「俺はポーカーに向いてないってこと、よく分かったよ。普段からポーカーフェイスのあんたに敵うわけがないって早く気付くべきだった。そもそも俺、ポーカーなんてしたことなかったんだ。こいつは、負けてもしょうがない。第一ラウンドはあんたの勝ちってことにしておいてやるよ」
 滔々とうとうと負け惜しみを述べる真一を尻目に、フィアスは運ばれてきたウォッカの炭酸割に口をつけた。店内はマイルス・デイヴィスからエラ・フィッツジェラルドの「summer time」に切り替わっている。わびしげな彼女の歌声を聴くと益々ホテルに帰りたくなるので、フィアスは新たに煙草に火をつけ気を紛らわす。
 なるべく早く決着をつけよう。これ以上賭けるものがなくなるくらい、徹底的に真一を潰す。
 そして家に帰る。
 そんなことを考えていると、トランプとは違う、赤いカードが配られた。トランプより随分小さい。手の中に広げると草と動物と菊の花と……実に日本らしい絵がかかれている。
「花札?」
フィアスの言葉に真一は頷いた。
「花札にかかると、俺は強いんだ。なんてったって家がヤクザだからな……ルールは知ってるか?」
「いや、知らないな」
そりゃそうか。海外ではそんなに流行ってないもんな、真一は呟いて、早速一通りの説明を始めたが、それも中々に独りよがりなのでよく分からない。このカードゲームにはホールドもなければレイズもないようだ。
「得点には色々なローカルルールがあるけれど、今回は五光から三光までは文字通りの枚数のチップをもらうことにしよう。猪鹿蝶は五文で、赤短は三文。その他は全部一文だ。月見酒と花見酒、それとこいこいのルールはなし。それでいいよな?」
いいよな、と聞かれても五光も猪鹿蝶もこいこいも、どういう意味なのか分からない。
「要するに、派手な色の紙を集めればいいんだろ」
大胆に花札のルールを省略したフィアスの台詞に、真一はにやりとあくどい笑みを浮かべて頷いた。
「そういうこと」
 ゲーム開始。よく分からないままフィアスは手持ちの藤のカスを捨てて見た目の派手そうな雨の札を取る。真一も同じように手札を捨て、一枚引く。そしてそのまま手に持った札を開示した。
「三光で、俺の勝ちだぜ」
真一の手にはずらりと派手な模様の手札が揃えられていた。先程の真一の説明にも出てきた最上級の二十点札が三枚。ポーカーでいう、スリーカードみたいなものなのだろう、とフィアスは考える。何という強運の持ち主だ。一回のドローで、早くも勝負がついてしまった。
「俺のチップ、返してもらうぜ」
意気揚々としながら、真一はフィアスの煙草の箱から三本のチップを抜き取っていく。フィアスは手を拱いてそれを見ているしかなかった、大変面倒な賭博に乗ってしまったという確信に冷や汗を流しながら。


 三光、赤短、猪鹿蝶の組み合わせを交互に繰り返し、真一は急ピッチで持ち金を取り戻していった。真一自身が公言する通り、花札にかけての彼の強運は計り知れなかった。最初に配られたカードのほとんどが高得点の札で埋まる。まるで真一の意思でゲームが操作されているかのように、軍配は常に真一にあがった。
 店内のBGMがビル・エヴァンズの可憐なピアノに変わり、キース・ジャレットが繊細な旋律を奏で、ジム・ホールがテクニカルにギターをつまびく頃には、フィアスのチップまでもが全て真一の手に収まってしまっていた。真一は頬杖をつきながら、にやにやしている。
「俺の勝ちだぜ」
「納得がいかないが、そうみたいだな」
「あんたの左耳にぶら下がってるそのリングを担保に掛けてもいいんだぜ」
真一の視線から隠すように、フィアスは反射的に左耳に触れる。冗談じゃない。カモにされた気はしないでもなかったが、これ以上ドツボにはまるのはごめんだ。
「俺の負けでいい。その方がお前もすっきりするだろ」
フィアスが素直にギブアップを申し出ると、真一はちぇっと毒づいた。
「ギャンブルが面白くなるのは、身ぐるみを剥がされてからなんだけどなあ」
……剥がされてたまるか!
