拳銃型ライター

拳銃型ライター

「なに、これ?」
秋から手渡されたそれを見て、おもわず河野薫は聞いた。
秋はにっこり笑って、
「誕生日のプレゼント。これ、高かったのよ。一万二千円もするんだから」
「ああ、誕生日……」
そういえば、今日は自分の生まれた日だった。すっかり忘れていた。
今日も薫はいつも通り出勤し、仕事をこなし、一ヶ月も前から秋にしつこく「十月三十一日の夕方はあけておくこと!」と言われていたので、夜は秋と一緒に夕飯を食べた。何故、十月三十一日なんだろう?とすら思いながら。
秋は大きな目を更に大きくして(これが秋の驚いた時の癖だということが最近薫にも分かってきた)、
「まさか自分の誕生日、忘れてたの? 今の今まで?」
「えっと、」
「うっそー、信じらんない!」
弁解する暇もなく秋の甲高い声が飛ぶ。
「最近、忙しかったんだよ」
なんとかそれだけ言い返したが、秋に信じてもらえたかどうかは分からない。それに、ここ数日は事件という事件もなく、書類を書くだけの毎日だったので、特に忙しくもなかった。
“俺、なにか脳の病気なのかな“一瞬そんな不安が薫の脳裏をよぎったが、次の瞬間にはもうどうでも良くなっていた。
まあいいや。誕生日を忘れていたくらいで、かくべつ生活に支障を来たすわけでもないし。一日があっという間に過ぎる新宿では、時間の感覚が狂って当たり前だ。
とりあえず、薫なりに精一杯感謝の気持ちをこめて秋に礼を言う。そして、今後一切使い道のなさそうな拳銃型ライターを受け取った。一万二千円するだけあって、割と精密な銃の形になっている。
引き金を引くとカチッという音がして、拳銃の先端に火がともった。
「……わあ、かっこいいね。嬉しいよ」
正直、同じ一万二千円するものならZippoのライターの方が良かったなと思いつつ、薫は小さく歓声をあげる。いくら人の感情に疎い薫といえども、嬉しいふりをした方がここは穏便にやり過ごすことができる、という処世術くらいは知っている。
秋は隣でにこにこしながら自分の左手を薫の右手に絡ませた。
「嘘つかなくてもいいの。カオル、今、すごく困ってるでしょ。拳銃型ライター、使い道ないよね。知ってる」
「えっ。えっと、うん。使い道は、正直に言うと、ないよね。全然」
「あたしは、困ったカオルが見れたから、満足」
その後、「え……ああ、そう。それは良かったね」、などと訳の分からない返答をした薫だったが、すぐに理不尽な扱いを受けたような気がして、怪訝な顔で秋を見返した。
相変わらず秋はにこにこしたままなので、正当性は秋の方にあるような気もしてしまい、文句の言葉が浮かんでこない。
この一杯食わされたような、後味の悪い感情は、どこに向ければいいのか。
仕方なく拳銃型ライターで、新宿の街を撃つ。