正午。笹川邸の車庫。一人で来ること。他言無用。
 その言いつけに、真一は素直に従った。曖昧な笑みを浮かべながら、おずおずと待ち合わせ場所に現れた。
 正宗が見込んだ通り、この青年は気立てが良い。警戒心を抱いているが、邪心もなく攻撃的でもない。素直で無邪気。任侠のお城で大切に育てられた王子様だ。
「やあ、真一くん。わざわざご足労をありがとう」
「い、いや……それほどでも」
「どう? 元気してる?」
「えっと、まあまあっすかね……」
 気まずげな返答。正宗の邪悪な歓待に、あからさまに怖気づいている。一歩前へ進み出る。呼応するように赤いスニーカーが後退る。一歩前へ、一歩後ろへ。おい、ビビってんのか? と、童心にかえって挑発したくなる正宗だ。
 明るい茶髪に昇り龍のスカジャン、桜の花の刺繍が入った和風のジーンズ。派手好みの若様は、外見だけはいかつい。しかし、彼はヤンキーではない。半グレでもなければ、ヤクザでもない。
 現代用語で言い表すところの〝ぱりぴ〟というやつだ。
 〝ぱりぴ〟はヤンキーと似ている。地元の仲間とつるむことが大好きだ。絆や友情を大事にする。しかし、犯罪に手を染めない。
 仲間と楽しく悪いことをするのがヤンキー。
 仲間と楽しく楽しいことをするのが〝ぱりぴ〟。
 仲間と楽しく悪いことをしていた元ヤンの正宗は、〝ぱりぴ〟の真一に対しても悪いことができる。
「ちょっと聞きたいことがあるんだけどさあ……」
 嫌がる真一の肩に腕を回し、有無を言わさず車庫の裏側へ引っ張っていく。以前も使った同じ手口に、まんまと若様はだまされた。温室育ちの弱点、危機回避能力が低い。や、やめてくださいよ。この場所、校舎裏みたいで怖いっすよ。日のあたる縁側で話しましょうよ。必死の説得を試みる真一に、正宗は笑顔で断固拒否する。
「真一くんは面白いことを言うなぁ。ははは、マジで面白い」
「正宗さん、目が笑ってない……」
対する真一は涙目だ。呼び出しに応じたことを後悔している。途方に暮れる彼に構わず正宗は聞いた。
「それで、どこまで進んでるの?」
「何がですか?」
「何がって、君たちの仕事だよ」
「<サイコ・ブレイン>のこと?」
「そうだよ。物分かり悪ぃな。脳みそ腐ってんのか?」
 うっ、と真一が言い淀む。目に溜まった涙の水嵩みずかさが勢いを増す。いかん、このままでは泣いてしまう。任侠王子を泣かせると、後が面倒くさくなる。正宗は失言を丁寧に詫びる。
 酷いこと言ってごめんな。腐ってないよ、君の脳みそはシワひとつなくぴかぴかだよ。
 余計に傷つくからやめてくれ、と言いながら 真一は片腕のリストバンドで目元を拭う。
 そして、小さな声で反抗した。
「フィアスから直接聞けばいいじゃん」
「あの優等生? 嫌だよ。なんかムカつくじゃん」
「大人のくせに毛嫌いすんなよ……」
もごもごとぼやいた後で、真一は諦めの溜息とともに現状を打ち明けた。
 俺たちは今、市内に出現してるテロ予備軍を始末しているところ。正宗さんもニュースを見ただろ? 未成年連続殺人事件。あの被害者たちは<サイコ・ブレイン>の捨て駒で、テロを企てていたんだ。俺たちは事件が発生しないうちに火種を消しているんだよ。
 <サイコ・ブレイン>に関しては、重要な手掛かりは掴めていない。それより今は、行方不明になっている仲間を探すことに重点を置いてる。
「つまり進展はなし?」
「うん……」
 なんだよ、使えねーな。うっかり口から飛び出しそうになった本音を正宗は飲み込む。面倒くさい、面倒くさい。任侠王子を泣かすとけーいちに怒られる。
