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うわっ、めちゃくちゃ楽しいっ! そう思ったのは、小さいころ身長制限で乗れなかったジェットコースターに初めて乗った瞬間。信じられないスピードで走り抜ける一瞬がすごく気持ちいい! きゃー♪ と楽しい悲鳴を上げながら、ジェットコースターに乗り続ける。 白熱するあたしとは反対に、探偵さんの顔色はどんどん悪くなっていって、ふらふらとベンチへ倒れ込んでしまった。 ぜいぜいと息をつきながら、 「あれ? お花畑が見えてきたぞ。きれいな小川の向こうに、死んだおばあちゃんが手を振ってる。すごく楽しそうだ。行ってみようかな」 かなり危ない光景を実況中継してくれる。 自動販売機で水を買ってきてあげると、探偵さんはフタを開けて頭から被った。ぶるぶるぶる、と犬みたいに頭を振って、またぐったり横たわる。これはもう時間に解決してもらうしかなさそうね……。 午前に来たはずなのに、太陽はもう西の方角へ傾きかけている。楽しい時間が過ぎるのはあっという間だ。 ベンチに腰掛けてぼんやりと雲の流れを追っていると、隣で探偵さんが顔を上げた。 「楽しかったか?」 「うん! とっても!」 「そいつは良かった」 そしてまた、ベンチへ突っ伏してしまう。 うんうん唸る真っ赤なつむじを見ながら、不思議な人だなと思った。 いつもにこにこしていて、何を考えているのか分からない。アヤシイことには変わりないけど、初めて会ったときよりは、少しだけアヤシくなくなってる。 それはきっと、良いことよね。 空が夕焼け色に染まると、あらゆる遊具に明かりがつき始めた。赤や緑、青や黄色にライトアップされたアトラクションが美しい音楽を奏でながら回る。仲の良さそうなカップルが目の前を通る度にちょっと緊張する。 勢いに流されてここまで来ちゃったけれど、あたしたちも「デート」しているのよね……改めて考えると、恥ずかしい。 恋人たちから目をそらす。と、掲示板に貼られた「灯台祭」のポスターが目に入った。 青い空を背景に灯台の写真が全面にプリントされている。写真の下には目立つ文字で開催日時や協賛企業の名前が記載されている。 そして「実行委員長・楠木ネムル」の文字も。 「灯台祭=v いつの間にか探偵さんがあたしの後ろからポスターを覗いていた。 「灯台祭≠チて、何をするんだ?」 「探偵さん、街に暮らしているのに知らないの?」 驚いた。今や全国的に話題になりつつある祭を、レムレスの目と鼻の先に暮らす街の人が知らないなんて。 曖昧に微笑む探偵さんに説明する。 「灯台祭≠ヘ八月三十一日にレムレスで行われるお祭りなの。今では大きな縁日のようになってしまっているけれど、本来は 「祈祷祭ってことか。要するに、その……」 言いにくそうにしている探偵さんに代わってあたしは言う。 胸の前で手を組んで、 「星屑の病≠ェ発症しませんように」 かつて、あたしたちの暮らしていた土地に大きな星が降ってきた。 紫色に輝くその星は、いくつもの小さな欠片に分かれ、空中で跡形もなく消滅した。 ほどなくして、その土地に暮らす大勢の人が病気で死んだ。原因は星についていた未知の病原菌。生き残った人の中にも、病の元になる菌が潜伏していることが分かった。 治療法のないその奇病を、研究者たちは「星屑の病」と呼んだ。 ポスターに手をあてて、目を閉じる。 あたしの身体の中にも「星屑の病」が眠っている。ネムルの中にもナギの中にもさりゅの中にも。 レムレスに住まう者たちは、いつ爆発するとも知れない小さな爆弾を抱えて生きている。 「砦はあたしたちを守ってくれる。だけど、同時に隔離もしている。自由にはなれないの……決して、自由にはなれない」 「灯台祭」が全国に広まってくれるのは良いことだ。