ショッピングモールにたどり着くまで、五匹の獣を殺した。
 三匹はフィアスが、二匹は正宗が請け負った。年頃は十代から二十代前半。男女比率は半々だ。
 脳幹にあたる部分を破壊し、再生不可能な死を与える。正宗は猛烈に撃ちまくり、敵の動きを止めた後で、仕上げとばかりに頭を吹き飛ばす。対してフィアスは確実に急所を狙った。狙撃に近い静かな殺しだ。
 動と静は反発し合うことなく、瞬時に入れ替わって敵を制圧した。チーム連携は完璧だった。
 鋭い勘と洞察力を持つ正宗は、一目いちもくを与えるだけで内心を読み取った。フィアスは戦況を判断して、バディに着実な指令を下した。取り決めることなく、自然に指示系統が組み上がった。
 戦闘が終わると、年下に命令されんのはいい気分じゃない、俺を部下みたいに扱うな、と愚痴りながら、正宗は戦利品を漁った。とにかくぶっ放しがちな⁠⁠元ヤクザは、早くも一つ目のマガジンを使い切った。拾った弾薬の規格を尋ね、自分の銃と同じであれば嬉々として弾詰めを行っている。
 その姿は、なぜか見ていて切なくなる。
 なぜだろう、と思っていると本人が答えを教えてくれた。
「ホームレスが自販機の釣り銭を漁っているところ、見たことあるか?」
「ああ、似てるな。それでこんな気持ちになるのか」
「納得してんじゃねぇ。ぶっ殺すぞ」
「自分で言ったんじゃないか」
「お高く止まった優等生の気持ちを代弁してやったまでだ」
 なんでもいいから早くしろよ。時間がないんだよ、と思うが口に出さない。
 何かしらの声を掛ければ、喧々囂々けんけんごうごうのマシンガントークが返ってくる。
 核心を突かれる分、ふわふわした真一のお喋り以上に面倒くさい。
 正宗のように心が強いと、感受性の高さは武器になる。感知したあらゆる情報に脅かされることなく、サバイバル能力へ昇華できる。取り込みすぎた情報が決壊し、ときたま口撃こうげきとして飛び出るのは一長一短だ。
 ライフルの装填そうてんが終わり、目的地へ歩き出す。背後から、聞き飽きた小言。
「お喋りなのは昔からか?」
やかましすぎて、⁠⁠皮肉混じりに聞いてしまった。予想通り、喧々囂々の反論反発。話のしめくくりに、頭がイカれちまったんだよ⁠⁠、とぶっきらぼうな答えが返ってくる。
「お前もさっさとイカれちまえ」
「とっくにイカれてるよ。あんたと同じくらい」
「それなら殺せるよな。女子供も容赦すんな」
 またそれか、とうんざりしながら返答する。
 「分かったよ」
 凛と天秤にかけろ、と正宗は言った。
 赤目をのさばらせておけば、⁠⁠いつかは笹川邸にたどりつく。⁠⁠そして、凛に牙を向く。好きな女の生命を賭けていると考えれば気持ちに区切りがつくだろう、という理屈だ。
 言いたいことは分かる。背水はいすいじんも敷いている。ただし、情熱が湧くかは別問題だ。
 任侠的な男気とは無縁の世界で生きてきた。恋人を賭け金に博打を打つ趣味はない。任侠の家系に育った真一に根づいている、行き過ぎた義理人情も持ち合わせていない。感情を切り離せないにしろ、元来が熱血漢ではないのだ。
 ギャンブラーではないし、ヒーローにもなれない。
 仕方なく、同胞に湧くわずかな同情心を倍加させて糧にした。
 後天遺伝子を注入された少年少女たち。彼らは「生い立ちのよろしくない不良少年」だと、荻野刑事は言っていた。生まれた時から死ぬまで不運な目に遭い続け、悲惨な人生の終わりに獣化してしまった子供たち。残された救いは「死」しかない。
 微かな慈悲心を攻撃に変えた。