「まあ、頑張れ」
 優しい言葉をかけたつもりが、真一にはそっけなく聞こえたらしい。うん、と頷きつつもしゅんと肩を落とす。背中を叩いて喝を入れたくなるほどの意気消沈ぶりだ。最近の男はハートが弱い。午前に話をした荻野茜の爪の垢を煎じて飲ませたいくらいだ。正宗は煙草に火をつける。煙草の箱を差し向けたところ、吸わないとの答えだった。
 繊細な上に健康志向か。
 けーいちは甘やかし過ぎだ、と正宗は思った。

 真一と別れて部屋に戻ると、昼食が用意されていた。御膳に乗った和風のメニュー。若衆が用意しているであろう飯をかっ食らう。上げ膳据え膳の穀潰ごくつぶし。今のところは。
 味噌汁をすすりながら、上手く行くかな、と一抹の不安が脳裏をよぎる。でも、すぐに消える。計画しているところまでは順調に進む未来が見えている。これはただの直感で、見える未来も絵空事に過ぎないのだが、確固たる自信を持って言える。
 あのガキどもは先の道を切り開く。それも近いうちに。
 俺はタイミングを間違わなければ良いだけ。なんのタイミングかは分からないが、時が来れば今だと分かる。大切なのは取り逃がさないことだ。ジャンプする。流氷から流氷へ。時の川は流れる。その流れにしたがって動くチャンスに飛びつけばオーケー。きっとやり遂げるだろう。
 飯を食い終わり、食後の喫煙のために縁側に出る。
 飯を食った後の煙草も美味い。軒先に落ちた灰に向かって、口に溜まった唾を吐く。
 しばらくして、フィアスがやってきた。正宗とは反対の縁側の端に腰を下ろす。同じ銘柄の煙草に火をつけて一服する。正宗の姿が見えていないかのような、自然体の無視の仕方だ。
 おい、優等生。挨拶もなしか。
 正宗は内心でムカつきを覚える。
 こういう無視の仕方を優等生はよくやる。悪さをしていたティーンエイジャーの時代に、通りすがる高校生たちはこぞって自分を視界から消した。現実に存在しないものとして扱った。機嫌が悪いときにはそういった高校生を恫喝どうかつして有り金を奪ったものだが、今回のガキは優等生の割に喧嘩が強い。インテリなヤクザとも違う。今までに会ったことのないタイプだ。ムカつくことに変わりはないが。
 突然、灰青色の目が正宗を向いた。
「なんか用か?」
「用?」
「言いたいことがあるのかと思って」
「てめぇに言いたいことなんかねぇよ」
「そうか」
平坦な返事をして、フィアスは二本目の煙草に火をつける。
 庭先を見つめながら、ぽつりとつぶやく。
「きれいだな」
「は?」
 返答の代わりに指先でぐるりと円を描く。フィアスが指し示した場所を正宗は見る。松の枝葉の重なり。あの辺りがきれい、ということらしい。紫煙をくゆらせながら、指差した場所をじっと眺めている。
 正宗も美しく剪定せんていされた庭を好ましく思っているが、好きな箇所など考えたこともない。変わってる。独特な感性だ。
 二本の煙草を吸い終わると、優等生は音もなく廊下の果てに消えた。スーツの背中をしぶとく目で追いながら、手探りで三本目に火をつける。
 あいつ、俺のことを無視したわけじゃないのか? というより、庭以外は全無視か? 自分の世界に浸ると周りが見えなくなるタイプか?
 無視されたことに変わりはないし、ムカつくことに変わりはない。しかし、今までに会ったことのないタイプではないかも知れない。むしろ、数多く出会ってきた女性でたまに見かけるタイプに近い。
「あいつ〝不思議ちゃん〟か?」