――今からお前の携帯電話に地図を送る。ホテルに着いたら連絡しろ。
 シドの野太い声が途切れるとフォックスはちっ、と舌打ちした。
 ここにいけ、ああしろ、こうしろ……まるでガキのお使いじゃねぇか。俺はもう三十だぜ。あんたらの指図なんて受けない。
 内心でそんなことを思いながら、しかしフィオリーナの命に従わなかったら後々面倒な処分を受けることもフォックスには分かっていた。
 ネオとかいうガキの掌に泳がされているというのに、その上あの美人さんにも転がされている。早いところこのサイクルを断ち切ってしまわないとストレスで気が狂いそうだ。本来、自分は労働者ではなく指導者の方が似合っている。
 いや、指導者とも違うな……支配者、か。
「ヘーイ」
 フォックスが部屋を出て行く寸前、背後から呼び止められた。日本人の男が真剣な目つきでこちらを見ていた。
 そういえば何でこの男を助けたんだっけ? フォックスは考える。あのとき殺しておいても良かった。しかし、№2の仲間のようだったので、後の面倒を回避するために助けただけだ。果たして、この男は何者なのか?
 恐らく相手側も思っていたであろう疑問をフォックスもまた抱えた。
「BLOOD THIRSTY?」
日本人の男が尋ねた。
 フォックスは頷く。
「そうだ。俺はBLOOD THIRSTYの№3……フォックス」
恐らくこの男には通じないだろうが、フォックスは一応英語で自己紹介をする。
「あんたが誰だか知らねえが、暫く俺はこの部屋を留守にすることになるみたいだ。まあ、居たいだけ居ればいいさ。命の保障はしかねるがな」
男は相変わらず言葉の通じない様子で腕組みをしてばかりいたが、やがて閃いたように、
「ストップ!」
手を前に突き出して大袈裟にジェスチャーをした。紙、ペン、くれ。つたない英語で辛うじてそれだけの言葉を発すると男はニヤリとする。
 何を思い浮かんだのか知らないが、自分にはこれからやるべきことがある。ぐずぐずしている暇はない。そのようなことを英語で述べて、フォックスは部屋から出て行こうとしたが、「ファック・ユー!」などという昔ながらの罵りを聞かされたらそのまま外へ行くのも癇に障る。
 このおっさん、殺しておくべきだったな……、そんなことをフォックスはぼんやりと考える。
「紙、くれよ、死ね」
「分かったよ、分かった。その代わり、手短てみじかにしてくれよ旦那。こっちは色々と忙しいんだ」
固定電話の近くにあったメモ帳とペンを渡すと、男はジーンズのポケットから取り出した携帯電話を何やらいじり始めた。使い慣れていないと見えて悪戦苦闘している。
「今どき携帯電話も使えねーのか? 一体どんな生活をしていたんだよ、旦那」
フォックスの言葉はもちろん男に通じない。そのうちになんとかお目当ての画面を選び出したようだ。男はニヤリとまたあくどい笑みを浮かべて紙にさらさらと走り書きした。
 意外にも細かな字で走り書きされたそれは、携帯電話の番号だった。
「俺の、娘の、リンに」
「リン?」
フォックスは折りたたんだ紙を受け取る。紙の表紙に「凛」という不思議な文字を見つけて、それがリンという名を表す漢字だと気付くのにしばらく時間がかかった。
 リン。凛。素晴らしいキスの後みたいに口に残る。良い名前だ。きっと美人な娘だろう。
「よく分からないが、分かった。リンとかいう女を見つけたら渡しておくよ」
フォックスが頷いたのを見て、男は脱力したようにソファに項垂れた。額に手をあてて一度だけ手を振る。
「Good luck, BLOOD THIRSTY......fuck!」


 何でことづけを承ってfuck! と言われなくちゃなんねぇんだ、とフォックスが後になってムカムカしてくる頃には、車はもうホテルに到着していた。最上階まで見上げると腰が痛くなりそうな豪奢なホテルだ。フォックスは電話をかける。
「着いたぜ」
「ご苦労。2022号室だ。話はついている」
 フォックスがそのドアの前で立ち止まると部屋の中はたくさんの人の気配がした。少なくとも十五人はいるだろう。ホームパーティーを開いているにしては、やけに静まり返っている。
 ドアをノックすると中から通りの良い若い男の声が聞こえてきた。こちらも先程の男と同様、つたない英語だ。
「あんたの名前を言ってもらおうか」
「フォックス」
「あんたの上司の名前は?」
「シニョリーナ・フィオリーナ。麗しいお嬢さんだぜ」
ドアの鍵をがちゃがちゃと解錠する音が聞こえ、暫くして部屋の中から男が出てきた。
 男と言っても、フォックスより随分若い。背だけはぐんぐん伸びて、顔つきはまだ学生と言ってもいいくらいだ。
 大きな黒い瞳を細め、男は握手を求めてきた。