SCENE:6‐7 17時32分 海砦レムレス 管理区 曼荼羅ガレージ
「渚さん」と海斗は声を掛ける。
数秒遅れた反応で、渚は顔を上げる。深い考え事をしていたようだ。
海斗の顔を見て、よぅ、と挨拶するなりソファに座った。そして、一点を凝視したまま動かなくなってしまった。
海斗は向かいのソファから、じっと彼を観察していた。
楠木博士が追い出したリリー・タイガーなる女性について、海斗は詳しくない。女子中高生に人気の海外セレブということくらいしか情報がない。
そんな輝かしい女性が、レムレスにやって来た理由はなんだろう。
彼女に対する楠木博士の拒否反応、そして渚のシリアスな態度。
「リリーさんは、ユークの問題と関係ありますか?」海斗は聞いた。
渚は深い溜息を吐く。
「お前、あのチビ猿より面倒なタイプか?」
「さっきのことなら、謝ります。僕は自分のことしか考えていなかった。でも今は、本気でユークのことを心配しているんです」
「ガキが心配することじゃねーよ。それに、この件は街の人間には関係ない」
「ということは、海砦レムレスに関係する問題も浮上しているのですね。先ほどのネムルさんとリリーさんのやりとりを見るに、コンピューター関係。リリーさんは政府の役人か何かですか?」
うーわー、と渚は脱力した悲鳴をあげる。
「なんでそんなに察しが良いんだ? お前、ほんとに中学生か?」
「渚さん」海斗は姿勢を改める。
「僕は一介の中学生で、街の人間だし、身体能力も高くない。でも、渚さんやネムルさんが政治的圧力に潰されそうになっているのを、手をこまねいて見ているわけにいきません。強いて言うなら、それはユークやさりゅが危険にさらされるのを看過しているようなものです。
貴方が僕の立場だったら、力になりたいと思うでしょう?」
渚はぐしゃぐしゃと髪を掻きむしる。うんうん唸りながら、頭の中で最善の手札を選んでいるようだ。
海斗はじっと、選別の時が過ぎるのを待った。
やがて、渚は茶色の目で海斗を見据えた。
「誰にも話さないって約束できるか?」
「はい……!」
「うちのガキどもにも、秘密にするって誓えるか?」
「もちろんです!」
シルバーリングを嵌めた手で、こいこいと手招きされる。海斗を隣へ座らせると、「あんまり大きな声じゃ言えないんだが」と低い声で切り出した。
「相手は軍隊だ」
「軍隊? ……レムレスの領土を奪うつもりですか?」
違う。渚はきっぱりと断言する。
「本来の目的は、楠木ネムルの身柄の拘束」
海斗は驚いて渚を見る。人身売買の四字が頭をよぎった。不世出な彼女の能力を買ってのことだろう。
「ネムルを手に入れたい理由は、想像の通りだ」
納得顔の海斗を見て、渚は頷く。
「そして、それ以外の目的が……」
「目的が?」
ごくりと唾を飲む。
腕利きの私立探偵は暗い目で机を凝視していたが、一転して頭を抱えた。
「分からん!」
「えっ! 分かんないんですか?」
「分からん……。マジで分からん……。あいつら、何がしたいのか……」
「リリーさんはなんて言ってたんですか?」
「奪われたくなかったら、戦えとよ」
「奪われたくないって、何を?」
「そんなもん俺が知るか!」
ずっと無口だったのは、リリーさんの言葉の意味を考えていたからか。
それはネムルさんの存在のことではないですか? と聞いてみると、渚は毅然と首を振る。
「ネムルの件は、彼女の父親が担当しているらしい。リリーちゃんにはリリーちゃんなりの目的があるのさ」
海斗は顎に手を当てる。
軍の目的は楠木ネムル。しかし、リリーの奪いたいものは別にある。
リリーが街とレムレスに現れたのはここ数日のことだ。
何かがキッカケとなって彼女が街にやってきたのだとすると、ここ数日の変化の中にヒントが隠されているはずだ。
そのようなことを渚に告げると、彼はしばらく考えたのち、ぽつりとつぶやいた。
「〝慈悲深き機械〟」
「〝慈悲深き機械〟? なんですか、それは?」
「昼間、リリーちゃんのパソコンを使って、彼女と繋がりのあった人物と連絡を取ったんだ。そのときに相手が尋ねてきた言葉だ。すっかり忘れていたが、リリーちゃんの目的がそいつと同じなら〝慈悲深き機械〟ってやつを欲しがっていることになる」
「それですよ、渚さん! リリーさんは〝慈悲深き機械〟を奪おうとしているんです!」
「奪うって、誰からだ? ネムルか? でもアイツ、〝知らない〟って言っていたような……」
そのとき、リビングを照らしていた明かりが消えた。
渚は軍刀の柄に手をかけ立ち上がる。
海斗も反射的に席を立った。
部屋中を歩き回り、異常がないか確かめる。薄暗い部屋の中に、沈みゆく夕焼けが流血のように差し込んでいる。別段、異常を感じるところはない。
海斗が電灯のリモコンを操作すると、何の問題もなく明かりが点灯した。ただの停電。またはリモコンのタイマーが作動しただけ……偶然が重なっただけだと、海斗は自分に言い聞かせる。
しかし、渚は違った。
「海斗、ここで話したことは黙っとけよ」
階段の前に
それは命令だった。
押し殺した声で、しかし圧倒的な強さを持って、渚は繰り返した。
「絶対、誰にも言うんじゃねぇぞ」