真っ白な部屋。無菌状態。面会室も廊下やフロントと大差なかった。頭上からの蛍光灯が眩しく、フィアスは目を細めた。面会室というからには留置所のように暗くて煙草くさい場所をイメージしていたのだが、想像とは全く違う。否、ベーゼの高潔な廊下の先にある部屋が煙草くさくて生活臭の感じられる場所であるはずがない。そういった意味では想定通りだといえるかもしれない。
 十メートル四方の広い部屋の中央に男が腰かけている。男の前には白い長机と一脚の椅子。虚無を感じさせる部屋だ。
 うるさくはないが、静かすぎる。
「あんたが……リュウトウマサムネか……?」
フィアスが呟くと同時に、背後で扉が閉まった。
「あんたが……」
 フィアスは呆然と立ちつくしたまま、暫く男の姿を眺めていた。黒く尖らせた髪の毛に、切れ長の黒い瞳、土気色にこけた頬、きつく閉じられた唇、不精髭。黒の長袖シャツに、ダメージ加工なのか年季が入っただけなのか分からない、ボロボロのジーンズを履いている。人相から分かる。この男は頭もよく、勘も良い。鋭い顔のつくりだが、今の男は無表情だ。手を胸の前で組み合わせ、じっとフィアスを見ている。睨んでいるのではなく、探っているのだ、フィアスの正体を。
「とにかく、座れよ」
低いしゃがれ声で男は言う。フィアスは言われるがままに男の向かいに腰かけた。男は尚もまじまじとフィアスを見ていたが、突然、鋭い犬歯を見せてニヤリと笑った。
「そうだ、俺が龍頭正宗だ」
正宗はフィアスを見る。
「お前は誰だ?」
 フィアスは正宗の問いには答えずに、周囲を見渡す。どういうことだろう、この部屋は犯罪者が外部と接触できる唯一の場所だというのに、面会室には監視カメラのようなものは取り付けられていない。机の下も探るが、盗聴器の取り付けられている様子はない。これでは例え部屋の中で殺人事件が起こっても、誰にも分からないじゃないか。
 正宗は興味深げにフィアスの行動を見ていたが、やがて欠伸を噛み殺しながら言った。
「お前の探してるものはこの部屋にはねぇよ。俺が保証する」
「どうして、あんたにそれが――」
「分かるんだよ、ここに何年いると思ってんだ」
確信を持った正宗の言葉。仕方なくフィアスは椅子に座り直す。正宗は痺れを切らしたように言った。
「おい小僧、そろそろお前の正体を教えろよ。お前は一体どこのガキだ?」
「俺は検察庁の依頼で〈3・7事件〉の調査を――」
正宗が、ちっ、と舌打ちする。
「ガキが下手な嘘を吐くんじゃねぇよ。言っただろう、この部屋には監視カメラも、盗聴器もありゃあしないって。本当のことを言えよ」
この年になってガキ呼ばわりされるとは――フィアスは溜息を吐く。ここは正直に真実を話した方がよさそうだ。
「俺はBLOOD THIRSTYという組織に属している……フィアス。今はフィアスと名乗っている」
「BLOOD THIRSTY? 聞いたことがない」
「リュウトウアヤ……あんたにはこっちの名前の方がピンと来るだろうな」
「彩」
 突然、十七年前に行き別れた娘の名前を出され、正宗は少し驚いたようだ。しかし、その言葉でフィアスの正体をある程度悟ったらしい。
 正宗はホールドアップすると、その手を頭の後ろで組んだ。ふん、と鼻で笑う。
「なるほどな、お前は彩の男か。俺に何の用があるのか益々分からなくなってきたぜ……まさか結婚報告じゃねぇだろう?」
やはり――、フィアスは二度目の溜息を吐く。この場所にずっと幽閉されているという言葉は真実だったのか。
 気が進まないが、話すしかない。
「あんたは、何も知らないんだな」
フィアスの言葉に正宗の片眉がぴくりと動く。
「何?」
「アヤは……五年前に死んだんだよ。殺されたんだ、〈サイコ・ブレイン〉に」
 その言葉を聞いた瞬間、正宗の身体が硬直した。正宗だけ時の進みが止まったかのように、ぴん、と背筋を張ったまま動かなくなった。
 机の上に乗せられた拳が、血管が浮き出るほど堅く握りしめられた。正宗の黒い瞳が異様に鋭い光を放ち、こめかみには細く血管が浮かんでいる。今、数々の感情が龍頭正宗の心を埋め尽くしている。ちょうど五年前、彩の死体を目の当たりにしたときの自分はこんな顔をしていたのかも知れない……思わずフィアスは正宗から視線をそらす。ここはただ、正宗の回復を待つしかなかった。
 それから五分ばかり過ぎただろうか、正宗は低い声で言った。
「……彩は、子どもが産めない身体になったのか?」
……子ども?
……どういうことだ?
「おい小僧、お前は彩の男だったんだろ? アイツにその兆候があったかどうかくらいは、分かるだろ? 彩は子どもが産めなくなったから、奴らに殺されたんじゃないのか?」
「……違う。アヤは日本からアメリカに逃げて来たんだ。それで〈サイコ・ブレイン〉の報復にあった。子どもがどうというのは……意味が分からない」
フィアスの答えを聞いて、正宗は暫く熊のような唸り声を出しながら考え事をしていたが、やがて切り出した。
「どうも、俺とお前には分からねぇことがあるようだ。俺は現在のこと、お前は〈3・7事件〉の真相……お互いに打ち明けちまわねぇか?」
正宗は机の上で手を組み合わせると、ギラギラと光る黒い目でフィアスを睨んだ。
 それは〈ドラゴン〉と異名を持つ男に相応しく、恐ろしい蛇睨みだった。