――三人が動いた!
日付が変わるか否かの深夜、シドから連絡が入った。庭園で見張りをしていたフィアスは、真一の携帯に着信を入れる。スリーコールで出なかったら置いていく、とあらかじめ伝えておいたスリーコール目で声が聞こえた。
――お、れも……行く……
今にも夢の中へ行き倒れそうだが、なんとか現実にしがみついている。執念の声だ。
義理人情は早起きにも勝るのか、と思いながらフィアスは車に乗り込む。
待つこと数分、寝ぼけ眼の相棒が助手席のドアを開けた。
屋内駐車場のシャッターはこの時に備えて開け放してある。出庫にも巨大な表門ではなく裏口を使う。これは隠密行動だ。屋敷で眠っている人間に悟られたくない。
真一を除いて、唯一こちらの動きを知っているのは一之瀬だけだ。
車庫に向かう前、フィアスは一之瀬にも連絡を入れた。彼も笹川邸内で就寝しているはずなのだが、電話に出た声はいつもと変わりなかった。そしていつもと変わりないスーツ姿で颯爽と現れ、見張りを交代してくれた。
彼は組織が提供したAR-15を抱えていた。笹川組の中でも、一之瀬がいちばん銃器の扱いに長けていた。ハンドガンからロングガンまで様々な形態の銃を使いこなせるし、その腕前も確かなものだ。理由を聞くと、一年に数回、諸外国へ射撃練習に行っているらしい。
「どんなことにも対応するのが世話人の仕事ですから」と一之瀬は真面目な顔で答えた。その勤勉さは裏社会といえどもオーバースペックに感じるが、この状況ではかなりの戦力になる。
シドから送られた地図に従い、
深夜の道路に輸送トラックを見かけても、乗用車の走行は少ない。
「お前の良い使い道を考えた」
目的地が見えたとき、フィアスは言った。
「マイチ、運転を代われ。そして、このまま運転を続けろ」
「えっ、なんで?」
「警察の目があちこちで光っている。銃撃現場に遭遇されて、車を押収されてみろ。俺たちはどうなる?」
「一ヶ月間、留置所にぶちこまれるだけじゃ済まないだろうな……」
「
出番というより裏番じゃん、と真一は苦笑しながら答える。
「まあ、車の中で待ちぼうけを食うよりも、役に立つなら引き受けるよ。職質の受け答えなら、何でも屋時代から慣れっこだしな」
携帯しているものの他、車に乗せている武器は一つある。フィアスはトランクにしまっていたガンケースを取り出した。真一から護身銃を預かり、それもケースの中へ入れた。これで警察に車内を調べられても問題はない。
運転を交代する際、真一は気楽に――しかし、真っ直ぐにフィアスの目を見て言った。
「死なないでくれよ、頼むから」
「死ぬには早すぎる」ガンケースを背負いながらフィアスは答えた。
「目的を果たしていないからな」
静まりかえった市街。今回の戦場はアーチのかかった
どの店もシャッターが閉まっており、夜の眠りについている。
フィアスは背負ったアサルト・ライフルのケースと、懐に忍ばせたハンドガンを見比べ、ライフルのケースを店と店の隙間に隠した。止むを得ず持ってきたが、出来る限り使いたくない。うるさい銃器は嫌いだ。
それにこちらの目的は「狩り」じゃない。
「シド、監視カメラは?」
腕につけた通信機に向かってフィアスは話しかける。すぐに片耳につけた受信機から応答があった。
――半径300メートル内、すべてハッキング済だ。一時間前と同じ映像を延々ループし続けてある。ただし、このアーケード内のカメラのほとんどがローカル接続の古いタイプのものだった。
「買い換えて欲しいな。防犯意識がなってない」
――元・警察官として市民に啓蒙してくれ。最新式にしないとハッキングできませんよってな。
フィアスはハンドガンを構え、商店街の奥の奥まで目を凝らす。耳を澄ませて、映像記録装置のジジジ、というわずかな作動音を聞く。だいたいの場所は把握した。
と、同時に一発の銃声が半円形の屋根にあたってこだました。
「狩り」が始まった。フィアスは走り出した。走りながら、監視カメラに狙いを定める。
精密な角度で発射された9mm弾が黒いレンズを着実に破壊する。
一機、二機、三機……途中で、こちらの銃声に気づいた獣が姿を現した。ライフルに手綱を引かれるまま、狙いもつけずに撃ってくる。重力に逆らう雨のごとく弾丸はあちこちに飛び跳ね、シャッターに歪な円形の穴を開ける。銃声に紛れて若い女の矯正が響く。
うるさいな。明かりの消えた自販機に身を潜めながら、フィアスはうんざりした溜息を吐く。日本はいつから紛争地になったんだ。赤目といえどもあんな子供にフルオートのライフルを握らせて、平和の国はどこへ向かう。
銃撃は依然続いている。彼女の位置からは流れ弾すら当たらない死角を抑えているので、身の危険は迫っていない。しかし、それも時間の問題だ。銃声が止み、ぱたぱたと走る少女の足音が聞こえてくる。安易な反撃の隙。
