凛が撃ち殺され⁠⁠た。白いワンピースにぱっと血の華が咲いて、⁠⁠あたりに飛び散る。
 どさりと地面に倒れ、ぴくりとも動かなくなる。
 犯人は自分。
 精密な狙いをつけて、恋人を殺した。
 第三者の視点から、その光景を見ている。違和より怒りと恐怖が先立つ。
 フィアスは自分に向けて銃弾を放つ。自分で自分を撃ち殺す。脳のかけらを撒き散らして倒れる獣。
 幻覚の衝撃が頭を貫き、その場にくずおれる。現実に引き戻される。
 ち、違う……!
 俺は……俺は、殺していない!
 硝煙のにおいが漂う銃。左手首を押さえつける右手の上に血が滴る。幻覚が見せる一連の殺人劇。繰り返される近しい人たちの死に様。彼らを死に追いやるのは、すべて自分だ。その自分へ発砲すると、頭蓋を貫く衝撃が走る。そして我に帰る。束の間の現実に立ち戻る。
 後天遺伝子の「生き延びる反動」。
 これは、幻覚。幻だ。
 フィアスは力を込めて右手を持ち上げた。⁠⁠手首を掴んでなんとか⁠左手の⁠銃を頭へ持っていこうとする⁠⁠。
 現実の⁠⁠身体⁠⁠は言うことをきかない。銃口は自分に向かず、獲物を探して彷徨っている。
 どうあがいても、自分を撃てない。
 頭の中では、何度も何度も殺しているのに。
 車の向こうで影が動いた。
 身をかがめて、死角へと転がり込む。
 隙をついて逃げ出したのは正宗に違いない。
 幻影でなければ。
 既に自分が、撃ち殺していなければ。
 悲劇が繰り返される。あまりのリアリティに虚実だと気づけない。客観的な視点なのに。犠牲者の中には、死者さえ混ざっているのに。
 友達を殺して、恋人を殺して、見知った顔の全員を葬る。想像の中の、想像を絶する恐怖。頭を貫く衝撃。
 苦痛に呻く声は降りしきる雨にかき消された。
 左手を地面に叩きつけた。何度⁠⁠も、何度も。
 ⁠⁠それでも、銃⁠⁠が離れない。傷ついた左手。それすらも幻覚かもしれない。
 ⁠⁠左目から零れ落ちる血。
 獣化の兆候。
 ⁠⁠ヒトでなくなる、最後の合図。
 ……生き延びた結果が、これか。
 ……見苦しく、足掻いた結果が、これか。
 フィアスは呻く。血迷った。失敗した。
 俺は、生き延びてしまった。
 狂気に満ちた赤目の獣は、一匹⁠⁠残らず死ぬべきだ⁠⁠⁠⁠った。
 涙に似た血が銃に向けて滴り⁠⁠続ける。
「フィアス!」
凛の声が聞こえた。
 泥だらけのワンピースを振り乱して駆けてくる。自分の名前を呼びながら。
 その近くで金髪の男が狙いをつけている。今度は、その姿が自分と溶け合う。
 彼女に向けて銃を構える。
 理性の力で抑えきれない。
 恋人を、殺す。
 そのとき、降り続けていた雨が止⁠⁠んだ。
 雲間から一条の光が差し込んだ。
 彼女の胸元で、指輪が光った。きらりと輝く⁠⁠虹色の反射に、⁠⁠一瞬だけ目が眩む。
 発射された弾丸は、凛の足首を掠め、地面に着弾した。白い足から血が吹き出した。
 転びかけた凛は、体勢を立て直して、フィアスの⁠⁠側へやってきた。⁠⁠⁠⁠首筋に飛びついて、ぎゅっと抱きしめられる。懐かしいにおいが鼻先を掠めると同時に、手にしていた銃が落ちた。
「⁠フィアス!」
耳元で凛の声がした。⁠⁠これも幻覚?
 ……⁠⁠彼女の声、⁠⁠⁠⁠彼女のにおいは、現実だ。
 声を、⁠⁠⁠⁠においを、身体を、⁠⁠⁠⁠そのすべてを、覚えている。
 長い抱擁を解いて、凛はフィアスを見上げる。大きな目が優しく細まった。
「約束」
「……」
「ちゃんと、帰ってき⁠⁠てくれた」
「……」
「守ってくれて、ありがとう」
にっこりと微笑む凛の顔が、黒い視界に閉ざされる。
 フィアスは気を失う。
 「意識の断絶」は、怒りと恐怖に塗れた⁠⁠世界から切り離した。花に似た香り⁠によって。