レムレスと外とを隔てる垣根が低くなっている証拠だから。「星屑の病」の非感染が立証されてから、あからさまな差別もなくなった。 街の人たちは優しいし、街とレムレスを繋ぐ交通機関だって増えている。 それでも、同じにはなれない。あたしたちは星屑の病≠背負って生きている。 身体の奥深くに刻まれた傷が、外の世界に同化することを許さない。 「セツナちゃん……」 探偵さんが小さくつぶやく。振り返ると、彼は複雑な顔をしていた。苦しみと悲しみと切なさと痛み……たくさんの感情に押しつぶされないように、歯を食いしばって、堪えるような。 シルバーリングをはめた大きな手が肩にかかると、額と額がぶつかるくらい彼の顔が近づいた。いつものように悲鳴を上げて突き飛ばせたら良かったのに、軽くあしらえるような雰囲気じゃなかった。 理由を訊くのが怖いほど、彼は真剣にあたしを見つめた。 目を、そらせなかった。 「君の苦しむ顔を見たくない」探偵さんは言った。 「苦しんで欲しくないんだ。星屑の病≠ネんかで」 「……何を言っているの?」 探偵さんは眉間にしわを寄せて一瞬だけ逡巡したけれど、すぐに意を決した顔であたしを見た。 「星屑の病≠――世界の秘密をこれから教える。とても大事な話だ。君にとっても、俺にとっても……」 「探偵、さん?」 ……あれ? あたしの心に、小さな光が輝く。 探偵さんの、茶色い瞳。男の人にしては長めの赤い髪。指に輝くシルバーリング。髑髏のネックレス。レザーコート。白黒の厚底靴。 派手な服装の、大人の男の人。 夜の人工海岸で、あたしたちは初めて出会った。 それなのに、あたしは……。 あたしは……。 「あなたのこと、知ってる……。とても良く知ってるの……」 驚く探偵さんの顔が滲んで、それが涙の仕業だと分かると、どうしようもなくなった。悲しみと苦しみと穏やかな美しさが、堰を切ったように溢れ出した。 どうしてあたしは知ってるの。この人のこと……だって、あたしたちはついこの間知り合ったばかりなのに。 この懐かしさは……なに? 急に恐くなって肩に掛かった手を振り払うと、脇目も振らず逃げ出した。ただがむしゃらに駆けていく。遊園地の夢のような音楽が背後へどんどん遠ざかる。 走り疲れて、足がもつれた。夕闇の中に転んだ。振り返ると「宇宙プラザ」のライトアップが坂の上に小さく見えた。 両手で顔を抑えて、目を閉じる。 夜の海岸で探偵さんに出会ったこと。 ネムルの望む永遠の夢。 ぎくしゃくしているナギとの関係。 あたしにそっくりな女の子。 そしてその子に言われたこと。 ――あなたは、存在を許されざる者。 ここ最近に起こった変化が、ぐるぐると頭の中を回っている。あたし、混乱してる。自分がどこにいるのかも分からなくなりかけていて、学校も、試験も、勉強も、夏休みも、友達も、デートも、今では遠い世界のことのよう。 涙を拭って立ち上がろうとしたとき、何度も聞いたあの声が再び頭の中を巡った。 ――セツナ。 そのとき視界に成り代わって或る映像が、白昼夢のようにくるめいた。 泥のにおいがする雨。冷たいレインコート。街。繁華街の路地裏。「ベイサイド探偵事務所」。重い扉。マホガニーの硬い机。探偵さんがいる。暗い目をして静かに電話を掛けている。誰かを探している。とても大切な誰かを。 突然やってきたあたしを見て、驚く。 ――嘘だろ。こんなこと、あるわけない。 ――嘘のようで、本当で、けれども、嘘よ。 ……違う。この記憶は、あたしじゃない。 嘘のようで、本当で、あたしのようで、あたしじゃない。 それは彼女。 ――お前は、誰だ? ――私は ユークの記憶――……。 「ユーク。あなたの名前は、ユークと言うのね」 ――セツナ、灯台に来てくれるわね。 密やかに笑うユークの声は氷のように冷たかった。 |