凛は目に見えて、
二日前、キョウヤの死を伝えたときの彼女の顔が忘れられない。「キョウヤ」と名前を出した途端、見る見るうちに彼女の顔は悲しみで歪み、最後まで伝えきれなかった。フィアスは立ちつくしたまま、その場に崩れ落ちる彼女を見ていた。凛の悲痛な泣き声の前には、どんな言葉も、肩を抱くことすら無意味に思えてしまったのだ。それ以来、凛とはまともに言葉を交わさないでいる。
キョウヤが死んだと分かってすぐ、フィオリーナに電話をかけた。凛の親友が殺されたこと、〈サイコ・ブレイン〉から親友のツメ入りの手紙が届いたこと、凛の精神状態などを手短に話すと、フィオリーナはひどく悲しげな声で呟いた――心の底から、彼女のことが心配です。
「俺だって心配だ……」
煙草に火をつけながらフィアスは呟く。今も遠くからしくしくという悲しげな泣き声が聞こえてきている。どうすればいい。考えろ。過去に誰かを慰めたとき、自分は何をしたか。そもそも、そのような場面が、未だかつてあっただろうか。記憶には……ない。
凛の泣き声がやんだ。眠ったのだろうか。フィアスは耳を澄ませたが、凛の寝息は聞こえない。代わりに静かな足音が近づいてくる。二日ぶりに凛がリビングへ来る、と思うと同時に、扉が開いた。凛は涙で顔を真っ赤に腫らせ、ふらふらと覚束ない足取りでソファへ歩いてきた。倒れるようにソファにもたれかかった彼女を、フィアスは抱きかかえる。凛の身体は火照っていた。額には玉の汗が浮かんでいる。
「リン、熱があるんじゃないのか?」
「ねぇフィアス、あたし、このところ、ずっと考えていたんだけど」
フィアスの言葉を無視して、凛は言う。
「あたしがあのとき、キョウに電話をかけたりしたから、キョウは死んだのよね。あたしが彼に会わなかったら、〈サイコ・ブレイン〉はキョウヤになんか見向きもしなかった筈なのよ。そうでしょう?」
「違う。キョウヤは末期の麻薬中毒者だったんだ。リンが電話をかけようとかけまいと、死んでいた」
「でも、あたしに会わなかったら、少しは生き延びられたはずよ」
涙でしゃがれた声で、凛は訴える。確かに筋が通っているが、それでキョウヤは納得のいく最期を迎えられたのかというと、定かではない。返事に困って、凛の気をそらすようにフィアスは彼女の額の汗をぬぐった。熱い。
「……熱がある。少し眠ったほうがいい」
「そうね……疲れたわ」
自分の部屋へ戻る気力すらなかったのか、凛は目を閉じるとフィアスの腕の中で、そのまま寝入ってしまった。眠ったというよりも気絶したみたいだった。ぴくぴくと痙攣する瞼の下から、涙が一筋零れ落ちる。フィアスは凛を抱き上げると凛の部屋の扉を開けて、ベッドの上に彼女を寝かす。凛はしばらく苦しげな顔で唸っていたが、やがて力が抜け落ちたように静かになった。念のため呼吸を確かめると、ちゃんとしている。死んでない、眠っているだけだとフィアスは自分に言い聞かすが、このまま放っておいたら本当に凛が死んでしまうような気がして、リビングへ戻れなかった。
凛の額に手を当てる。熱い……。
凛がこんな状態で、言いだせるわけがない――「少しの間、横浜からいなくなる」、なんて。
だけど、時間がない。
フィアスは携帯電話を取り出すと真一に電話をかけた。数秒のコール音の果てに真一の聞き飽きた声が聞こえると、思わず安堵の息が漏れた。フィオリーナに電話をかけた後、すぐに真一にも同じ内容を伝えていた。キョウヤの死と黒い封筒、そして凛のこと。その事情を知ってか、真一はどう切り出していいのか分からないと言った様子でしばらく様々な思案を巡らせているようだったが、やがて神妙に問うてきた。
――龍頭凛は、大丈夫なのか?
「……熱があるんだ。キョウヤの件で相当参っているようだ。今、眠ってる」
真一はううん、とわずかに唸った。
――俺が凛の立場でも耐えられないよ……親友が殺されるなんて。
「そうだな」
フィアスはベッドで眠る凛を見る。深い眠りに入っているようだが、汗は止め処なく流れ続けて、つらそうだ。フィアスは凛のベッドの近くへ腰を下ろすと、彼女の額の汗をぬぐった。頬に手を触れても凛は目覚めない。ぐっすり眠り込んでいる。それでもフィアスは一段声を落して、静かに告げた。
「マイチ、話がある」