 可哀想な狼たちを一撃で殺す。痛みも苦しみもなく終わらせてやる。
 クールには行かない。静かに瞬殺しているが、心の中は葛藤だらけだ。
 知能の高い動物を殺すのはきつい。最期にいだく感情が伝播する。殺した瞬間、相手の人生が降りかかってくる。
 他者と自己が入り混じった、雪崩のような怒涛の想いに潰されかける。
 距離をとるための氷壁はない。なりふり構っていられない。
 ちゃんとやれ、と正宗は幾度も叱咤した。しくじったらぶん殴る。気合い入れろ。背筋を正せ。
 分かった、と相槌を打つ。分かった。分かってる。分かったよ。ここまで来るのに、何度同じ受け答えをしたことか。
 仮初のバディであるものの、正宗の言い方は出来の悪い子供を叱る父親みたいだ。それもルディガーとは違い、かなり手荒なタイプの父親だ。感情が行き過ぎて、気合いだのなんだのと、よく分からない根性論を述べてくる。
 お前は気合いでなんとかしたのか? と聞いてみる。
 当たり前だろ! と頭を叩かれた。
「俺は十代の時点で様々な感情と折り合いをつけた。子供がいたから迷う暇なんてなかった。殺しに躊躇がなくなった。死んだやつらを見なくなった。体調不良が改善した。女とやりまくった。金を稼いで、出世もした。だいたいの問題を気合いでなんとかした。お前も早くなんとかしろ」
「主義主張のうるさいものは好きじゃない」
「ガキが好き嫌いすんな。出されたもんは残さず食え」
 叩かれそうになった拳をかわす。娘たち⁠⁠にもこんな調子で怒っていたわけじゃないだろうな……などと⁠⁠疑いながら、猛烈な叱咤を受け流して先を急いだ。

 目的地へたどりつく。待ち合わせの時間から三十分も遅刻している。フィアスは五感を開い・・・・・てシドの気配を探る。アジトで幾度も鼻を掠めた、独特な香水のにおい。そのにおいは感知出来ない。
 代わりにコンのにおいを嗅ぎつけた。治療薬のにおいとアーモンドに似た体臭。
 敵陣に駆け出そうとする正宗を食い止め、辺りを見回す。
 狙撃手は駐車場を囲う塀から、建物に狙いを定めていた。
 コン、と声を掛ける前に、弾丸が宙を切り裂いた。誰かを狙撃したらしい。
 チリン、と鈴の音色が聞こえ、コンは武装を解除した。足掛かりにしていた自動車のルーフから飛び降りる。
 不感症女、と背後で正宗がつぶやいた。
「彼女の名前はコンだ」とフィアスは正した。
「コン、こいつはマサムネだ。早朝に会ったな。覚えているか?」
コンは頷く。
「マサムネはリンの父親で元ヤクザ。身勝手で面倒くさい性格。下品かつ口が悪い」
「ここぞとばかりに憂さを晴らすな」
背後から頭を小突かれる。
 これで一応の紹介は済んだ。通信機を通して傍聴しているであろう、ヨンも把握しただろう。誤発砲することはないと願いたい。チリン。再び鈴の音がして、狙撃手は素早く車に登った。
 フィアスも後に続き、塀の中を覗き込む。
 遠くに見えるエントランスから赤目が出てきた。あるポイントまで走らせ、亜音速の弾丸を放つ。
 ばたり、と獣が倒れる。積み上がった屍の上へ覆いかぶさるように。
 なるほど、とフィアスは思う。工場みたいにシステマティックだ。
 どけよ、と⁠⁠肘鉄を喰らわされ、車から飛び降りる。正宗も一目でコンの作業を理解したらしい。⁠⁠すぐにルーフから降りた。
「赤目の始末に忙しかった。連絡をよこす暇もなかったか」という予測は当たった。
 チリン、と鈴音が鳴り、コンが再びやってきた。
 ぺこっ、と頭を下げられる。
