「また夕焼け、眺めてんのか?」
「最近になって益々濃さを増してきている。君もこっちへ来て一緒に見ないか?」 「それどころじゃねぇよ。体調不良だよこっちは」 それでも探偵はソファから身を起こして窓辺へやってきた。ボクはカーテンと窓の間に立って暮れゆく街並みを眺めているところだった――つまるところ、黄昏ていた。 日は瞬く間に過ぎた。消滅へ向かう隕石のように日ごと速度を増しながら、ある目的へと突き進んでいるようだった。 あれからセツナに会う機会は多々あった。ナギやさりゅにも会った。けれどもボクの心は沈んでいて、彼らと過ごした時間は雲をつかむように曖昧なまま記憶の淀に閉じ込められた。 赤い霧はレムレスの上空を覆ったまま動かなかった。朝と昼が消えてなくなり、毎日が夕焼け色に染み渡った。ラグナロク。神の世界の、業火の色だ。次第に外へ出るのが憂鬱でたまらなくなった。 ボクは部屋に閉じこもって物思いに耽るようになった。 赤く染まった部屋の中で考えることはただ一つ。 死のプログラム≠チて何だろう? あの日、ボクは灯台の内部でコンピューターを操作した。死のプログラム≠ネるシステムを起動し、海砦レムレスは赤い霧に包まれた。ここは霧の内側。それではここは現実ではないのか? それともここが真の現実か? 何がホンモノ? 何がニセモノ? そして刹那に過ぎゆく日々の果てには何が待ち受けているのだろうか? ……分からない。 今も窓の外を眺めながら、思考の迷宮を彷徨っていたのだった。 探偵がカーテンを開けると、赤い光が部屋いっぱいに降り注いだ。 「火事みたいに真っ赤じゃないか! すごいな!」 おおー、と感嘆の声を上げつつ、それだけでは物足りないと見えて、屋上へ行こうと誘われる。 「君は異常気象に興奮する口だな。台風、大雨、洪水、豪雪……氾濫する川の様子とか見に行っちゃうタイプだろう」 「自然を感じたいんだよ。俺、アウトドア派だから」 「そのうち現世からアウトしていきそうだな」 屋上に出ると地獄絵図にも劣らない紅蓮の炎が待ち受けていた。 鉄柵にもたれて、探偵はひゅうっと口笛を吹く。 「不気味な空だな。まるでこの世の終りみたいだ」 「……本当に、世界が終るのかも知れないよ」 「お前な、受験が嫌だからって現実逃避するんじゃないよ」 はははっと笑われてボクの意見は相手にされない。 現実的にあり得ない。それでもボクは、一瞬のうちに地球が消滅するのではと考え、恐怖することがある。隕石が衝突するのでも良い、地球の核が停止するでも良い、氷河期が押し寄せるでも構わない。連綿と続いてきた人類の生命が、無慈悲に、意味もなく、ぷつりと途切れる不安に怯える。 探偵はそんな恐怖を感じないだろう。想像すらしないに違いない。 なぜなら彼は大人だから。 大人は、明日や明後日に世界が消滅するなんて信じない。 「探偵よ、君はどうして大人になった」 「えっ、なんだよ急に?」 「子供の世界は恐怖で満ちている。世界の滅亡、死に際の空想、好きな人とのむごい別れ……破壊の想像が止まらない。君が大人になったのは、それらの恐怖から逃れるためか?」 「そんなシリアスな話を俺に振る? しかも記憶喪失の俺に?」 探偵は苦笑していたものの、硬い顔のボクを見て「たぶん」と前置きしてこう言った。 「守りたいものがあったからだよ」 「守りたいもの?」 「そうだよ。逃げるためなんて後ろ向きな理由じゃない。俺が大人になったのは、戦う術を身につけて、大切なものを守るためだ。子供の世界が恐怖で満ちているのなら、なおさら守ってあげなきゃいけないだろ。大切なものを、その恐怖からさ」 「大切なもの……守る……」 記憶の中で白い髪が揺れる。青い瞳がボクに向かって微笑んでいる。 セツナ、と名前を呼ぼうとして口ごもる。 その女の子はウサギのハンカチを差し出している。 セツナではない。彼女は学校で出会った心優しい幽霊だ。 どうして彼女を思い出すのだろう。 ボクの大切なものは、守らなきゃいけないものは、セツナなのに……。 「探偵よ、君に守られている子は幸せだな」 返事がない。 隣を見ると、真っ赤なつむじが見えた。地面にしゃがみ込んだまま苦しげな呼吸を繰り返している。黒いコートに目をやって、ぎょっとした。 探偵の周りを赤い霧が取り巻いていた。消しゴムで擦ったように、霧が触れている身体の端々が消えかけている。 「……立ちくらみかな」 探偵が立ち上がると同時に、掠れた身体が元に戻った。 「灯台を見ていたら急にくらくら来ちまった」 「う、うん……」 「大人になることの弊害はだいたい元気じゃなくなることだな。悪いけど先に下行ってるぞ」 階下へ去っていく彼を見送って振り返る。 終末の空の下、小さく見える灯台の島。 「……死のプログラム=v 夕暮れが夜に鎮火されるまで、ずっと灯台を眺め続けた。 ――夏休みが、終る。 |