルディガーが生きていたらどうするか……」
「それが親父の名前か」
「そう。ルディガー・フォルトナー。十七年前に死んだ」
「で、どう思った?」
「仲良くしようぜ? ……そうだな。無理かもな」
「どうしてそう思う?」
「ルディガーから重いものを引き継いだ。愛情や優しさと等しく重いものを。彼が生き返っても、仲良くは出来ないかな」
「恨んでいるか?」
「いや。ただ……」
「一緒には生きられない」
「そうだな」
 話をしながら、フィアスは気づいた。ああ、と腑に落ちて、背後を振り返った。
 そうだ、と正宗は頷いた。
「あの子の人生に、俺の存在は重すぎる」
 そうか、とつぶやく。
 てっきり上手く行っていると思っていただけに、その知らせは残念だった。
 彼女を支える人間は、多ければ多いほど良いと思っていたのだが。
 人間という生き物は難しい。群れを形成するために理由がいるし、理由があっても群れを形成できない。
 そこに、血の繋がりがあったとしても。
 殺せ、と正宗は強い口調で言った。
「女を殺せ。赤い目なら構わず殺せ。凛と天秤に掛けたら、どうすべきか分かるだろ?」
「それを言いたかったのか?」
「理解したか?」
「理解した」
「馬鹿やろう、理解するんじゃねえ。なりふり構うな。次、躊躇したら許さねぇぞ」
「分かった」とフィアスは言った。
「分からないけど、分かったよ」
「これだけの話に何分かかってんだよ」と正宗は面倒くさそうに言った。
 まったく、優等生は面倒くせえ。優等生のガキはさらに面倒くせえ。男のガキだから面倒くせえのか。女のガキしか育てたことないから分かんねぇな、と背後でぶつぶつと愚痴る声が聞こえた。