フィアスは自販機の陰からわずかに顔を覗かせると、少女の右足目掛けて銃弾を放った。右足首、続いて左足首。少女は転んだ。手にしていたライフルが、倒れた身体の1メートル先に転がった。床を這って取りに行こうとする武器を、足に続き破壊する。周囲に他の獣の気配も、自分の頭を撃ち抜こうと狙いを定める視線も感じないのを確かめて、敵の元へ駆け寄った。唸りをあげながらサイドアームへ伸ばした手を踏みつけ、ハンドガンも遠ざける。完全な武装解除。
細い背を足で押さえ、目下の敵を見た。
少女は灰色のフード付きパーカーにピンク色のミニスカート、黒いニーソックスを履いている。肩先で切り揃えられたボブの髪型はフィアスに似た
似たようなファッションの女の子を、横浜市街で何人も見かけた。外見はただの十代。
唯一の違いは、理性を失い、獣化していることだ。
両足を撃ち抜き、利き手の指を砕いても、少女は痛みを感じていない。唸りをあげて、言うことの聞かない身体をくねらせ、とにかく暴れようとしている。
降りかかる
「おい、聞こえるか? 俺の声が?」
返事はない。ただ、「ううぅ」とか「うあぁぁ」という唸りが聞こえるだけだ。記憶も思い出もない。残っているのは、植え付けられた殺人衝動だけ。
少女の足を見る。血塗れの両足にできた
赤目の少女はばっちり映っているだろうが、引き続き商店街の監視カメラを破壊しながら進む。途中で殺気を感じ、物陰に身を潜めた。銃声は空気を弾くように鋭い。これはサプレッサー付きの狙撃銃によるものだ。フィオリーナたちはミッションの終わりに近づいている。
最後の監視カメラを破壊し、フィアスは声を張り上げた。
「フィオリーナ!」
彼女の濃密な気配が、わずかに揺らいだ。ブルーヒューの視線。その眼差しは、確かに自分の姿を捉えている。しかし、逆探知ができない。その視線はどこから注ぐ?
「フィオリーナ! 聞こえるか!」
フィアスは暗闇の中で立ち止まると、どことも知れない彼女に向かって叫んだ。
「戻ってこい、フィオリーナ!
暗闇に自分の声が反響する。彼女の気配は消えていた。淡く漂っていたコンの気配もしなくなった。ヨンに至ってはかなり遠隔から指示を出しているらしく、消失したのは二人の気配だけだった。
自分のこだまが消えてなくなると、岩のように重い疲労が全身にのしかかった。
フィアスはその場に身をかがめて、息を整えた。
――大丈夫か?
受信機から心配そうなシドの声が聞こえてくる。
「問題ない」
普段通りに答えたつもりが、その声には並々ならぬ問題が滲み出ているのが、当の自分も聞き取れた。体力的な問題ではない。大した動きはしていない。せいぜい八機の監視カメラを破壊し、一匹の獣を始末しただけ。走行距離は合わせて600メートルほど。それなのに、こんなに疲れているのはなぜだ。
始末屋は俺が手配しよう、とシドは言った。お前はそこから早く
分かっている、と返事をしつつフィアスは商店街の端まで歩き、彼女たちが仕留めた獲物を確認した。
頭を撃ち抜かれた少女が一人、商店街の名前がついた門の側で死んでいた。柱に背を預け、あぐらをかいた体勢でうつむいている。先程の少女と同じようにブリーチした金髪は、頭の片側で
フィアスは商店街の外周をまわり、再びスタート地点に戻った。ライフルケースを回収したあと、一通りの少ない裏道を歩いた。両足に鉄の重石でも付いているのかと思うほど、一歩を歩くのに気力が要った。眠気と戦いながら、どうにか
シドは空の目からパトカーの通っていない安全地帯を見つけ出し、口頭で道案内をした。どうやら真一にも連絡をつけて、その場所で落ち合うようにと指示を出したらしい。
「な、な、何があったんだよ? そんなに激戦だったわけ?」
「うるさい。さっさと車を発進させろ」
力のない声で告げ、座席にもたれかかる。馴染み深い愛車のにおいを嗅ぐと、いくらか気力が回復した。
煙草をくわえて、火をつけようとしたがジッポライターを取り落とした。拾うのも億劫に感じて、くわえていた煙草をダッシュボードに放った。眠くてたまらないが、頭は覚醒しまくっている。アドレナリンの分泌量を、自分の意思でコントロール出来ないのは不便だ。
「車の掃除、したか?」
心配そうにちらちらと視線を送る真一に向けてフィアスは言った。
「この前、掃除するって言ったよな」
「あ、忘れてた……」
「それじゃ、俺は今、お前のよだれまみれのシートに座っているわけか」
「よだれまみれって! ちょっと唾がついただけだろ! 神経質だな!」
真一はぷんぷん怒りはじめる。逆ギレに近い怒りだが、余計な心配をされることに比べればマシだ。
フィアスは大きく息を吐き、冷たい窓ガラスに額を押しつける。
自分の意思でコントロールできない脳内物質。それが収まるときも自分の意思とは関係ない。
眠りという短時間の死が、忍び寄るように襲いかかった。