朝焼け、澄み渡った橙 目を覚ました摩天楼から

スタンリー中央銀行に強盗が押し掛けたのは、先々週の金曜日だった。

目を覚ます時が、人生の中で一番落ち着いた気持ちになれた。

自分の体温が体中を囲んであって、等身大の砦が張り巡らされているような感覚がして、そこには一つの空間が出来上がっている。

一晩かけて張り巡らせた繭を突き破るのは、あまり良い心地がしない。だから男は何度も寝返りを打ち、徐々に自らを朝の世界に慣れさせてゆくのであった。

白く明確な日の光が、橙色に染まっているのがおかしい。手を伸ばしてカーテンをめくると、空がぼうぼうと燃えている。夕方かと思ったが、明け方か、と考え直した。

ベッドの横の小さいテーブルの上に乗ったデジタル時計が、AM5:40をさしているのだ。

やや頭痛を感じながら、ベッドから起き上がると刺すような肌寒さを感じた。冷たさが直接的に身体に響いたところで、そうだ自分は裸だったと気づく。

シャツとジーンズとパンツと靴下と、携帯。あとGショック。全てテーブルの上に乗っかっていた。洋服はご丁寧にも畳まれてあって、その上に小物類が置いてある。

Gショックにメモが貼り付けてあって、『全部、洗濯しておいた』。時計も携帯も洗ったのかよ、というくだらない皮肉が一瞬浮かびあがってしまい、男は友達に対して少し申し訳ないような気持ちになる。

寒さを堪えながら洋服を身につけて、男は部屋の電灯を付けた。2回フラッシュがあって、ピンクとオレンジの中間色というか、なんとも形容しがたい色の、しかし溢れ出るような暖かい色の明かりがついた。

2LDKの小奇麗な一室。物が少ないせいか、広々としている。「定職」についている奴はこんな暮らしができるのかいいないいな、という羨望が湧き上がるが特にどうしようとも思わない。友達に対しても、自分に対しても。

冷蔵庫の扉にもメモがあった。『適当に食べていいよ。どうせ、ろくなもの、食べてないでしょ』。

冷蔵室にはカレーの残り、菓子パン類、冷やさなければいけない調味料(ここで男はブルドックソースって冷蔵しなければいけないものなのか、と思った。

確かにソースのパッケージには冷蔵庫で保管してくださいという趣旨のことが書いてある。)、チルド室には豚・牛・鳥の肉がたくさん。冷凍庫には冷凍食品が大量に買い込んであった。完璧な食品庫。お腹が空いていたが、これらの食料品に手を出すのが躊躇われて、男は扉を閉める。

コンビニへ何か買いに行ってこようと思い立ち、男はキッチンテーブルにむき出しになっていた1万円に手を伸ばす。

ここにもメモがしてあった。『煙草用にどうぞ』。

高い煙草だな、と思った途端、唇の端が釣りあがる。友達も、どうやらこの辺りで遊び心が芽生えてきたらしい。もっと色々な場所を探したら、たくさんメモが出てくるかもしれない。そんなことを思ったが、特に探そうとは思わなかった。

男にはできる限り活動を最小限に控えたいという、人間の中でも最低値近くに位置する願望が体中に付きまとっていた。できる限り最小限に生き延びたい。自堕落だという自覚はあるにしても、焦燥感や自己嫌悪はない。だからこそ、男に友達の存在は必要不可欠であった。「定職」についている友達、お金がたくさんある友達、自分の最低に位置する願望を何でも叶えてくれる友達。何より、男のこのような体たらくを、蔑むことなく受け入れてくれる友達の存在は男に安らぎを与えた。

顎にぶつぶつした髭が生えてきていたので、バスルームの洗面台に行くと、案の定髭剃りがある。用意周到すぎて、男は少し不気味に思った。男という生き物の生態、性格、行動……それら全てを熟知しているような、常に心の中を覗き込まれているような、背筋が寒くなる感じ。

髭剃りにもメモが貼り付けてある。『彼のだけど、使いたかったら使って』。

男は髭剃りを手に取ったが、すごく使いたくなかったし、触れることすら気持ち悪かったので、元の場所に戻した。洗面台のすぐ横にあるバスルームのドアを開けると、生暖かい湯気が顔と体に吹き付けた。朝風呂に入っていったのだろう、むせ返るような女もののシャンプーやボディーソープの香りが鼻をついた。

やばい、と男は思った。

やばいやばい、と思った。

ここに長くいると、不毛な感情が目覚めてしまいそうで、女との友達関係に不都合が生まれそうだ。それはやばい。男は、慌ててドアを閉める。手に握っていた一万円札は、握力でぐしゃっと潰れていた。

男は再びベッドに戻ってきた。携帯電話がベッドの脇のテーブルに置きっぱなしだったからだ。一万円札とともにポケットにねじ込んだ瞬間、ベッドからバスルームで香ってきたのと同じ匂いが鼻をついた。今まで気が付かなかったが、部屋の至る所からも女の匂いがプンプンしていて、男は顔をしかめた。

どうして今まで気が付かなかったのだろう。この部屋は自分の塒ではなく、女の部屋であり、女の部屋にあるものは自分の所有物ではなく、女の所有物なのである。自分の掌を嗅ぐと女の匂いがする。指先も、シャツもジーンズも女の匂いでいっぱいだ。

所有物の一つだ、と男は気づいた。

コンビニに向かうため玄関先でスニーカーを履く。金属のドアの、覗き穴近くにまたメモが貼ってあった。

今度はメモというか、伝言だ。

『わたし、今日はたぶん、帰らない。出かけるならちゃんと鍵、かけておいてね。何かあったらメールして。電話はだめ』。

コンビニへ向かう途中、男は女にメールを打った。その前に携帯のカメラで薄らいだ朝焼けをガシャリと撮って、添付した。

〝お前、空見た?〟

2009.5.10