 フィアスはスーツの内ポケットから財布を取り出して、一万円札を五枚、テーブルの上に並べる。真一は久々に見る福沢諭吉の尊顔に嬉々とした顔で飛びついたが、フィアスの財布がずっしりとした重みを持っていることに気づいて眉をひそめた。
下衆げすな事を聞くようだけどさ、お前、普段から財布にいくら入ってんの?」
 真一に聞かれ、フィアスは札入れの中を見たが、量が多いのでいちいち数え上げるのも面倒だ。恐らく、真一に渡したものと同じ柄の紙切れが三十枚くらいだろうか。正直なフィアスの答えを聞いて、真一は目を丸くした。ええええ! とひとしきり吃驚きっきょうの声を上げたあと、ひどく難儀な顔つきで溜息をつく。
「お前さあ、大丈夫なの?」
「何がだ?」
「何がってさあ……まずその質問をすること自体、大丈夫なの? 俺はお前の将来を心配しちゃうぜ」
「は?」
 首を捻るフィアスを尻目に、真一は何やら真剣な表情で物思いにふけっている。やがて名案を思いついたらしい。パチン、と指を鳴らすと、椅子に深く座りなおす。手に持っていた五万円を、ものほしげな顔で数秒眺めてから、意を決したようにフィアスにつき返した。フィアスは眉間に皺を寄せる。
 この男、一体どういうつもりだ?
「金をかけるのはやめよう。アンタはそんなにたくさん福沢諭吉を持ってるんだぜ。全然、スリルがねぇよ」
 ギャンブルを始めたのはただの退屈しのぎなだけで、別にスリルを求めていたわけじゃないんだが。フィアスはそう思いつつも、熱の入った真一には何を言っても無駄だということを幾多の経験から学んでいたので、黙ったまま真一の言い分を聞く……フリをしながら逃げる隙を窺う。会話の流れがまたもや面倒臭い方向に向かってきていることは一目瞭然だ。くだらない茶番劇。真一が真剣になればなるほど、事態は厄介なことになっている。ここはもう頃合いを見計らって姿をくらますしかない。トイレに行くフリをして逃げを打つか、煙草を買いに行くと見せかけて帰ってしまうか、悩ましい問題だ。
 長い説明のあとに、つまりだな、と要約して真一は言った。
「俺が勝ったら、あんたとゲーセンに行ってカラオケしてボーリングしてからの焼肉食い放題だ!」
「……」
満面の笑顔を浮かべた真一とは反対に、フィアスは訝しげだ。十分前から治る兆しのない眉間の皺を手でほぐしながら、フィアスは唸った。
「何を言っているのか全く分からない。あまり理解したくない話だということは理解できたが、もう一度説明してくれないか」
「だから、金の代わりに互いの望みを賭けるんだよ」
「望み?」
ああ。真一はにっこりと笑った。
「つまり、勝った方が負けた方の願いを叶えてやるのさ。面白いだろ」
 ……面白くない。
 物言いたげなフィアスの顔をにこやかにスルーして真一は続ける。
「俺が勝ったらあんたの奢りでゲーセンに行こう。カラオケも行こう。こう見えてもボーリング上手いんだぜ、俺。……なあ、ちょっとは遊ぼうぜフィアス。俺があんたに煙草以外のストレス解消法を教えてやるよ」
〈サイコ・ブレイン〉が襲来するというのに、何を考えているんだこの男は。
 フィアスは煙草を片手に頭を抱える。これは、マズイことになった。金をかけるよりもスリルのあるギャンブルだ。確実に勝たなければ拷問よりも耐えがたいプランが待っている。
「あんたの方は何をかける?」と真一に聞かれて即座にフィアスは答えた。
「俺が勝ったら、家に帰らせろ!」