全く。せっかくノッてきてたのに、とんだ邪魔者だ。
 リビングのソファに腰掛け、つっけんどんに凛は真一の電話に出た。
「何よ!」
――え? えぇ?
「え? じゃないわよ! 人がせっかくいい気持ちでお料理してたのに、何なのよ真一くん!」
――な、何って……何が? お、お、俺、なんかした?
電話口からは戸惑った真一の声が聞こえる。自分の置かれた状況が理解できないとでも言いたげな、弱者ぶった声がする。白々しい。あれだけ重大な話がある、と言っていたのに、ここへ来て何を尻ごみしているのか。凛は苛立たしげに足を揺すった。
「真一くんがあたしに大事な話があるって言うから、出てやったんじゃないの! もう、ぐずぐずしていないで聞かせてよ。何? 愛の告白?」
――こ、こくはく!?
「あたしに、好きって言いたかったんでしょ。知ってるのよ、こっちは!」
――ええええっ?
電話先で真一が仰天している。全く予期していなかったようだ。なあんだ。そういう話ではないらしい。てっきり、ひた隠しにしていた感情を抑えきれなくなったものと思っていたのだが。
「違うっていうんなら、何よ! 何が言いたいの!」
凛が語気を強くして詰問すると、真一は殆ど泣き出しそうな声になって、
――お、俺にも分んねぇよ!
叫ぶように言うと、電話を切ってしまった。ツーツーツーという切断音が静かな部屋に空しく響く。凛はあまりのことに驚いて暫くその場に立ちつくしていたが、やがてはらわたがふつふつと煮えくりかえって来た。
 何よ! あいつ、逆ギレ!? 真一にもう一度かけ直してやろうかと思ったが、止めた。どうして、龍頭正宗の娘にして、元〈サイコ・ブレイン〉の高級遊女、この龍頭凛があんなガキに気を使わなくてはならないのだ。大体、訳の分からない電話をしてきたのは真一の方なんだし、自分に非はないはずだし、気にかけてやることも……とにかく、無礼極まりない。心外だ。ムカツク。
 ぷんぷん怒りながら、龍頭凛はキッチンへ続くドアノブに手をかける。もたもたしている時間はない。自分には素敵な地中海料理を作るという使命があるのだ。〈BLOOD THIRSTY〉の手に任せておいたら、どうなるか分かったもんじゃない。
 ……開かない。
 がちゃがちゃと取っ手を回す。扉を叩く。「フィアス、開けなさいよ。ねえ、フィアス! ちょっと! あんた聞いてるのっ?」と叫ぶ。体当たりする。
 ……やっぱり開かない。
 それどころか、これだけ派手な音を立てているというのに、キッチンからは返事すら聞こえてこない。意図的に無視されている。まるで庭へ放り出された座敷猫。否、締め出しを喰らった犬だろうか。
 もう! 凛は毒づいた。本当に何なのだ! どいつもこいつも! 〈BLOOD THIRSTY〉側の男には女への配慮が欠けている。否、「女」と言うよりも、「龍頭凛」という一個人に対する配慮である。納得がいかなかった。ひとしきり怒り続けて、フィアスが眠っていたソファに飛び込んで、足をばたばたさせたり、「も――うっ!」と叫んでみたりした後、どこからともなく虚しさと寂しさが折り合いになった感情が胸の黒蝶をしめつけて、なんだか泣きたくなった。
 凛はソファのクッションに顔を埋めた。
「違う。そうじゃないの……あたしはただ……」
 もてはやされたいわけではない。特別扱いをしてほしいと言っているわけではなくて、ただ、仲間に入れてほしかっただけ。〈BLOOD THIRSTY〉の仲間に。〈サイコ・ブレイン〉はもう厭だ。
 つきつめて考えてみたら、今日料理をしたのだって、友情の誓いを立てたかったからではないか? 〈BLOOD THIRSTY〉の№2……というより、フィアスに。
 あたしは、そう、彼に信頼してもらいたかった。
 キッチンの扉は開かない。
 凛はソファの上に横になったまま、手に持っていた携帯電話を右へ左へ弄ぶ。どうしよう、静かだ。人恋しくなる。こんな時に……否、こんな時だからこそ、厭な欲望が顔を出す。喉の渇きを癒すように、自分を慰めてくれる言葉が欲しい。友だち。あたしのことを理解してくれる友だち。悩みを聞いてくれて、それがいかに自分の置かれている立場にそぐわないものでも、見方をしてくれる友だち。甘い惰眠を貪るような、気の置けない相手。
 つまり、キョウのこと。
 携帯電話はこの手にある。必要な番号は、頭の中に入っている。