間一髪、茜と会う約束の直前に荷物が届いた。
 用件を頼んでいた若衆がどたばたと縁側にやってきて、若! お待たせして申し訳ございません! と冷や汗を浮かべながら、紙袋を差し出した。
 いや、無理難題を吹っかけたのは俺だから。悪かったね、と真一は謝った。
 若衆は緊張に身を固くしながらぺこぺこと頭を下げ、屋敷内に戻っていった。
 幹部はまだしも、若衆に頼み事をすると、ものすごく恐縮される。笹川毅一の孫がそんなに恐ろしいのだろうか。
 これだからヤクザに命令を下すのは嫌なんだよな、と思いつつ、頼みにしていたことも確かだ。
 若衆には横浜駅に入っている百貨店で、高級チョコレートを買ってきて欲しいとお願いした。
 笹川邸厳重警戒中の緊急時に、野暮用の極みをこなしてくれた彼には感謝しなくてはならない。
 悪徳警官から必要な情報を聞き出すためには、賄賂わいろが必要だからな……。

 茜は十二時ぴったりにやってきた。
 何やねん、こんなところに呼び出して。用事があるならお前の方から来い、という文句を垂れてくる。
「しょうがないだろ。ここだけの話にしたいんだから……」
凛に内緒にしてこいよ、というメッセージも追記しておいた。女の子二人組が仲良く話を聞きに来られても困る。
「凛には内緒にしたよな?」
「凛姉ちゃんには内緒やって言うてきた」
言っちゃったのかよ! と真一はずっこける。なんで内緒話を本人に言うんだよ。
 問題あらへん、と茜。
「凛姉ちゃん、勝手な勘違いを起こして、真一がウチに告白するんやって思うとる。人の告白を覗くような無粋なことはせえへん言うてたから、聞き耳なんか立てへんやろ」
「お、俺が告白!?」
「ありえへんって言うたんやけどな。真一に限ってそんな勇敢なこと出来へんよって」
「確かに告白ではないけど、失礼だと感じるのは俺だけだろうか……」
ぶつくさと文句を垂れる真一を無視して、茜も縁側にあぐらをかく。
 今日の茜は、上半身は高校の制服、下半身はジャージを着るという、ちぐはぐな格好をしている。
 理由を聞くと、PC画面に写る部分だけ、ちゃんとした服装で済ましているという。
 ウチ、授業中はだいたいこれやで、と恥ずかしげもなく答える茜に、「告白してもらえるよう女子力なんとかしろよ」と喉元まで出かかった軽口を抑える。
 高校生の昼休み時間は限られている。本題に入らねばなるまい。
「宜しければお召し上がりください」と真一は紙袋を差し出す。
 袋に書かれたブランドロゴを見て、うっそー! と茜は驚きの声を上げる。
 驚くだけでなく、紙袋から商品を取り出し、包装紙を開封する。
「これ、デパ地下の超有名チョコレートやん! 何でこんなものウチにくれんの?」と尋ねたとき、既に茜はチョコレートを口にしている。新春カルタ大会なみの素早い手つきだ。
 うまー! ととろけたような笑みを浮かべて、高級チョコにも関わらずぱくぱくと口に放りこむ。
 簡単に機嫌が取れた。
 こいつ、警察官向いてないだろ……茜の将来を心配しながら真一は切り出す。
「龍頭親子の件で聞きたいことがあってさ」
「龍頭親子って、凛姉ちゃんとあのおっちゃんのことか?」
もぐもぐとチョコを頬張りながら茜は尋ねる。まるきり接点のない質問を投げかけられて首を傾げている。
「なんやろ……ウチ、あの親子になんかした?」
「いや、第三者の意見として聞きたいことがあってさ」
 真一は手短に事情を説明する。
 凛と正宗が表面上は仲良くやっているように見えるが、本当のところはよく分からないこと。しかし、自分は彼らの関係に違和感を覚えていること。
 それから(茜に打ち明けるか迷ったが)正宗との個人的な対話について。
「この溝は一生埋まらねぇ」と彼が答えたことについて。
 凛と正宗の親子関係が良好かを知るに、茜がいちばん適役だ。彼女は父親も母親も健在な一般家庭で育ち、父娘の関係についても色々な体験談を持っている。勘も働くし、凛とも仲が良い。時には親子の輪に加わって陽気な会話もしている。
 それに、と真一はつけくわえる。
「この前、凛と正宗さんを見て〝不思議〟ってつぶやいていただろ」
「ウチ、そんなこと言ったっけ?」
「覚えていないのかよ。お前がイメチェンしたときのことだよ。俺とフィアスと凛と茜で縁側に出ていたとき、正宗さんが来ただろ?」
真一は仔細に状況を説明する。
 凛が嬉々として父親に話しかけているのを見て、茜は不思議、とつぶやいていた。
「なんか、不思議……」と。
 ああ、と茜は手を打った。
