めぐり狂う日常


 野次馬の集まり具合で、事件現場だとすぐに分かった。
 何台ものパトカーが駐車し、道路を封鎖している。遠巻きにその光景を見ながら、車を離れた場所に停車させた。フィアスは煙草を片手に電話を掛ける。
 もしもし、河野刑事ですか? 現場付近に到着しました。いつも通りにお願いできますか? 場所は……。
 携帯電話をしまい煙草を吸う。この場所は現場から少し遠い。十分に一服する時間はある。
「いつの間に根回ししたんだよ。」と助手席から真一が声を掛けてくる。
「裏社会の人間が、刑事と繋がって良いわけ?」
「マイチは車で待ってるか?」
「やだよ! 俺も行く!」
だから刑事を呼ぶ羽目になるんだ、とフィアスは心の中で思う。
 テロリストをこの車に近づけさせないように、真一を見張りに立たせるのが一番気楽なのだが、本人は絶対に嫌だという。相棒はどこでも一緒、というのが彼の言い分だ。
 俺たちは運命共同体、一列タクシーってこと。
 にっこりと笑う真一を見て、一列タクシー=一蓮托生いちれんたくしょうと言いたいのだろうな、とフィアスは察する。日本語の他に真一のオリジナル言語を解読するスキルが上がってきた。何の役にも立たないスキルだ。面倒なので訂正する気もない。
 そうこうするうちに河野刑事がやってきた。フィアスは軽く挨拶をして車のキーと新品の煙草を渡す。
 彼は「須賀濱高校立てこもり事件」で、自車を手配してもらった刑事の一人だ。その際に連絡先を聞いておいた。捜査のあてにされていないのか、彼は事件現場にいながらも比較的時間の融通ゆうずうが効いた。
 そこで報酬代わりの煙草を与えて、車の見張り役を買ってもらうことにしたのだ。
「いつも助かります。調査が済み次第、すぐに戻ります」
礼を述べると、河野刑事は童顔を緩めてにっこりと笑った。
「ごゆっくりどうぞ」

 野次馬のひと賑わいの中を抜ける。今回は三人殺されただけあって包囲網は厳戒だ。
 くくられた枠の中で一般人が携帯電話をかかげ、作り物のシャッター音を響かせている。規制線をくぐる際、一応偽装の警察手帳を見せたが、警官はちらとも見ずに中へ通した。捜査協力・・・・も五回目となると、慣れたものだ。
 鑑識の検分時間を計算に入れておいたので、到着して間もなく現場へ入れるようになった。フィアスはかぶっていたワークキャップを外す。
 金髪碧眼きんぱつへきがんの二十代の男と、成人したか否かの不良風味の若者……神妙しんみょうな殺人現場にフィアスと真一の存在は浮いていたが、周囲は口をつぐんだまま何も言わない。文句の一つでも言いたいのを我慢している刑事もいれば、今回はどんな推理を披露するのだろうと興味深げな視線を送る者もいる。
 そのどちらでもないのが、荻野刑事だ。捜査中に豪快な大笑いをすることはないが、二人の姿を見かけると気さくに話しかけてくる。
「よぅ、真一と兄チャン! 今日も探偵ごっこかい?」
 ここ数日で殺人事件が急激に増えたので、管轄外の刑事も捜査の人数合わせのために駆り出されていると聞いた。
 現場観察を始めてから、荻野刑事と顔を合わせる機会が多くなった。ここだけの話、というていで死体が発見されるまでの経緯や警察側の捜査状況を教えてくれる。うちの茜が真一の実家で世話になっているお礼、だそうだ。
 私情が絡んでいるにしても協力的過ぎないか、とフィアスは疑問に感じたが、話しをするうちにある答えに行き着いた。
 このノンキャリア刑事は、合理的に事件を解決したがっている。自分たちが一連の殺人事件の鍵を握っていることに気づいているのだ。刑事の勘というやつだろうか。
「かっこいいだろ! ドラマみたいで!」と無邪気に答える真一を横目に、フィアスはざっと周囲を一瞥する。
