ネオの言う事なんて信じちゃいなかった。
 葵はドラッグにやられたのでも、横浜で行き倒れていたわけでもない。全部、この子どもが仕組んだことだと信じて疑わなかった。ネオの言っていることは建前上のデタラメさ。葵を手にかけたのはネオに違いない。
 だが、それを知ったところで、一体俺に何ができる? 人質を取られて刃向かえるわけもない。葵の目が覚めることを信じて、ヤツの言いなりになるしかなかった。


 横浜に戻ってすぐに笹川組には顔を出した。
あの抗争の日から三ヶ月も経っていたらしく、突然笹川組の門前に現れた俺を見た兄貴の顔と言ったら、今も忘れねぇ。兄貴は、俺が敵に殺されて、海の中か山の中に埋められたもんだとばかり思っていたらしく、涙を流して再会を喜んでくれた。同時に、この三ヶ月間のことについて質問攻めにされたが、俺は上手くごまかした。ネオや葵のことを話すわけにはいかなかった。
 俺の個人的な問題で兄貴に迷惑をかけるのも嫌だったし、笹川組が横浜一帯を手に入れて間もない頃だったから、諸問題があちこちで浮上していた。組に助けを求められるような状況ではなかったことも実際問題としてあったわけだ。俺は覚悟を決めたよ。というか、まだ自分一人の手で賄える範囲の問題だろうとタカをくくっていたんだ。
 俺は秘密裏にネオの手下として働き始めた。仕事の内容はほぼ運び屋と変わらない。ネオからの連絡はすべて郵便物を通して行われた。家のポストに指令の封筒が入っている事もあれば、開封厳禁の怪しい小包が届く事もあった……常々、彩と凛には言ったもんだ、「俺に届いた荷物に触わると爆発するぞ!」ってな。
 俺は笹川組の仕事の合間を縫っては訳の分からない荷物を訳の分からない人間の元へ運び続けた。俺でなくとも事足りる仕事のように思えたが、ネオは俺の忠誠心を試したいんだろう、くらいに思っていた。

 だけど、本当のところそうじゃなかった。
 彩や凛に言っていたように、俺の運んでいた郵便物は爆弾だったのさ……俺自身の人生を破滅に導くためのな。

 週末になると、必ずベーゼへ行った。この面会室と全く同じ、目も眩むような光の中で葵に会っていた。相変わらず俺たちの間にはガラスの隔たりがあったが、それでも葵の姿を見る度に、俺は俺自身のやっていることが道理からいくらかけ離れていようとも、価値のある事だと思えたんだ。
いや、それで葵が助かるのなら道理も義理もクソくらえだ。
心なしか葵の身体も快方に向かっているように感じられた。


 それから半年も過ぎた頃だろうか。どこから漏れたのか知らないが、嫌な噂が横浜の裏街で囁かれ始めた。
〝〈ドラゴン〉は人を蘇らせようとしている〟という噂……お前も〈3・7事件〉、〈サイコ・ブレイン〉を調べるに当たって一度は耳にしたはずだぜ。噂を聞きつけた若衆や古い馴染みから、そのことについて問いただされることもあったが、俺は頑として口を開かなかった。そうしているうちに奴らは気味悪がって俺から距離を取るようになった。当時付き合っていた女と別れたのもその頃だ。
 笹川の兄貴にもそこはかとなく問いただされた。兄貴の場合は噂のことを気味悪がっているというより、真に俺の身を案じてくれていた。
「正宗、何か良くない出来事がおめぇの身に降りかかっているんだとしたら、早くおれに言えよ」って、兄貴と顔を合わせる度に言われたっけ。
 だけど、俺は誰にも本当のことを言わなかった。
 大丈夫、自分の力でなんとかできる、俺は〈ドラゴン〉と呼ばれている男だぞって……あの頃の俺はまだケツの青い若造で、自分の力を過信しちまっていたんだ。
 強大な力の前では、自分がいかにちっぽけな存在かなんて、知る由もなかったから……。


 ネオと手を組んでから十ヶ月目、坂道を転がる石のように、話は急展開を見せた。
ある日俺は笹川の兄貴に呼び出された。笹川組の床の間で兄貴と面と向かい合ったとき、俺は兄貴の目を見て慄然りつぜんとした。
 俺を見る兄貴の目……それは俺の身を案じる家族の目じゃない。俺に対する憎しみと怒りに覆い尽くされた、敵を見る目。まるで虎に睨まれたようだった。
 兄貴と兄弟の契りを結んで幾年月……あれほど怒りに震えた兄貴を見るのは初めてだった。
「正宗!」と兄貴に大喝されて俺も恐怖に震えたよ。同時に混乱もした。兄貴に隠しだてしていることはあったが、怒りを買った覚えはない。訳が分からずに目を丸くしている俺に向かって兄貴は続けた。
「てめぇ、一体どういうことだ!? おれがかけてやった恩を仇で返すというのか? ええ?」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ、兄貴。一体どうしたんです? 俺が……」
「まだしらばっくれる気か正宗。お前、ここ最近いやにコソコソしていると思ったら、おれをハメようとしてやがったのか! おめぇがあらゆる組織と手を組んでウチを潰そうとしていると界隈では専らの噂だ! こりゃあ一体、どういうことだ! 説明しろ!」
 兄貴の言うことには、俺が笹川組を潰そうと、古今東西ありとあらゆる組織に武器や笹川組に関する情報を横流ししている、という話があちこちから伝わってきたらしいんだ。俺が運んだらしいブツや現場写真なんかも証拠として挙がっていた。
写真を見せられて、俺はゾッとしたよ。それは間違いなく、ネオの指令で運び屋の仕事をしている俺の写真だったんだからな。
 葵を助けるためにやってきたことが、まさかこういった形で表沙汰になるとは思ってもみなかった。こんな、笹川組を裏切るような形で……俺は自分を呪った。今すぐにでもこの十か月間のできごとを洗いざらいぶちまけて、兄貴に助けを乞いたかったけど、そんな事をしたら兄貴がネオに何をするか分からない。ネオとの約束を破ることになりかねないんだ。葵の命は助からない。
 俺はベーゼに行きたかった。ベーゼに行って事の次第をネオに聞きだすんだ。
一体どういう料簡りょうけんで、笹川組を潰すようなことをしたのか。
 兄貴と和解するには、まず事の真相を俺自身がはっきり把握しておかなければ、と思った。

 俺は謝りに謝って、どうか俺の無実を信じてほしい、俺は笹川組を潰そうだなんてこれっぽちも考えてない、と弁明した。もう一日だけ時間が欲しい、と。そうしたらきっと兄貴の納得のいく説明ができる。だから、兄弟のよしみでもう一日待っていてほしい、と。
 兄貴を納得させるのにはかなりの時間がかかったが、なんとか一日だけ猶予をもらうと、俺はすぐにベーゼへ向かった。頭の中では笹川の兄貴の言葉が頭の中をぐるぐる回って、気が狂いそうだった――「もしこの噂が本当だったら、〈ドラゴン〉、おれはおめぇをシメなきゃならねぇよ」。


……俺は何より、兄貴の信頼を失ってしまった事が、悔しくてならなかったんだ。