 連絡をよこさなかった謝罪をしているらしい⁠。謝るべきはコンではない。しかし、⁠⁠首元のスピーカーから謝罪の言葉は⁠⁠出てこない。素直なのかひねくれているのか、もはや何とも思わない。
 ここにいるのは、生命を惜しまない、頭のイカれた変人ばかりだ。
「シドを知っているか?」とフィアスは尋ねる。
「寝室かもね」とヨンは答えた。
「私たちが仕留め損なった赤目によって、一足先に眠りに就いた」
 そうかもな、とフィアスは頷く。
 待ち合わせ時間もかなり過ぎた。道半ばで死んだかも知れない。悔やみの言葉を述べている暇はない。
 早々にネオ抹殺とフィオリーナ救出の役割分担を決めようとしたところ、野太い声が聞こえた。
「こらこら、勝手に殺さんでくれ」
シドが現れた。大男はメインウェポンのショットガンとサイドアームのアサルト・ライフルを装備していた。都市迷彩柄の上下に分厚いボディーアーマー。その上にライフルプレートを着用している。紛争地でよく見かけるスタイルだ。
 彼は無傷だった。上空の目から敵のいるエリアを器用に避けてきたらしい。
 スーツ姿のフィアス、革ジャンにジーンズの正宗、黒いパーカーとジーンズを履いたコンを順々に見て、すごいな、と驚きの声をあげる。
「お前ら、いつもの格好で来たのか。このままショッピングに行くつもりか?」
 盗むだけ盗んで売りさばこうぜ。正宗が冗談に乗っかる。
「誰だか知らねぇが、味方だよな。俺は龍頭正宗りゅうとうまさむね。身勝手で面倒くさい性格。下品かつ口が悪いそうだ。お陀仏するまでよろしくな。名前くらい聞いた方が良いか? ……っていうか、お前ら外人のくせして日本語がやけに上手いよな。殺し屋御用達の日本語学校でもあるのか?」
煙草に火をつけながら、持ち前のマシンガントークを飛ばしてくる。しびれを切らしているのか、靴底を鳴らす貧乏揺すりが攻撃的だ。
 なぜだろう、ここへきて無性に苛々してきた。フィアスも苛立ちを抑えながら、早口で大男を紹介する。
「この男はシド・バレンシア。元ボクサーで日本に滞在経験がある。日本語以外に英語とスペイン語も話す」
龍頭正宗? シドは驚きながらフルネームを繰り返した。
「凛の父親を連れてきたのか? なんでまた?」
「勝手についてきたんだ」
「おい、クソガキ。そんなこと言って、俺様がいなかったら、セーラー服の女の子にぶっ殺されていただろ。ここへ来るまでに、三回は女子高生にぶっ殺されていただろうよ。まあ、若いやつにはよくあることだ。凛には秘密にしといてやるよ」
「マサムネ、ちょっと黙れ。いい加減うるさい」
「うるさいのが俺の取り柄だ。俺のおふくろはアソコじゃなくて口から俺を産んだんだ。おまけに頭がイカれちまって歯止めが効かん。見せ物小屋の前座はこんくらいで良いだろ。ほら、そこの不感症ちゃんも、勝手に狙撃し始めてるぞ」
「マサムネ、黙れと言ってるだろ」
「黙れと言われて黙らないのが人情なんだよ。分かる? こっちもけっこう苛ついてるんだ。頑固一徹の優等生に不道徳を教えてやるのもストレスが溜まるわけ。なあ、もう良いだろ? 俺たちもとっとと狂っちまおうぜ」
「うるさいんだよ! さっきから!」
苦しげに頭を掻きながら、フィアスは怒鳴る。
 いかりながら分析する。この苛立ちは身に覚えがある。
 ちょうど昨日の事件現場でも感じた。先天遺伝子に対する殺人衝動だ。
 後天遺伝子は先天遺伝子を駆逐する。
 咄嗟に銃を地面に置く姿を、すかさず正宗が捉える。彼は後天遺伝子について詳しくない。生き延びる反動のことも知らない。しかし、わずかな所作で一瞬のうちに真実を掴む勘の鋭さがある。後天遺伝子の詳細を知られると都合が悪い。