 街路に植えられたクチナシの低木に覆いかぶさるように倒れた男の死体、それからアスファルトの道に倒れた女の死体が二体。荻野刑事から聞いたところでは、三人とも十代後半から二十代前半。私物は所持していなかったため、物品の回収は少なかったそうだ。
 フィアスはこめかみを抑える。ひどい頭痛だ。
 死体から漂う腐臭に嗅覚は麻痺したが、それでも鋭利な五感を処理しきれずに脳が悲鳴をあげている。面倒だ、とひとりごちる。
 今回も真夜中のうちに殺されたのだろう。運の悪いことに、昨晩は真夏に戻ったような熱帯夜だった。警察時代に腐乱死体は何度も目にしたことがあるし、その独特な臭気にも慣れたものだったが、後天遺伝子が覚醒した身体では勝手が違う。
 痛む頭を押さえながら、フィアスは荻野刑事に頼んで現場写真を見せてもらった。これ以上、臭気の元へは近づけなかったからだ。
 写真に写ったどの死体も頭部が破裂し、あたりに脳髄のうずいが飛び散っていた。遠隔狙撃による頭部破壊。いつもと同じ殺害方法だ。ロシア製の狙撃銃を構えた、コンの姿が目に浮かぶ。
「初めのうちは、映画見てぇなり方だって鑑識が驚いていたもんだが」と荻野刑事。
「今じゃもう慣れっこになっちまって、新人を連れてきちゃ、死体を見せて勉強させてるよ」
「この国では珍しいでしょうね」とフィアスは答える。
 日本で銃撃事件が起こったとしても、せいぜいが9mm弾を使用したヤクザ同士の内輪揉め。大口径のライフル弾で頭を吹っ飛ばすなんて、紛争地の狙撃兵かテロ鎮圧の特殊部隊でしかお目にかかれない。
 死体の目はもちろん赤い。後天遺伝子を注入された証拠だ。
 半壊状態の頭部を指差してフィアスは聞いた。
「被害者の目の色について、鑑識の見解はいかがですか?」
「死体は身元が判明していて、全員が日本人。生い立ちのよろしくない家出少年たちだそうだ。人種的な特徴ではないから、何らかの化学変化だろうと仮説を立てているようだが……」
「〝目の色が変わる薬物なんて聞いたことがない〟」
「そういうわけだ。お手上げだよ」と荻野刑事は頷いた。
「ただ、三週間前に起こったテロ事件。あの事件の加害者も赤い目をしていたんだ。兄チャンもニュースで見ただろう?」
「同日に二箇所で起こったそうですね。被害も甚大なものだったとか」
「そうだ。本牧と馬車道の同時テロ攻撃。そのうちの一人が特殊部隊に射殺されたんだが、瞳が赤かったそうだよ。科捜研は、瞳の色が変化すると同時に精神に異常を来す、ドラッグのようなものが開発されているのではないかと見立てている。まあ、推測の域を出ない仮説だし、俺たちも殺人事件の処理に追われて調べる暇がねぇ。マトリが動くのを待つしかねぇな」
 ハム太郎どもも勝手に動いているだろうし、と荻野刑事はつまらなさそうに付け足した。
 なるほど、とフィアスはもっともらしく頷いた。
 瞳の変化と精神異常を引き起こすドラッグ……警察の推測は概ね当たりと言っていいだろう。
 ただし、それはドラッグではなく、複雑に変化した遺伝子の影響によるものだが。
 この殺人が赤い目の獣を始末する「狩り」の一種だと気づいている人間もいそうだ。
 本牧の犯人が赤い目をしていたことと、赤目を狙ったこれらの事件を関連づけて警察は動いている。馬車道でのテロ事件――真一の事務所の周りで騒いでいた赤目を始末する際に両目を潰しておいたのだが、それは逆効果だったかも知れない。
 警察が赤い目の作用を突き止めたらどうする? 赤い目になると闘争本能や身体能力が極限まで高まり、理性を失ったまま周囲の人間を殺しまくるという性質があることに気づいたら? そうでなくとも「狩り」の目的や、犯人について重大な証拠を手に入れたら?
