「つまり、龍頭凛は俺たちの仲間になったんだな?」
真一の台詞にフィアスは首を振る。
「違う。〈サイコ・ブレイン〉の情報提供と引き換えに、身の安全を保障するだけだ。〈BLOOD THIRSTY〉俺たちの情報は共有しない」
「でも、龍頭凛は〈サイコ・ブレイン〉じゃなくなったんだろ? それでフィアスが〈サイコ・ブレイン〉から凛の身を守る。……ってことは、やっぱり凛は俺たちの仲間ってことじゃん。そうだろ?」
「……もう、そういうことでいい」
このようなやり取りをしているうちに、凛がリビングに戻って来た。ワンピースを身にまとった凛は、ワイシャツ姿の時よりも、しおらしげだ。さすが組織の女として何年も生き延びてきただけはある。相応の格好をした凛からは艶美というか、神秘的な夜の匂いがする。しゃなりしゃなりとソファに向かうと、フィアスの隣に身を落ち着けた。
「それで、これからどうするつもり?」
文字通り凛とした声で凛は言った。同時に部屋の空気も変わる。フィアスの視線が流れるように凛をとらえる。習って真一も背筋を正した。
「あたしを傍に置いたことで、事態は大きく動転するわよ。あいつら、今までのような生半可の攻撃はしてこないわ。覚悟はできているわよね?」
「ああ」
フィアスはくわえていた煙草を灰皿にこすると、白い煙を吐く。
「リュウトウリン。お前の知っていることを全て教えてほしい。一体、〈サイコ・ブレイン〉はどんな組織なんだ?」
フィアスが尋ねると――、分かったわ。凛は俯いて大きく息を吐いた。
「〈サイコ・ブレイン〉はね、実験をしているの。新種の化学兵器を生み出すために人間を使って、様々な人体実験を試みている。日本の凶悪事件の殆どに〈サイコ・ブレイン〉が絡んでいるのは、知っているわよね? それは実験により廃人となった人間を、猟奇殺人者に斡旋しているからなの。功妙に斡旋ルートを隠してね。その方が、自らの手で始末するより都合がいい」
「〈サイコ・ブレイン〉は作った兵器を海外に密輸しているのか?」
フィアスの問いに、凛は首を振る。
「いいえ。資金不足にでもならない限り、滅多にしないわ。全て、組織が管理してる」
「武器の密輸じゃないとしたら、目的はテロか?」
眉をひそめた顔でフィアスが尋ねると、凛はまたしても首を振った。
「たぶん、違う。あたしが見た限り、奴らに社会的な思想はないみたいだった。おかしな話だけど、ただ武器を作って所持しているだけみたいなの」
「戦わないとしたら、一体なんのために?」
「分からない」
フィアスは顎に手を当て暫く思案を巡らせていたが、行き詰ってしまったのか、小さく首を振った。
「他に知っていることはあるか?」
凛は目線を宙に投げて、必要な情報を整理しているようだったが、やがて小さく呟いた。
「ネオ」
「ネオ?」
「〈サイコ・ブレイン〉の頂点に立つ人物の名前。わたしも姿は見たことがないんだけど、幹部はみんな〝ネオ〟と呼んでる。男か女かも分からない……」
「ネオ……」
フィアスは聞きなれないその名前を反芻した。ネオ。男か女かも分からない、〈サイコ・ブレイン〉のリーダーの名前。ネオ。彩を殺せと命じた人物。

 凛の持つ〈サイコ・ブレイン〉の情報は多岐にわたったが、最重要と見られるのは〈サイコ・ブレイン〉が人体実験をし、化学兵器を開発している組織であるということと、それを所持するだけでビジネスに役立てようとする意思はないこと、そしてネオという〈サイコ・ブレイン〉のリーダーの名前くらいだった。フィアスはそれらの情報を手短にまとめてフィオリーナに伝えたが、フィオリーナは驚いている様子もなく、ただ神妙に相槌を返すだけだった。
――もう少しの辛抱です。もう少し、せめてそのネオという人物を表の世界へ引きずり出すことが出来たら……いずれ、私も日本へ向かいます。
「了解しました」とだけ返事をしてフィアスはフィオリーナの電話を切った。ネオという名前を聞いて、フィオリーナは切羽詰まっているようにみえた。どうやら彼女には、まだ自分の知らない事情があるらしい。
 凛はすぐにでも事態は急変するという。凛がガードの対象となった今、同時に真一の面倒を見るわけにもいかない。引き続き笹川邸にて厳重にガードするよう一之瀬に電話をかけると、三十分もしないうちに一之瀬がベンツを飛ばしてやってきた。渋る真一を宥めすかしながら、一之瀬に真一を引き渡した時には、日は暮れかけていた。
「好きな部屋を使ってくれ」
夜。リビングで手軽に夕食を取った後、五つある各部屋のドアを指さしてフィアスは言った。
「それぞれにベッドとバスとトイレがついている。物足りないようなら、他の部屋も使ってくれて構わない。何かあったら呼んでくれ」
冷蔵庫に入っていたウォッカの瓶を手に、ソファに腰掛けるフィアスを見て、凛は不満げに頬をふくらませた。氷塊の入ったグラスに酒を注ぎながら、フィアスは不思議に思う。凛ときたらじっとりとした目でフィアスを睨みつつ、ドアの前に仁王立ちしたまま、少しも身じろがないのだ。
「どうした?」
「ガードっていうからには、部屋までついて来てくれるかと思ったの!」
「部屋まで? どうして?」
「ど、どうしてって……、もしかしたら敵が潜伏しているかもしれないじゃない。その、ベッドの下とかに」
「いや、それはないな。俺達が部屋を取った時点で誰もいなかったし、もしこの部屋に誰かが潜んでいたとしたら、俺がマイチを迎えに行っている間に、お前に襲いかかっていたはずだろ。他のビルから狙撃できるようなところに部屋はとってないし、部屋の入口は俺が見張っているから……おい、何で怒るんだ?」
「怒ってなんかないわよ、馬鹿!」
肩を怒らせながら凛は自分の洋服が置いてある部屋へと入って行った。バン! と乱暴な音を立てて扉が閉まる。
これは、どういうことだ。俺は何か彼女の機嫌を損ねるようなことを……否、俺はただ凛の言う〝可能性〟というやつを否定しただけだ。それなのに、全く、理不尽としか言いようのない。前々から思っていることだが、女の怒りのスイッチというか、地雷の埋まっている場所は、もしかすると無差別なんじゃないか?
 フィアスは眉間にシワをよせつつ、オン・ザ・ロックを一気に呑み干した。