敵を別のエリアに誘導⁠する。その隙にマイチはアカネを救出。シドは上空の目からサポートを頼む。敵より⁠日本の機動隊に気を配れ……⁠作戦開始から、15分以内に終わらせる。
 何でも屋から数百メートル離れた駐車場に車を停めた。銃を点検しながら、ハンズフリーに切り替えた電話で⁠作戦内容を伝える。
 それでいいな、と視線を送ると、真一は口を尖らせた。
「俺も⁠一緒に戦うってば」
「適材適所。お前の仕事は人命救助だ」
「でも、⁠赤い目になったら……」
「なるわけないだろ。雑魚相手に」
面倒くさそうに溜息を吐くフィアスに、はったりではない余裕を感じ取ったのだろう、真一は安堵の笑みを浮かべると、照れ隠しに頭を掻きつつ「野郎を介抱するの、二度とごめんだからな」とつぶやいた。
 もう一人の不安げな視線を感じ、後部座席を振り返る。
 物言いたげな眼差しとぶつかる。凛は両手を⁠膝の前で握りしめて、苦痛に耐えるような表情を浮かべていた。真一と同様、心配事を口にしたいが、⁠堪えている様子だ。
 信頼と不信が入れ替わるたび、黒い目は忙しなく左右に泳ぐ。
 ダッシュボードの携帯電話を取り上げると、フィアスは言った。
「シド、作戦を少し変える……サポートはなしだ。上空の目で、この車を見張れ。⁠半径700メートル以内に不審な動きを発見したら、俺に電話しろ。3コールで出なかったらマイチに掛けろ」
――お姫様の乗る馬車だもんな。
「あたしのことは良いのよ!」凛が素早く携帯に答える。
「気にしないで良いってば!」
 慌てる凛と対照的に、シドの声は穏やかだ。目を皿にしておくよ、という返事を最後に電話が切れた。
 あんぐりと口を開けたまま、⁠通話が終了した携帯電話を見つめる。すぐさま、焦燥に駆られた⁠黒い目が、運転席に向いた。
 この身の安全じゃなくて、あたしが心配しているのは、貴方なのよ――憮然ぶぜんとした表情はそう語っている。
 それは、確かに本心だろう。
 しかし、もう一つの心配事――ひとりぼっちになる恐怖――が彼女の心を支配してやまない。荒れ狂うテロリストに⁠大切な人たちが次々と抹殺されるビジョンが、早くも脳裏を駆け巡⁠っているようだ。
 どうしようもない孤独に陥るとき、彼女は決まって子供になる。親に見捨てられた六歳の少女が顔を出す。強い猜疑心さいぎしん。それは、数日や数ヶ月の間に快癒かいゆするものではない。
 フィアスは銃を懐にしまうと、彼女の黒髪を優しく撫でた。
「⁠リン、仕事を受けてくれ⁠ないか?」
「銃の扱い方なら分かるわ」
「それは俺の仕事だ。君には、俺を信じることを任せたい……重要な任務だ。できそうか?」
黒い目が左右に揺らぐ。
 揺らいだ末に、おずおずとフィアスを見上げる。
 数秒の逡巡の後、こくりと小さく頷いた。
 今にも涙が滴り落ちそうなその頬へキスをすると、フィアスは言った。
 ⁠いつかの約束を、結び直すように。
「⁠すぐに戻るから、泣かないでくれ」


 駐車場が見えなくなってすぐ、真一は呻き声をあげた。
「救出作戦に集中したいから言わせてくれ……キザすぎるだろ! なんだあれ!? 俺を居づらくさせるなよ!」
リストバンドで額の汗を拭う。ふぅ、と息を吐く顔は、言いたいことを言った後で、スッキリしていた。
 フィアスは両手で銃を構えながら、辺りの動向に気を配る。五感を研ぎ澄ませても人の気配は感じない。何でも屋前の道路から、銃声だけが鳴り続けている。
周辺住民は異変を感じて、屋内へ引っ込んでいるようだ。
小走りから速度を落とし、後に続く真一と歩調を合わせる。
 ⁠銃身を下げるとフィアスは言った。
「さっきのは、少し恥ずかしかった」
「⁠あ、自覚はある⁠んだ?」
⁠「まあな」
真一は隣を歩く友人の顔を見る。恥ずかしいと言いつつも、難しい顔で考え事をしている。作戦内容をシミュレーションしているのかと思い、しばらく放っておいたが、道が二股に別れる頃に、ひとりごとが聞こえた。
「信じてもらうのも、一苦労だな……」
⁠思わず隣を見ると、物憂げな友人と目が合った。
 灰青色の眼差しがわずかに揺らぐ。
「お前さ……」
 真一が口を開くと同時に、この件については話をする気がないと言わんばかりに、フィアスは視線を銃へ向けた。
 メインストリートから横道にそれる、小さな路地の前で立ち止まる。ここから先は二手に分かれて行動する手筈になっている。
 作戦通りに動けよ。そう言って、フィアスはさっさと道を曲がって⁠しまう。瞬く間に遠ざかるスーツの背を見送りながら、真一は頭を掻いた。
 相変わらず、生命を賭した行動に躊躇いがない。
 勝利を確信しているとは言え、生き急ぐことが好きなのかと思うほど淡々としている。