 いい加減にしろ、フィオリーナ! ……そう思ったとき、写真に写った死体と同じく、頭部を撃ち抜く強烈な頭痛がフィアスを襲った。その場にうずくまるほど、痛々しい一撃だった。
 タイムアウトか。フィアスはスーツの袖口で、鼻と口を塞ぐ。
「大丈夫か、兄チャン? 仏さん見て、気分が悪くなったか?」
「ただの立ちくらみです。ご心配なく」
ふらつきながら立ち上がると、フィアスは真一を呼びつける。
 頼りになる・・・・・相棒は、無残な死体に「うげっ」と声を上げながら、好奇心の赴くままに現場をうろついていた。その図々しさを煙たがる人間もいたが、大抵は好意的と言わないまでも概ね許容して傍観している。
「おっ、なになに? 良い情報見つかった?」と騒ぎながら真一は駆けつけてきたが、フィアスの顔が青ざめているのを見て眉を潜めた。
「何があった? めちゃくちゃ体調悪そうじゃん」
「帰る」
「えっ、もう帰るの? 名推理はなし?」
なにが名推理だ、と痛む頭を押さえながら心の中でやりかえした。名推理どころか、この悪臭の中に居続ければ、頭がパンクして卒倒そっとうしかねない。
 荻野刑事に手短に礼を述べ、足早に現場を後にする。
 刑事は伝え損ねたことがあったようで、真一を呼び止め、話をしていた。
 ビニールシートをめくると、野次馬たちの注目が一斉にこちらに向いた。目障りな視線、耳障りなシャッター音。その一つ一つが弾丸のように頭を撃ち抜く。
 毒づきたくなる気持ちを抑え、コートのポケットに手を突っ込んだ。
 事件現場に通い出してから、スーツを着なくなった。代わりに黒いトップスの上に黒いチェスターコートを羽織っている。ボトムスは黒いチノパンツ。頭にも黒いワークキャップをかぶって、髪の色を隠している。凄惨せいさんな事件現場に金髪の若い男が出入りしていることが知れたらネットで妙な噂が立つ。そんな理由から身をやつしているが、頭の先から爪先まで真っ黒に染まった自分はカラスのようだ。
 殺人現場をうろついて、フィオリーナが残していった、死体という残飯を漁っている。
 規制線からの距離は遠いので、個人の特定は不可能に近い。それでも勝手に写真を撮られて良い気分はしない。
 マスコミはともかく、一般人は何のために事件現場の写真を撮るのだろう。ネットに載せるためか? ネットに載せて個人的な得があるのか? 死体のある場所に居合わせた幸運を、他人に自慢したいのだろうか? ……この予測が当たっているなら、かなりの悪趣味だな。俺は何人もの人間を殺しているが、死体と一緒に写真を撮りたいと考えたことはない。
 とりとめのない考えを思い巡らすことで気を紛らわせながら、早足で自車まで歩いた。現場から遠ざかれば遠ざかるほど体調不良は改善した。鼓動に合わせた頭痛が弱まり、気分の悪さも収まった。
 喫煙中の河野刑事からキーを返してもらう頃には、いつもの自分に戻っていた。
「ずいぶん早かったですね」
河野刑事は煙を吐きながら、驚いた顔で言った。声色が残念そうな響きを帯びているのは、もう少し仕事をサボりたかったからだろう。それだけでは飽き足らず、目をキラキラさせながら尋ねてくる。
「今回はどんな推理を披露したんです? うちの部内で大人気ですよ。考察の視点が面白いって。毎回、独特の角度から切り込んできますよね!」
河野刑事の楽しそうな口振りは、まるで推理ドラマの感想を語っているようだ。
 大人気ってなんだ、とフィアスは呆れながら心の中で返事をする。日本警察、ちゃんと仕事しろよ。

 名推理だの考察だのと騒がれ始めたのは、事件現場を見に行って二回目のことだ。
 フィアスは目に入った現場の光景から、口頭で殺害当時の状況を再現してみせた。NYPDから「マフィアの勘」と名付けられた例のやり方を披露した。もっとも自分では披露する気など微塵もなく、ただ頭の中を整理するために喋っていたに過ぎなかったのだが。
 とにかくその口述が犯人側からのリアルな視点を描き出し、現場証拠に対する見解も科捜研の鑑定結果と合致していたため、捜査の進行を促進してしまった。その後も事件に関する見解を鑑識や刑事から求められることがあり、嫌々ながら答えているうちにご意見番的な立場に立たされてしまった。
