SCENE:9‐4 18時10分 汐生町 小学校 森
電子の
土手になった獣道を駆け降り、民家の裏庭に出る。近隣の畑を
目的地は繁華街だったが、少し
陸太とさりゅは警戒しながら先を進む。人のいない夜道でフィジカル・ヴィークルに出くわせば、ひとたまりもない。
思う間もなく、前方に何かが
立ち止まった陸太の背後で、さりゅも息を呑む。
それは子供らしき人影だった。こちらに向かって走ってくる。
陸太は金属バットを構え、臨戦態勢を作る。
気を張り詰めながらも、直感的に味方だと感じた。
「海斗……?」
陸太が一人ごちると同時に、海斗が姿を現した。二人の元に到着すると、膝に手をあて、肩で息をつく。
不思議だ。どうして居場所が分かったのだろう。汐生小学校からは、ずいぶん離れてしまっているのに。
「ただの
陸太の聞きたいことを敏感に察知して、海斗は微笑む。
しかし、それも一瞬のこと、すぐさま深刻な顔で事態を説明し始めた。街中に現れたフィジカル・ヴィークル。格闘。逃走。無事に逃げ延びたものの、水上邸のトラップにハマってしまったユークのこと。
腹部から下が破壊され、生死の境を
「そんな……、嘘でしょう……」
さりゅはその場にかがみこんだ。ショックのあまり、足に力が入らない。放心している場合じゃないのに……。
そのとき、さりゅの口元に陸太が手をあてた。驚く間もなく、田んぼの中に引きずり込まれる。
後を追って、海斗も土手を降りてきた。
しっ、と陸太は唇に手をあてた。頭上を顎でしゃくる。
先程まで自分たちが歩いていた道の上を、てくてくと誰かが歩いてくる。見覚えのあるシルエット。電柱についた街灯に照らされると、白銀のショートカットがぼんやり輝く。
ゴシック調のワンピースを身につけた、
ユークちゃん!
危うく声を掛けそうになり、踏みとどまる。
水上邸で瀕死状態のユークが、悠々と田舎道を歩いているわけがない。あれはフィジカル・ヴィークルだ。集団から
ふと、さりゅの頭にアイデアが浮かんだ。
あのフィジカル・ヴィークルを捕獲することが出来たら、必要部品を調達出来るのではないか。部品だけと言わず、脳以外の器官をすべて取り替えてしまえばいい。
普段の自分なら考えもつかない、大胆な作戦が、脳裏を駆け巡る。
同時に、この考えを思いついた自分こそが適材なのだと雷が落ちる。
これは、わたしがやるべきことだ。
「りっくん、海くん……わたしの話を聞いてくれる?」
声を潜めて、作戦を伝える。
「怪我するかも知れないんだぞ! 分かってんのか!?」
話を聞いた陸太は、小さく憤慨の声をあげる。「オレがやる」とまで言い出した兄弟を制し、海斗はさりゅを見つめた。
「勝算はあるんだね」
「うん」
さりゅも真っ直ぐな目で海斗を見つめる。
「二人には、わたしのサポートをしてほしいの」
こうしている間にも、ユークの生命の砂時計は、死の方向へ落ち続けている。
不安げな顔をしている陸太に、にっこりと微笑みかける。
「大丈夫だよ、りっくん」
柔らかな言葉で伝えると、草だらけの土手を登った。
白い髪の少女と対峙する。
髪型も、体型も、身長も同じ……だが、目の前に立っているのはフィジカル・ヴィークル。
ユークではない。
さりゅは
「おーい! ユークちゃんのニセモノ! わたしの足について来れる?」
フィジカル・ヴィークルが振り向く。生気のない青い目が、さりゅを見つけて輝いた。クラウチングスタートを切って、走り出す。さりゅもすぐさま踵を返し、
あいにく畦道は砂利が多く、滑りやすい。何度も転倒しかけながら、がむしゃらに前進を続ける。対してフィジカル・ヴィークルは、上手にバランスを取りながら追いかけてくる。プログラミングされた
田舎道がコンクリートの歩道に切り替わる。
住宅街の家々の明かりが遠くに見えてきた。
仕事帰りの大人たちとすれ違う。フィジカル・ヴィークルは、彼らに目もくれない。標的をさりゅだけに絞っているようだ。被害の増加は免れたが、安心してはいられない。
汗ばんだ額から、さらに汗が吹き出した。長い坂道を登れば、自宅のある高級住宅街に突入する。
そこまで体力が持つかどうか……。
考えちゃだめっ! 心の中で自分を
今は、何も考えちゃだめ。
走り続けるの。
……なんとしてでも、我が家にたどり着くのよ!
