「ポーカーはあんたの得意分野、花札は俺の得意分野……ってことで、最後はポーカーと花札を混ぜたカードゲームを考えた」
真一が裏返した花札を混ぜながらにこやかに説明する。
「これから俺が五枚の赤札を配る。カード交換を一回した後にショーダウン。ポーカーのルールとおんなじだろ? それを花札でやるんだ。ポーカーハンドをそのまま花札に適用する。五光はロイヤルストレートフラッシュ、猪鹿蝶、赤短、青短はスリーカード、タンはフラッシュ……という風にな」
 俺って天才! ゲームプロデューサーになれるかも! と自画自賛する真一を前に、どうしてこの頭の回転を他のことに役立てないのだろう、とフィアスは素朴な疑問を抱える。やっぱり真一は馬鹿なのかも知れない。
「ゲームを始めるぜ」
真一が意気揚々と花札を配り始めようとしたその時、穏やかなメロディーと共に、世界のいたるところで聞き慣れた太い声がスピーカーから聞こえてきた。

I see trees of green, red roses too
I see them bloom for me and you
And I think to myself, what a wonderful world……


「閉店の時間だよ」
 ルイ・アームストロングの穏やかな歌声の後で、カウンターを振り返るとBARのマスター、ルイスが箒を手にこちらへやってくるのが見えた。気がつけば、フィアスと真一が座っているテーブル席を除いてすべてのテーブルの上に椅子が乗せられ、店じまいの雰囲気を醸し出していた。
「君たちの賭けごとをもう少し見たかったんだけどね、うちの店は午前一時で営業終了なんだ。ほら、聞こえただろ? 〝蛍の光〟代わりの〝what a wonderful world〟が。残念だけど、今日はここまでだね」
 ルイスの言葉に真一は唇を尖らせたが、花札の束はパッケージの中にしまわれることなく真一の手を離れようとしない。難を逃れたと安堵するフィアスとは対照的に、真一は納得のいかない顔で唸っている。ルイスはやれやれと言った顔で頭をかく。
「ギャンブルは引き際が肝心って、真一、爺さんから教わらなかったか?」
「ルイス、もう少しだけ待ってくれよ。あと一ゲームだけ。俺とフィアスの望みを賭けた、大勝負なんだ」
「望み?」
真一は五分前にフィアスにした説明と全く同じことをルイスにも説明する。ルイスは興味深げに聞いていたが、困った顔で頭をかくと、ううん、と唸った。
「確かに見てみたい賭けではあるけれど、俺も早いとこ店仕舞いをして、明日の仕込みをしなきゃいけないからなあ……」
「帰るぞ、ホンゴウ。営業妨害をするな」
フィアスも辺りに散らばった煙草のチップをパッケージにしまう。真一はやきもきしながらフィアスとルイスの青い目を交互に見比べていたが、やがて切羽詰まった顔で札を配り始めた。真一の前に一枚、フィアスの前に一枚……そして、ルイスの前にも一枚。
「ほら、ルイスも俺たちの賭けに入れてやるからさ、この勝負が終わるまで待ってくれよ。な? いいだろ? そうしたらフィアスの奢りであんたもカラオケやら焼肉やらに連れて行ってやるからさあ」
「お前の願望を勝手に決定事項にするな」
フィアスの怒声を軽く受け流して、真一はカードを配り終える。ルイスは苦笑しながら、それでも目の前に置かれた赤札を手に取った。真剣な顔でカードと見つめ合う真一、ウンザリした顔でカードを横目に見るフィアス。カード越しに態度の正反対な二人を見比べながら、なかなか良いコンビだな、とルイスは思う。この二人はビジネス上の知り合いらしいが、こうして見ると子供の頃から友達だったみたいに、打ち解けた空気が漂っている。ビジネスとやらが絡んでいなければ、良い友達になっていたかもしれない。
「本当に俺が加わっても良かったのか?」
ルイスの言葉に、真一はにっこり笑う。
「大丈夫大丈夫。こう見えてもフィアスは金持ちなんだ。カラオケのメンバーが一人や二人増えた所で問題ないよな?」
真一の隣ではフィアスが鋭い視線と泣く子も黙る怒声を投げつける。ルイスはそんな二人に苦笑しながら、いやそういうことじゃなくて……と遠慮深げに進言した。
「俺が加わったら、お前ら確実に負けるぞ。ギャンブルでいう99.99999%シクスティー・ナインの確率で」
ルイスの言葉に、真一はきょとんとした顔をする。フィアスも頬杖をつきながら、それでも鋭い目でルイスを見た。
「どういうことだ?」
二人の視線に当てられ、ルイスは手にした札を開示した。カード交換をせず、配られたままの状態になっている五枚のカードは、右から松に鶴、桜に幕、芒に月、柳に小野道風、桐に鳳凰……ロイヤルストレートフラッシュが天井のライトで橙に輝いていた。
 ジャックポット。
「……嘘だろ」
唖然としている二人の若者を前に、ルイスは紫の丸眼鏡の奥で眼尻に皺を寄せながら笑った。
「俺はね、その昔、ギャンブラーだったんだよ」


 宵の更けた横浜のBAR「Sherlock Holms」は、今日は一段と騒がしい。先程までかかっていた古き良き時代の名曲ジャズは切り替わり、激しいブリティッシュ・ロックが店内を席巻している。カウンターではルイスがレジのガチャコンを置いて本日の微々たる売上金の計算をしていた。一千二千三千……と金を計算するルイス。彼の座るカウンター席の前では真一が泣きながら玉ねぎをみじん切りしている。ううう……という真一の嗚咽を聞いてルイスも深刻な顔で頷く。
「そうだよなあ、辛いよなあ。まったく、今日も赤字だぜ……俺も泣きたいくらいだよ」
「ちげーよ! 玉ねぎが目に染みるんだよ!」
「ああ、そう」
 真一の冷たい台詞にルイスは肩を落とす。真一は零れる涙をぬぐいながら料理の仕込みを続ける。彼らとはカウンターを挟んで、ホールではフィアスが箒を手に黙々と店内の床を掃いていた。灰青色の目は仕事中と同じように鋭く尖らせ、箒の行方を目で追っている。部屋の角や机や椅子の影など、人目につかない場所も見逃さない。
「へぇ、君は掃除の仕方が上手いね」というルイスの声に、フィアスは微かに頷いた。
「得意というわけじゃないが、嫌いじゃない」
「それじゃあ、俺の事務所も掃除してくれ!」
厨房から張り上げた真一の声を当然の如くフィアスは無視する。真一はちぇっ、と呟いて引き続き料理の下ごしらえに戻る。
二人の様子を見ていたルイスは、この上なく爽やかに笑った。
「また賭けをすることがあったら、ぜひ誘ってくれよな」
「絶対に、断る!」
同時に発した二人の声は、世の理不尽を嘆くロックに虚しくかき消されていった……。