「思い出した。ウチ、そんなこと言ってたな。なんか不思議やけど、仲ええんとちゃう? 凛姉ちゃんと姉ちゃんパパが話してんのよく見かけるけど、ケンカしてないよ。めっちゃ仲良し」
「じゃあ、なんであんなこと言ったんだよ」
「えー、なんでやろ……」チョコだらけの口元に手をあてて、思案する茜。うーん、と考えること五分。ぱっと顔を上げて、真一を仰いだ。
「今、シミュレーションしてみたんやけど、ウチが凛姉ちゃんの立場やったら、絶対にお父ちゃんのことぶん殴っとる。足で踏みつけて、三回くらい蹴り入れとる」
「怖いシミュレーションすんなよ……」
「だってそうやろ? そこにどんな事情があったか知らんけど、十年以上も娘を放置していた親父がいきなり現れたら、怒るか、悲しむか、普通にスルーするやんか。あんなに仲良ぅできるかっちゅー話やん。あのベタつきよう、ちょっと不思議に思われへん?」
「確かに……俺、女でもないし、親もいないから分かんないけど、そう言われると不思議かも」
 あんたも食え、とすすめられて真一はチョコレートを口にする。
 さすが高級品。コンビニで売っているチョコよりも複雑で甘い味がする。カカオの含有量が多いものを選んだのか、少しほろ苦い。二人の関係ってこんな感じなのかなと想像する。
 複雑で、甘くて、ほろ苦い。
 難しいな、直接本人に尋ねるしかないのかな、と真一は考える。
 あれからフィアスは、さりげなく親子関係について尋ねたらしい。すると凛は「うまくいってる」と答えたようだ。深夜の鬼ごっこに向かう車で、そんな雑談をした。
 フィアスもその言葉を信じて、安心しきっている。決して表面には出さないが。
 凛に尋ねても「おかげさまでいい感じよ。心配してくれてありがとう」とにっこり微笑まれそうな気がする。
 むしろ、ほうっておいた方が良いのかな。
 正宗の内心はともかく、凛が本当に上手くいっていると感じているなら、それはそれで幸せなことだ。
 真一があれこれ思案に暮れていると、
「クラスメイトにめっちゃ愛想の良い子がおんねん」
黙々とチョコをつまんでいた茜が急に話し始めた。
「誰にでも優しくて、いつも明るい女の子。その子と遊んだ時にな、アンタなんでそんなに良い子なん? って聞いたんや。ウチはこの通り気性が激しいから、庵奈あんなみたいなめっちゃ仲良しの親友と、めっちゃいがみあう宿敵とで、きれいに二分割されんねん。ウチの周りにおるやつは、味方か敵。パトカーみたいに白と黒や。せやから、その子の愛想の良さがうらやましくて聞いた。その子は、ここだけの話よって教えてくれたんや……」
茜はチョコレートを食べる手を止めた。
 じっと真一を見上げる。
「……なんて言ったと思う?」
なんでここで溜めるんだよ! 怪談話かよ! と心の中でツッコミを入れつつ「分かんないよ」と答える。
「興味ないんやって」と茜は言った。
「ウチも含めてみんなのことどうでもええって言うとった。周りの人間、どうでもええから愛想良くできんねん。どうでも良くなかったら、めっちゃ仲良ぅなって、めっちゃケンカして、めっちゃ仲直りして、お互いを理解しようと思うのが普通やんか。それが面倒くさいから、その子はいつもにこにこして、人から距離を置いとるんやて。敵も味方もおらんっちゅーのは、そういうこっちゃ」
なるほど、と真一は頷いた。中々、興味深い話を聞いた。
 意図的に距離をとるやつもいるんだな、と天性の距離感で対人関係を築いてきた真一は感嘆の息を吐く。
 それなら凛は、父親と意図的に距離を空けているということか?
 真一の顔に書かれた疑問を読み取って、念を押すように茜は続ける。
「それが凛姉ちゃんの態度に当てはまるかっちゅーと微妙なところや。その子はその子なりの、凛姉ちゃんには凛姉ちゃんなりの考えがあると思うし、良いとか悪いとかっていう話とも違う。あくまで個人の距離感の問題や。分かる?」
「難しいな。結局、俺はどうすれば良いんだよ」
「知らん。真一なりの距離感で接したらええんちゃう?」
「えっ、答えないわけ?」
「ないよ。逆に言えば、一人ひとりにあるんちゃう?」
茜はハッとして携帯電話を見る。
 お昼、あと五分で終わる! と仰天し、半分ほど食べ終わったチョコレートの箱をきっちりと包装紙に包み直す。
「真一、賄賂をありがとう。残りは凛姉ちゃんと一緒に食うわ」
「お前はそれ以上食うなよ。太るぞ」
余計なお世話やー! と叫ぶ背に向かって「お前は警察官よりも、スナックのママの方が向いてるぞー」と声を掛ける。
 それも余計なお世話やー! という返事が、茜の消えていった廊下から響いた。