〝俺は死を恐れていない。〟
 時藤小百合の家で、フィアスは言っていた。
〝人殺しの死際は、きっと惨めなものだろう。〟
 ⁠唯一彼が恐れているのは、後天遺伝子の支配――⁠植えつけられた暴力性が、周囲に牙を向くことだけだ。
 裏を返せば⁠それは、自身の存在が周囲を脅かす⁠なら、⁠自ら死を選ぶ覚悟でいるということ。
 後天遺伝子を危惧する気持ちは分かる。敵味方の区別なく殺しまくる結末はなんとしてでも避けたいだろうし、自分だって友達に殺されたくはない。
 ただ、自滅以外の結末を――その可能性が存在する未来を、信じることも出来るはずだ。
 その会話に繋がる切り口を、察知したのかどうかは分からないが、フィアスは話を打ち切った。別れ際に交わした視線は迷いがあった。
 凛に対する優しい仕草や言葉の数々は、進退窮しんたいきわまる状況にいる彼の、精一杯の思いやりなのだろうが……

「自分が信じ切れないものを、他人に信じさせるのは、酷だぜ……」
ひとりごちると同時に銃声が聞こえた。間を置いて二発……赤目を引きつけるための、威嚇発砲だ。すぐさま耳が裂けるようなフルオートの射撃音が、呼応するように鳴り響く。
熾烈しれつな撃ち合いの音色が遠ざかるまで待って、真一はメインストリートを覗き込む。
 無人の道路に十数もの死体、歩道橋に突っ込んで炎上している車など、ニュースで見かける異国の戦地そのものの光景が飛び込んでくる。本当にここは日本なのか……というか、本当に俺ん家の近所か?
 悪臭漂う地獄絵図に目を奪われていた真一は、我に帰って走り出す。
 大切な友人が――いつものことだが――生命を懸けて作ってくれた貴重な時間を無駄にできない。
 何でも屋へ続く階段を上り、解錠して扉を開く。
「茜! 大丈夫かっ?」
高鳴る鼓動に痛みを感じながら、部屋の隅から隅へと一瞥する。
「茜! 返事しろ!」
「ま、真一か?」
か細い声が聞こえてきた。部屋の一番奥……事務机からだ。散乱するガラクタを蹴飛ばし、声のする方へ近づいていく。
「茜……!」
額の汗を拭い、机の下を覗く。
 荻野茜と目があった。地震が起きた時と同じく、狭い机の下に潜って、頭を守るように通学鞄を掲げていた。目が合った瞬間、大粒の涙が滴って、真っ赤に火照った頬を濡らした。
 真一は身を屈めると、小さな身体を抱きしめた。わずかなタイミングのずれで、彼女も犠牲者の一人に数えられていたと思うと、力のこもった両腕が堪えようもなく震えた。
「ごめん……こんな目に遭わせちまって。本当にごめんな」
「あほ。アンタが謝るな……悪いのは、犯人やろぉ……」
語尾に被せるように、茜はしくしく泣き出した。
「ウチ、久しぶりにビビってしもて……よりにもよって、こんなとこ、アンタに見られるなんて大失態や。アホ真一には、分からんやろ。ウチがどんだけ自分を恥じているか。死んでも死に切れん、この気持ち、アンタには分からんやろ!」
腕の中でわんわん泣きつつ、同時に怒り狂ってもいる。恐怖と安堵に挟まれて混乱しているらしい。
⁠その背をさすりながら、真一は考える。
 早いところ、脱出しないと。
 ⁠事件関係者として、警察に保護される前に。
「茜の気持ちはよく分かった。ひとまず、ここを出よう。近くに車を待たせているんだ」
「アカン、あの男が外にいる……!」
「大丈夫。敵は倒した」
 それか、今にも倒されるところだと真一は思う。
 俺はフィアスを信じてる。
 この言葉に嘘はない。
 抱擁を解き、茜の手をとって引っ張り上げる……動かない。
アカン、と小さくつぶやくと、⁠茜はもどかしそうに真一を見上げた。
「腰が抜けた……!」
「えっ、立てないの?」
「腰が抜けたって言うてるやろ。立てない。無理。動けん」
「なんでふんぞり返るんだよ……しょうがないな。鞄貸せよ。おぶるから」
「是非もないな。背に腹は変えられん」
「武士みたいなこと言うなよ。女子高生だろ」
よいしょと茜を背負うと、真一は何でも屋を後にする。店を出る前に、扉の近くで耳をそばだてると、⁠銃声は聞こえなくなっていた。
そろそろと扉を開く。
⁠足を踏み外さないように、慎重に階段を下っていく。
「目、瞑ってろよ。女の子が見るもんじゃないからさ」
凄惨な殺人現場を早足で抜ける。
 道路を通過する直前、道の彼方に目を向けたが、とち狂ったテロリストも、テロリストを迎撃するBLOOD THIRSTYも見当たらなかった。