銃声が二発聞こえた。フィアスが発砲したのか、ネオが発砲したのか分からない。恐らく決着はついているだろう、と正宗は思った。裏口にぴったりと張り付いて、外を見る。小さな庭と森の入口があるだけで、人の姿どころか鳥一匹見かけない。
「くそっ」
隙を見て逃げ出せと言われても、こう何事もないと一体いつが隙なのか分からないじゃないか。アイツのいるときは強気でいたが、いざ一人になってみると手も足も出ねぇ。情けねぇ……。
 大人しく、アイツの帰りを待つか? しかし、銃声が聞こえてからフィアスの戻ってくる気配はない。
 まさか、死んだのか? おいおい。横浜に着いても、お前が死んだらどんな顔をして娘に会えばいいのか分からんだろうが、ガキ。 
 まごまごしているうちに外が騒がしくなってきた。ネオの仲間が応援にかけつけたようだ。これで自分は完全な袋の鼠。
 カツカツカツとヒールの音が聞こえる。誰かがベーゼのドアを抜けてこちらへやってくる。靴音の主に向かって正宗は銃を構えた。
「正宗様、こんなところにおられたのですね」
ひどく丁寧な物言いで自分の前に現れたのは、フィアスと似たようなスーツを纏った女だった。モデルのようにすらりとしたプロポーション。背中まである長い髪の毛を後ろで一つにくくっている。
 東洋のそれには違いないが、どことなく違和感を持たせる顔つきで、彼女が同胞日本人でないことを知る。中国人だろうか? 韓国人だろうか? 女性の年齢は二十四、五と言ったところ。凛と同い年くらいだな、と正宗は思った。
「おっと。それ以上近寄らないでくれよ、ねーちゃん。いくら可愛くても、容赦しないぜ」
 女性は取り乱すでもなく、至って自然な動作で立ち止まる。正宗は銃を構えたまま、頭のてっぺんからつま先までまじまじと女を観察する。女には会ったこともなかった。ベーゼで戯れに寝てきた女たちとも違う。初対面だ。ベーゼにいるということは、こいつも〈サイコ・ブレイン〉の一味なのだろう。華奢に見える体つきだが、標準的な二十四、五歳の女よりはるかに肉体を鍛えている。体術の心得があるのかも知れない。銃を奪われたら確実に負けるな、と正宗は判断する。
「もう一歩、いや二歩下がってくれ。あんたの美貌に、ちょっとクラクラきちまってるもんでな」
女は言われたとおりに二歩下がる。正宗も三歩後方に下がった。女と五メートルほどの間合いが取れた。それで? 正宗は深呼吸する。
 それで、これからどうする?
「質問があるんだが、いいか?」
とりあえず発した正宗の言葉にも、女は顔色一つ変えない。無表情のまま薄い唇だけが影のようにすばやく動いた。
「私の答え得る範囲のことで宜しければなんなりと」
機械のように淀みなく流れる言葉。動作と同様、隙がない。
「あんたの名前は?」
小麗シャオレイと申します」
「シャオレイ……」
やはり、聞いたことがない。
「あんたは俺を殺しに来たのか?」
「いいえ」
「それじゃあ、何しに来た?」
「私は貴方を連れ戻しに来ました」
「フィアスはどうなった?」
「その方のお名前は存じ上げておりません」
「ガキだよ。今日、俺に面会に来た金髪のガキだ」
「その方でしたら死にました」
「……あんたが殺したのか?」
「いいえ」
「ネオが殺したのか?」
「はい」
「ちくしょう……」
「それは、質問ですか?」
「うるせぇ」
 最初から全て間違っていた、フィアスがベーゼに来た事も、こうして脱出を企てたことも。
 最大の失敗はフィアスがネオに盾突いたことだ。敵うはずがない。それは神に戦いを挑むようなものだった。フィアスの存在も、所詮はネオの暇つぶしに過ぎなかったということか。馬鹿な男だ。いや、少しでもフィアスの言葉に希望を見出した自分が馬鹿だったのか。
 正宗はSIG SAWER P226を床に放り投げるとホールどアップの体勢を取る。十七年ぶりに死にたい気持ちがしたが、もう引き金を引くことすら面倒臭い。好きにしてくれ、正宗は吐き捨てるように呟いた。
 全てを心得たような顔つきで小麗が歩きだす。
 一歩、二歩、三歩……。
 と、まるで時間が止まったかのように小麗がぴたりと静止した。正宗にもそのわけが分かった。遠くから鋭い銃声が続けざまに聞こえてきたのだ。外に待機しているらしい〈サイコ・ブレイン〉の傭兵のものではない。敵は制圧(といっても二人だけだが)したのだし、今更銃を発砲する意味がない。
 何より、聞こえてくる銃声はハンドガンの乾いた音ではなくもっと大型で連続射撃を可能にする……マシンガンと思しき轟音だったからだ。〈サイコ・ブレイン〉側も応戦を始めたらしく、耳をつんざくような銃声が暫くの間絶えなかったが、ものの数分で見事に全ての音が消える。小麗が息を呑んだことが正宗にも分かるほど、辺りは静まり返った。
 入口からコツコツと足音がする。大型銃で銃撃戦を勝ち抜いた謎の主が近づいてくる。正宗はそれがフィアスであることを願ったが、現れたのはフィアスとは似ても似つかない、燃えるような赤毛の大柄な男だった。