さりゅの脳裏に、ユークと過ごした日々が駆け巡る。
周囲から冷たく見られがちな彼女は、その実、とても優しい心の持ち主だ。
いつも冷静な判断でわたしを助けてくれた。
今度は、わたしの番。
ユークちゃんを救えるのは、わたししかいないんだから!
やっとのことで上り坂に到達した。痛む脇腹を抑えながら坂道を登る。背後にフィジカル・ヴィークルの気配を感じる。おそらく、十メートルも離れていない。振り返ると、予想していたよりも遥かに敵が迫っていた。ユークと同じ顔、同じ形。しかし、彼女を取り巻く雰囲気は、ユークと似ても似つかない。
彼女には「色」がない。生命の躍動が感じられない。
人形の手には刃渡りの長いナイフが握られている。
「生」の代わりに、彼らは「死」を持っているのだ。
「わあぁぁぁっ!」
声をあげて、高級住宅街を分け入った。
叫んだのは、恐怖からではない。最後の気力を振り絞るために、自分を
図らずも、その声は誰かに届いたらしい。
遠くで応答があった。
「さりゅ!」
「こっちだ、さりゅ!」
二重、三重にぶれた視界に、我が家が映った。門の前に立つ二人の姿が見えると、さりゅの全身から大量の汗が吹き出した。肩の力が抜ける感覚がして、両足が一気に重くなる。
あと少し……。
あと少し、なのに……。
後ろ背の、圧迫感が強くなる。微かな風が背中を撫でる。敵がナイフを振り上げたのだ。風を感じるほどの至近距離で。
絶対絶命、さりゅは目をつぶる。
腕をぎゅっと掴まれる。
前方に引っ張られたとき、馴染み深い香りが鼻をくすぐった。
うちで使ってる、柔軟剤のにおいだ。
どさりと芝に倒れ込む。
振り返ると、兄の背が見えた。刀を構えながら、渚は横目でさりゅを伺う。
「大丈夫かっ? 怪我はないか、さりゅっ!」
「お、お兄……ちゃん……」
「ったく、無茶しやがって!」
「ご、ごめんなさい!」
息継ぎをしながら、なんとか返事をする。汗を拭い、辺りを一瞥すると、見慣れた我が家の庭先が見えた。間一髪のところで兄に手を引かれ、難を逃れたらしい。
振り下ろされたナイフは、軍刀によって受け止められていた。
陸太と海斗のおかげで、作戦内容が兄にも伝わっていた――自分が
フィジカル・ヴィークルを
「ネムル、今だ!」
「うむ!」
ネムルが白衣のポケットから、リモコンに似た機械製品を取り出す。
「
スイッチを押した瞬間、しゃにむにもがいていたロボットから力が抜けた。ずるりとその場に崩れ落ち、電池が切れたように動かなくなった。
「こいつの周波数に合わせた
フィジカル・ヴィークルの側へ歩み寄りながら、ネムルは説明する。
「レムレスを覆っている電波と仕組みは同じだ。間に合わせのものだから適用範囲は狭いが、十分効果はあっただろう。さあ、再起動される前に、主電源を落としてしまおう」
仰向けに倒れたロボットをひっくり返すと、うなじと頭部のつぎ目を指圧する。どうやらその辺りに主電源があるようだ。
うむ、と満足げな声が聞こえ、さりゅは全身から力が抜けた。
地面にへたりこんださりゅを渚が抱きしめる。
すると、さりゅの目からぼろぼろと涙がこぼれ落ちた。
「さりゅ、よく頑張ったな。もう、大丈夫だからな」
「うん……うん……」
ごくりと唾を飲み込むと、涙が混じって塩辛い。
違う。泣いている場合じゃない。
「まだ終わりじゃない」
さりゅはごしごしと目を拭うと、兄の抱擁をゆっくりほどく。
「わたし、行かなくちゃ……」
よろよろと立ち上がると、さりゅは、屋敷に向けて走り出した。
本当のゴール――ユークの元へ、向かうために。