SCENE:7‐2 12時26分 汐生町 学校 教室
さりゅは辺りをきょろきょろ見回す。朝の教室は忙しない活気にあふれている。自分に目を向ける人はいない。
ここぞとばかりに通学鞄に手を突っ込み、ハンカチでくるんだ棒状のものを取り出す。
金属の表面がきらりと光った。
「〝折りたたみ式金属バット〟を借りたいって?」
ネムルにお願いすると、不思議そうに彼女は首を傾げた。
ネムルの発明はコンピューターシステムばかりでなく、日常に根ざした雑貨にも及ぶ。〝折りたたみ式金属バット〟もその一つだ。
持ってきたのは、釣竿のグリップのような、ゴム製の持ち手がついた短い棒。勢いをつけて振りかざすと、棒が膨らみ、金属バットに変形した。
「野球でもするのかね?」との問いに、さりゅは曖昧に微笑むしかなかった。
とてもじゃないが「護身用です」とは言えない。
『明日16:00 汐生小学校坂下で待つ。
他言無用、一人で来られたし。
陸太』
昨夜、果たし状のごときメッセージを貰ったさりゅは恐怖に震えた。
陸太はめちゃくちゃ怒っている。
その怒りを拳で晴らそうとしていることは明らかだった。
パンツを見せて、ヘンタイ扱いしたことがいけなかったのか。それとも紙袋で叩いたことが原因か。いや、これまでの自分のとんちんかんな言動に対して、堪忍袋の緒が切れたのかもしれない。
悪いのはすべて自分だ。怒られても文句は言えない。
ただ、殴られるのはいやだ。
というわけで、〝折りたたみ式金属バット〟をネムルから借り受けたのだった。
もちろん、これは最終防衛手段であって、さりゅは平和的解決を望んでいる。必要とあらば、もう二度と迷惑は掛けません、と誓いを立てる覚悟だ。
しかし……
「迷惑掛けないようにできるかなぁ……」
お下げ髪をくるくると指に巻き付けながらさりゅはつぶやく。ぶんぶんと首を振る。ぱんぱんと頬を叩く。
この弱気な態度が数々のトラブルを引き起こしてきたのだ。
負けるものか。
「サユリ、いつものやつ」
クラスメイトに肩を叩かれた。彼女は苦笑しながら、入り口を指差す。
引き戸の影に隠れるようにして、男子生徒がさりゅのことを見つめている。
毎週恒例の告白タイムだ。
弱気になったらダメ、とさりゅは思う。
負けないって決めたんだもん。校舎裏に連れて行かれる前に、きっぱりと断らなくちゃダメ!
足の指に力を込め、一歩一歩を踏み締めるように扉へ向かう。俯いていた顔を上げ、ぐっと相手の男を見据える。
息を吸い込み、お腹に力を込めて――
「ごめ……」
「水上っ、小百合っ、さんっ!!」
「ひゃっ!」
目の前にいるにも関わらず、大声で名前を呼ばれ、さりゅは飛び上がる。
「おっ、お話、したいことがありますっ!」
男子生徒はぎゅっと目を
クラス中の視線が入り口へ注がれ、いつもの騒動であることに気づくと、戻るべくところへ戻っていく。
「あ、あ、あのですねっ……!」
土俵の縁で踏みとどまったさりゅは、いつもより声を張り上げて応戦する。
「わたしはっ……」
「校舎裏へ来てもらえますかっっ!?」
「わたしの話を……」
「来てもらえますかっ!?」
「話を、聞いて……」
「来てっ、もらえますかっ!」
ダメだ。
さりゅはがっくりと肩を落とすと、男子生徒の後に続いて校舎裏へと向かう。
とぼとぼと廊下を歩いていると、前方から海斗がやってきた。
――海くん、助けて! この人、止めて!
様々なジェスチャーを駆使して、必死に救助信号を送る。海斗はにこにこしながら、不思議に動くさりゅを見て、小さな拍手をした。
なにかの芸だと思われたらしい。
――違うよ! 誤解だよ!
慌てて手を振ると、「またね」という意味をこめて手を振り返された。
さりゅはいよいよ肩を落とし、
海斗が教室に戻ると、陸太が窓枠に肘をついて外を見下ろしていた。
隣に立って、同じように目下を見る。見慣れない男子生徒の後について、さりゅが校舎裏へ向かっている。
今しがた、さりゅとは廊下ですれ違ったばかりだ。
踊りを踊っているように見えたが、実のところ、身振り手振りで何らかのメッセージを伝えようとしていたのかも知れない。
「放課後、サユリに告白する」と陸太は言った。
海斗は陸太を見た。陸太の視線は、未だに地上へ注がれている。
頬杖をつく手は口寄りにあてられていて、その言葉が当人の口から出たものなのか、にわかに判断がつきかねた。
じっと横顔を見ているうちに、気づいたらしい。
頬杖をやめて、陸太は顔を上げた。
雲間から差した光の筋が、金の髪を透き通らせる。
陸太は海斗を真っ直ぐに見つめ、微笑む――それは、ほんのわずかに苦味を含んだ、いつもとは違う笑いだった。
一度身につけたら、もう二度と元には戻らない笑い方だった。
「ありがとな、海斗」