 何をやっているんだ俺は……。
 名推理! 名推理! と騒ぎ立つ真一の傍でフィアスは頭を抱えた。
 敵・味方にカテゴライズするのであれば、間違いなくこちらは警察組織の敵。入り組んだ事情はあるものの、一連の殺人事件の犯人は上司だ。フィオリーナはもちろん自身を特定するような証拠を何一つ残さず殺害を完遂するが、いつか〝マフィアの勘〟が致命的な一撃を見舞う可能性もなくはない。
 何せこの技術を使うには、自らが現場に立ち、頭に降った考えを喋らなければならない。
 不思議な癖だが、口述しないと〝マフィアの勘〟は上手く作用しないのだ。
 あれ以来、刑事たちは自分の言葉を何一つ聞き逃さないように耳をそば立てている。自分や真一を煙たがっている刑事でさえも、二人で会話を始めると陰口を叩く口を閉ざして聞き耳を立てる。
 非常にやりづらい。
 そこで最近は〝マフィアの勘〟を封印して、警察から意見を求められても当たり障りのない一般論を提示するだけに留めている。フィオリーナとコンとヨン。彼女たちの連携プレーは十分見せてもらったし、証拠らしい証拠も残っていないので、そろそろ現場観察も終わりにしたいと考えているところだ。

「いえ、何も。情報をもらっただけです」
「そうなんですか? 今回はシャーロック・ホームズはなし?」
「そもそも、あの推理法で個人を特定するのは不可能ですよ。職業は多様化して、階級による選り分けができない。コンクリートが敷き詰められた地面では、地質学は役に立たない。おまけに……」フィアスはポケットから「JUNK&LACK」を取り出し、火をつける。
「……煙草の種類は少なくなって、画一化に向かっているし」
「シャーロック・ホームズってそんな話でしたっけ?」きょとんとした顔で首を捻る河野刑事。
「俺、原作読んでないから、分かんないや」
のほほんと煙草を吸う刑事の隣でフィアスは脱力する。
 話を振っておきながら、詳しくないのか。そして、話の結びは「分かんないや」に着地するのか。
 彼に車の見張りを任せておいて正解だった。警察組織に<サイコ・ブレイン>が潜んでいても彼は該当がいとうしない。間違っても車に発信器や爆弾を取り付けるという智謀ちぼうは思いつかないだろう。十五分ほど煙草を片手に、適当の極みの会話を続けていると、ようやく真一が戻ってきた。
 身バレ防止のために、真一も黒を基調とした服を身につけ、派手な髪を帽子で隠している。
 しかし、元来の派手好みを隠しきれず、地味と個性の中間を行く独特な雰囲気を醸している。早い話しが、お気に入りの黒い古着を着てきました! と主張するような格好をしている。
 その服装は目立ちすぎると二回注意しても直らなかったので、フィアスは矯正を諦めた。目立ちたがりに目立つなと注意する方が間違っているのだろう。最近では、勝手に個人特定されてろ、と思いながら、真一の中途半端な変装に冷めた視線を送っている。
 真一は肩で息を吐いた。行きとは違い、大荷物だ。
 背中に大きなリュックサックを背負い、両腕に紙袋をぶら下げ、両手に書籍を抱えている。
 帰る直前、真一は荻野刑事から引き留めにあっていた。また変な頼みを受けてきたなと思ったことが、灰青色の眼差しに表れていたらしい。
 言い訳顔で真一は言った。
「だって、俺たちしか茜に会えないだろ。俺の実家、厳重警戒中だしさ」
「何を預かってきたんだ」
「着替えと参考書と……あと荻野刑事の奥さんから、笹川の皆さんにって、仕出し弁当もらった。茜の母ちゃん、割烹屋かっぽうやの女将なんだ。手作りご飯がめちゃくちゃ美味しいんだよ」
食い意地の張った顔を緩めて、にっこり微笑む真一。「いいなぁ。おいしそう」とつぶやいた河野刑事に、「たくさんもらったから、あんたにも一箱やるよ」と言って、お裾分けしてあげる。
 にこにこ顔の二人を見ながら、フィアスは治っていた頭痛が再びうずき始めるのを感じた。