 あの子に俺の存在は重すぎる――正宗の言葉が脳裏をよぎる。
 俺の存在だって重すぎるんだ――喉元まで出かかった言葉を飲み込む。
 まあまあ、と両者に割って入り、シドは穏やかに言った。
「フィアスが苛々している原因はこれだろうな」
背負っていたナップザックを下ろす。中には小型のアタッシュケースが入っている。厳重に留め金がついた分厚い箱だ。
 感情から距離をとりたいところだが、上手くいかない。
 代わりに、正宗とシドから距離をとる。淡々と狙撃しているコンの側まで後ずさると、フィアスはスーツの袖で口と鼻を塞いだ。
 遺伝子レベルの殺人衝動。
 苛立ちの原因は、間違いなくアタッシュケースの中にある。
「フィオリーナの遺伝子を増幅させた化学兵器だ」とシドは言った。
「凛の〝くんくん仮説〟から着想を得て、エルザに……ドイツの科学者に作成してもらった。爆弾型と弾丸型がある。これでショッピングモールにいる赤目たちを誘い出して一掃する」
今朝方、到着した。間に合って良かった、と話の最後にシドは安堵の息をついた。
 車のそばに膝をつき、運転席のドアの取手を支えにする。気を抜いた瞬間、ドアの取手がぐにゃりと曲がる。
 正宗は鋭い目つきでフィアスを見た。
 鈴の音がするや否や、コンが地面に降り立った。鋭い眼光から隠すようにフィアスの前に立つ。
 正宗は洞察をやめて、空を見上げた。
 ならって上空に目を向けると、遠くに報道局のヘリコプターが見えた。迷彩柄の航空機も飛び交っている。テロ鎮圧と並行して情報収集を行っている。特殊部隊が赤目の発生源を見つけ出すのも時間の問題だ。おちおちしていられない。
 細いふくらはぎの間から、意気揚々と生物兵器を漁るシドの背中が見えた。
 大男は最新技術を試したくてうずうずしている。フィオリーナによって発掘された、ギークな才能が輝いている。
「おい、空気の読めないギーク野郎」
「言い方が荒いぞ。まだ苛ついてんのか?」
そうだ。まだ苛ついてる。フィアスはポケットから黒箱を取り出す。
 苛立ちを即時解消できるのが煙草の良いところだ。引き換える寿命は潤沢にある。少なくとも、今のところは。
 箱の中を覗く。
 残量は十本。戦闘中、口にする時間はあるだろうか……ともすると、これが最期の喫煙になりかねない。丁寧に時間をかけながら、潤沢な寿命を削り取る。
 心を落ち着かせたあとで、フィアスは尋ねた。
「リンの仮説はどうなった? 検証したんだろ?」
シドが振り向く。赤茶色の目。その目を見ただけで、結果が分かった。
 海を超えた異国の研究室で、会ったこともない科学者が、がっくりと項垂うなだれる姿も想像できた。
 すまん、とシドは静かに答えた。
「エルザは後天遺伝子との関連性を見つけられなかった。NP5g被験体に凛のにおいの成分や、血液から抽出した遺伝子、血液そのものも与えてみた。しかし、獣は何の反応も示さなかったそうだ。役に立てずすまない」
 そうか、とフィアスは言った。「くんくん仮説」に期待を寄せていたわけじゃない。望み薄の検証だと最初から分かっていた。
 すまん、とシドは繰り返した。
 おい、と正宗が割り込もうとした矢先、コンが狙撃銃を構えた。
 正宗に向けて。
 正宗もコンに狙いを定める。
 二つの銃口の間へ、フィアスとシドは割って入った。
 フィアスは正宗へ、シドはコンヘ「やめろ」と言い放つ。些細なことで揉めるのも個性派の面々にありがちなことだ。
「感じない女とやってもつまんねぇ」と正宗が言った。
「お喋りな男は嫌いだよ」とヨンが言った。